- ベストアンサー
物質 脳 精神(エネルギー 生物 人間)でしょうか
人間は脳に根拠を置いてると思えます 脳は物質で出来てると思います 物質はエネルギーに換算できるので エネルギーで出来てるのではと思います。 この三つの関係はどうなっているのでしょうか? 脳は物質であり生物でもあります その違いと 精神は脳によって生じてるようですが 精神(我とか)は何者 何質でしょうか? 簡潔に説明できる人いますか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「脳は存在である」=「存在は脳の中の現象」。 どっちであっても、確かなのは両者の間の相互作用。 我々が感じているのは存在ではなく、感覚器官表面 での量子相互作用(そのパターンの向こうの予測が 遠くの存在)。
その他の回答 (5)
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
私は唯物論で考えていてこの世に存在するものは物質だと思っています。 精神的なものは単にあるような気がしているだけなのではないかと。 物質はエネルギーに換算できるというのはアインシュタインのE=mc^2の式のことを言っているのでしょうか?そうだとすると、そうしたことが起きるのは核反応くらいで、原水爆か太陽の中でないと起きませんから普通は考える必要はないと思います。 あるいは脳を乾燥して燃やすと熱が発生するという意味でしょうか?生きている脳のことを考える場合にそうした意味でのエネルギーを考えてもしかたないように思います。 脳は物質で1000~2000億の細胞でできていて、その細胞を維持するために化学反応のエネルギーを使用しています。 つまりグルコースを(最終的に)二酸化炭素と水に分解してその際に発生するエネルギーで脳を維持しています。 精神が何であるのかは今はちゃんと答えられる人はいないと思います。 それだけの数の脳細胞が活動した結果なんかあるような気がするものが精神だと思います。 精神とは結局、人間がそう錯覚しているものという結論になりそうな気がします。 脳科学も進んでいるので結論がどうなるかはあと100年くらいで解明されるのではないかなと思っています。
お礼
精神は性質で出来てるのではないかと考えています 各エネルギーが実際に出てくるから 物質もエネルギーで出来てるのではと思ってしまいます 脳の働きによって精神が実現していれうのは確からしいですが 精神が性質で出来ていて それが人間だというと飛躍してるでしょうか? どうもありがとうございます。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
生体コンピュータである私たちの、運動の一つが精神である、と言えるでしょうか。その個体差により"私"が生じる。その運動の仕組みは、化学反応であったり電気信号であったりしますが、生理学的な解釈で精神が説明される日が来ると思います。 しかしながら、そのような日が来ても、何故生きるのかとか、如何に生きるのかといった哲学的探求はなくならないでしょう。
お礼
生理学的な解釈で精神が説明される日が来るでしょうか? 私(我)を自分で認識してみて それが何者か?生理学的なものか?考えてみて下さい。 何故生き、如何に生きるかは哲学ですが 我・精神とは何か を考えるのもまた違う哲学だと思います どうもありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
視点の違いですよ。 地球を観るときに視点を地球表面に固定してみれば「広大な大地」と見えるでしょうし、遥かかなたの宇宙空間に視点をおけば、地球は限りなく小さな点に過ぎない。 これと同じ、視点の問題なのです。 哲学ごっこで議論がかみ合わないのは大抵、論者が視点を異にしているからです。
お礼
確かに哲学ごっこはかみ合いませんね 僕も疲れました 視点によって見え方が違う 成る程 どうもありがとうございます。
- urigadai2013
- ベストアンサー率37% (92/244)
唯物論の立場に立つと意識とか心とは精神は、謎で、よく分かりません。 たいてい唯物論の立場に立つ人は意識とか心とは精神を脳の活動の随伴現象だとか、エネルギーだという人がいるけど、エネルギーだったら、主体性なんかないし、化学反応と同じで、制御できません。 意識とか心とか精神は私にしかなく、他人にはないけど、脳の随伴現象なら、人間なら誰にでもあるということだし、エネルギーだったら、私だけにあるとは言えません。 随伴現象もエネルギーも外から観察できるけど、意識とか心とか精神は外から観察することはできません。 測定装置で脳波が振れていることは分かるけど、何を考えているか、その内容までは分かりません。 だから、意識とか心とか精神は、脳にあるかもしれないけど、脳とは相対的に独立で、エネルギーなんかでもないし、化学反応の結果生み出されるものでもないと思います。 機能主義者のパットナムなどは意識とか心は脳の「機能状態」なんて言っているけど、要するにインプットがあって、それを加工してアウトプットとして出力するモノが意識だとか心だと言っている。 いわば変換装置。 しかし、機能主義はインプットがあってアウトプットがあれば脳であろうと機械であろうと問わないんだから、心身問題を回避する理論です。 結局、物理主義では意識とか心とか精神の自発性、主体性、というものを理解することはできないということ。 外から観察したんでは内的なものは分からないということです。 そして意識とか心とか精神は人間の内部にしかなく、外から観察できず、しかも私にしかないものだから、他人と比較できません。 私には私が思っていることは直接的に知ることができますが、他人が思っていることは私からは見えないし、他人の意識とか心があるのかも分かりません。 ただ、他人の間接的に示す仕草や表情から、その向こう側にあるものとして「想像」しているだけで、本当にあるかどうかも分かりません。 他人の意識とか心は、結局のところ私の意識とか心を他人の身体の内側に感情移入によって「投影」しているモノにすぎず、他人は意識や心なんか持っていなくて、ロボットか、ゾンヒかも知れません。 それに私は外界の物を見るとき、別に脳によって見ていたり、眼で見ているわけではなく、端的に見ているわけです。 それを反省することによって、眼で見ているとか、脳で考えていると思っているだけで、本当に目で見ているのか、脳で考えているのかなんてことは第三者には言えても、本人にはそんなことは分かりません。 質問を読む限りでは、あなたは物理主義に立っているようですが、物理主義に立っている限り、意識とか心とか精神は結局のところ謎でしょう。 だからそれを理解したいと思ったら、物理主義を放棄するしかありません。 哲学では難しい問題に出会ったら、前提を疑え、と言われます。 ウィトゲンシュタインは哲学の役割は「ハエにハエとり壺から脱け出る道を指し示すことである」といっています。 あなたも自分がはまっているハエとり壺から脱け出る道を見つけてください。 そのためには物理主義・唯物論を放棄すること。
お礼
私はただの唯物論じゃではありませんが 意識・精神が物質とは違う次元のものと片付けるものでもありません 先生の仰る説明はわかりますが 先生の説明を読んで おそらく感情や理性や知識や情報や経験等があるのだろうなと思えます。 勿論分かる訳ではないですが その様に受け取れるということです 色々と教えて下さってどうもありがとうございます ハエ取り壺から抜け出したいからこのような質問をしています。
- alphaXXX
- ベストアンサー率40% (108/264)
精神は脳によって生じる現象にそういう名前を付けたものです。 波は波という物質が存在するのではなく、物体の振動運動や水の上下運動に波という名前を付けたものです。 それと同じですね。
お礼
そうですね ある現象や性質に名前をつけたものですね 参考になりました どうもありがとうございます。
お礼
脳という存在(言葉)が何を意味しているかは定かではありませんが 脳と脳の中の現象が相互作用して存在しているのでしょうね。 我々が感じるのは存在ではなく量子相互作用。成る程そうですね 参考になります どうも大変ありがとうごいざいます。