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なぜ、人間にだけ「心」があるのか

私は次のようなものではないかと考えました。 「魂」のエネルギーというのが宇宙空間に満ち溢れています。 そしてそれが宿る「生物体」が普遍的に存在します。 たとえば、サルであり、蟻であり、犬であり、人間であり、海豚であり 像であり、バクテリアであり、生物体なら何でもかんでもです。 次に「魂」のエネルギーは「生物体」と化学結合のように交わり一体化します。 その結果、宿るものの肉体的完成度、もっと具体的には、脳の構造の差によって 魂の顕在化、これを心といってもいいでしょうが、違ってきます。 結局人間だけに「心」があるいは「精神活動」があるという言い方は、 それを機能させるに足る構造があったからと言い換えることができます。 例えるなら、「魂」は電流のようなもので、「生物体」は電気製品。 「心」はその動き方や働きと言ってもいいのではないでしょうか。 人間がパソコンかは議論が分かれるでしょう。 が、少なくとも扇風機でないでしょう。 しかし、依然として、なぜ「私は私なのか」という疑問にはこたえられません。 これを決定するのは何かもう1次元上の機構があって、「個」というものが さらに付加されるということなのでしょう。それとも同一次元で説明が付くのか わかりません。 みなさんのお考えが知りたいです。

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  • baihu
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回答No.11

> 「心」はその動き方や働きと言ってもいいのではないでしょうか。 この部分だけを抜き出せば、そのまま、養老孟司が『唯脳論』などで著している考えですね。レトリックを別にすれば、何らユニークな(変わった/新奇な)説明ではないと思います。 心とは思考や感情という精神活動であり、それは脳の機能である。胃の機能が消化であるのと同じ意味で、脳の機能が心である。そのようなことが書かれていました。 > 「魂」は電流のようなもので この辺りは、W・ライヒの“オルゴン・エネルギー”でしょうか。多分にオカルトが入ってきます。科学で「魂」を扱ったものを、寡聞にして存じません。 > 「生物体」は電気製品 生物を機械として表現することは、結構一般的なものになってきました。ある意味そう言えると思います。 で、ご質問は、何で人間には、他の動物とは明らかに異なってみえる高次の精神活動(=心?)が在るのか、でしょうか。 それは、近隣種が脳という器官を生活環境に対して必要十分な程度に持っていただけなのに対して、ひょんなことから(?)オーバースペックなハードウェアを持ってしまったが故に、いろんなソフトを稼動させる(させられる)ようになったせいだと私は思います。 後半の疑問は、自我やアイデンティティという概念を、同様の“喩え”で理解できないものか、という意味だと理解しましたが、そうでしょうか。 ちょっと『攻殻機動隊』の“思考戦車”チックですね(^^; 生物個体は、工業製品のような生産のされ方をしないという意味で、かなり違うところはあるでしょう。ほぼ無限のデザインバリエーションをもった一品モノばかりですので。 ただ、個を意識するということは、完全に心(=脳のファンクション=ソフトウェア)に包含される問題ではないでしょうか。いろんなショック(器質的ではなく)で、人は意外と簡単に「私は誰だか」が怪しくなったり「昨日の私」と「今の私」のつながりが感じられなくなったりしますから。 ご質問を曲解していたらすみませんが、こんな感じで。

noname#32495
質問者

お礼

そうです。その内臓機能と脳は同一次元だと思います。脳も内臓ですし。内臓は筋肉ですし、皮膚や骨や頭髪となんら変わらないです。 電化製品化は結構一般的なのですか。でもロマンがありますね。そういう「自然」なものから、なにか跳躍した人間が喜怒哀楽やら人生やら、文学的な存在になるのですから。 まさに、オーバースペック?的な「量」の過剰が人間を飛躍せしめているように思います。 後半の趣旨はそうです。 ただ、やはり「私」は「他人」とはいつまでも交われないし一体化できないのです。それが、やはり「個」を規定してしまう機構が働いているのではと思う次第です。それが内包されているのか、外から規定されているのかさっぱりわかりませんけど。

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noname#11778
noname#11778
回答No.10

質問者さんがおっしゃる人間の生物学的な機能、精神、理性等の関係について、トルストイの「人生論」でとても興味深くて分かり易い記述があったことを思い出しました。すでにご存知でしたら流してください。 因みにトルストイは、人間は単に細胞の塊が生活しているものではないということを強調しており、理性が人間の本質であるといっています。 そして、人間以外の動物や微生物、植物、無機物について、人間は人間との優劣をつけたり、科学的な法則を見出し、よく知った気になっているが、本当のところ人間から遠いものになればなるほど人間には全く分からない独自の次元にあるのだといっています。 つまり人間が一番知っているのはほかならぬ人間自体であるということです。 しかし、それはさっきほども言ったように人間の細胞や脳の機能を知ることと同義ではありません。 とにかく参考になりそうでしたら一度読んでみてください。

noname#32495
質問者

お礼

「人生論」記憶しました。 ただ、人間と動物とは分かれないと思います。まさに同質で容量が違うのかなと。

noname#13088
noname#13088
回答No.9

>結局人間だけに「心」があるいは「精神活動」があるという言い方は、 >それを機能させるに足る構造があったからと言い換えることができます。 構造ではなく余裕、おそらく人が生きる上でゆとりが在る事が起因して 「精神活動」が可能になるのだと思います。 つまり、人に飼われ生きる為に命を賭して獲物を捕らえたり、自らの住処を 外敵から守るために闘う必要が無い“ペット”にも人には解らないだけで 「精神活動」に準ずる何かが在るのだと思います。

noname#32495
質問者

お礼

はい、そう思います。 入れ物の差だけで、電気が流れて動いているという理屈は同じなのではないかと、考えています。

  • vincero
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回答No.8

 動物と人間の存在について同一次元で考えますと、DNAによって肉体は成り立ち、心も存在するとなります。  ですが、人間はDNAを超えて、宇宙を意識することができます。  私は「宇宙とは何か、人間とは何か」について考えることがよくあります。  例えばこのことで、人間の赤ちゃんを考えてみます。赤ちゃんは自分からは考えることをしませんが、近くにいる人間を親と認識し、その人間の真似をするようになります。言葉を覚えたりすることなどは、模倣からはじまるといえます。  このような模倣は自然に行われることであり、ミームという言葉で説明されているところでもあります。  自分を存在させたものを知ろうとすることは自然なことです。そして自分を存在させた親を、子は模倣して成長します。これは、動物にもある働きです。  ですが、人間にあって動物にはないことは、「宇宙とは何か」と人間は考えるが動物は考えないということです。    動物にとって宇宙は、自分を存在させている原因であることの認識がありません。ですが、人間が宇宙について考えるということは、無意識的であっても、「宇宙によって自分が存在している。」と認識しているからなのです。  それで人間は宇宙を模倣し、人間そのものが宇宙に似た存在になっていきます。それだから、人間は小宇宙といえるのです。

noname#32495
質問者

お礼

人間だけが、世界を科学的に知ることができます。体系的に知ることができます。それは、生物として最も高みに上ったからでき得るのでしょう。 宇宙に似たという意味もなんとなく、他の生物とは「超越的」な存在であるということで、言えるかと思います。

  • kigurumi
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回答No.7

『心』とか『魂』をどう定義されているのかわかりませんが、チンパンジーにアイスクリーム見せると、食べたことあるチンパンジーは人間が食べる瞬間「ちべた!」って顔をするそうです。 ボノボのカンジの研究をしている博士がいますが、カンンジは生まれた頃から人間に育てられ、手話によって人間と会話をするそうです。 ある日、博士がカンジの妹にも言葉を教えようとしました。 妹の方は、カンジほど人間と密に暮らしていませんでした。 だから「バナナちょうだい」と手話で教授が言ってもわかりません。 それを見かねてカンジが妹の横にやってきて「こうするんだよ」とバナナを教授に渡すしぐさをしますが、妹はそれが何を意味しているのかつながりません。 教授と兄に囲まれ困惑した妹は教授に噛み付きました。 かっとなった教授は逃げる妹を追い掛け回し、制裁を加えようとしました。 そしてはっと気づきました。 カンジが教授の方に向かって二歩足で両手を上にあげてつきまとうことに。 「まあ まあ 許してやってくださいよ」と仲裁をしていたのです。 このカンジと人間の違いはなんでしょう。 確かにトイレは覚えることができませんでしたが、妹の気持ちもわかり、教授の気持ちもわかり、どうすればまるく収まるのかチャレンジしているこのカンジに『心』とか『魂』とか人間らしさ とかあるとしかいいようがないと画面を見ていて思いました。 人間と他の動物の違う顕著なところは『二つの異なるものに対してどちら側の言い分も理解しようと試み、仲裁を入れる』というものじゃないでしょうか。 野生のボノボの世界でも、興奮して攻撃的になった仲間を収める動作が見られるそうです。

noname#32495
質問者

お礼

チンパンジーは、準人間的な心をもっているんですね。

  • igarasik0
  • ベストアンサー率28% (59/208)
回答No.6

知人に犬を20匹も飼っている人がいますが、彼は「犬はものすごく社会的な生き物で人間と同じようだ」と言っていました。。 でも、それは見ている側が想像しているだけで、錯覚なのかもしれないとも言っていました。 ところで、私は自分に心があると信じていますが、他人に同じようなものがあるという絶対の確信が持てないでいます。 相手の行動や言動、反応から「同じようなものがあるかもしれない」という類推することは出来ますが、それが間違っていないと断言する自信がありません。 ひょっとすると(先の犬の例のように)「心があるように見えているだけ」の可能性もあるからです。 さらに考えを進めると、自分に心があるということも「自分に心があるように錯覚している」だけなのかもしれません。 こう考えていくと、この質問の前提となる「人間には心がある」というところもあやしく思えてきます。 こういう疑問に行き着いてしまうと、なにもかもが錯覚のように思えてきてしまうので、現実的には「人間には心がある」と仮定して様々なものを考えることにしています。 私は動物の知人がいませんので、「動物にも心がある」という仮定する必要にせまられていないので、動物に心があるかどうかは考えなくて済んでいます。 まぁ、心は脳の機能だとも考えられるので、そのためだと言ってしまってもいいかもしれませんね。 一度「唯脳論」でも読んでみたらどうです?

noname#32495
質問者

お礼

「唯脳論」記憶します。 錯覚感覚よくわかります。 自分だけが、から自分にもないかもというのはかなり徹底的な考えですよね。 「魂」がなにか電流のような無機的なもので、それが器に入ると機能しだすとしたら、ある意味それに遠くはないきがします。

  • iowahrd
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.5

私の考えを。 「自我」というものは今日では、 脳構造から生み出される機能とされています。 感性や自分らしさなどは、それらの神経組織を破壊すればいとも簡単に消えてしまいます。 麻薬などで人格が変わってしまうように。 又、そのような神経組織があるのも人間だけ。 ですから、魂など存在しないと考えます。 全ては「脳」であると考えます。 よって、なぜ人間だけに心があるかという質問の解は単純に、脳が発達しているから。 何故私は私なのかという答えは、 何故人間があるのか、何故宇宙があるのかという疑問と同じく、わかりません。 唯一の母親と父親からあなたが生まれたから、 あなたのような人になったとしか言えません。 以上です。

noname#32495
質問者

お礼

脳はたんに魂を機能させる入れ物と考えても矛盾しないのではないでしょうか。

noname#11778
noname#11778
回答No.4

他のかたもおっしゃるように、質問者さんの意図が不明確ですが、関連した事を書かせて頂きます。 うろ覚えですが太宰治がこんなことを書いてました。 「犬にだって道徳、信仰や宗教だってあるかもしれない。でも人間にしかない物がある。それは秘め事である」 私はこの考えに全く賛成と言うわけではないですが、確かに動物には男女間や親子間等の恥じらいのような物は無いかもしれません。(反対意見がありましたらお願いします。) もっと言うと動物には「愛情」や「本能」があって、人間はそれを行動パターン等から観察・予測できるとしても、人間は(言葉まであるのに)「愛情」があっても必ずしも表現しないし逆に隠してしまうこともあるため、簡単に言うと「好き同士なのに一緒ならない」等の事態が頻繁に起こると言うことだと思います。 究極的にはマルクス批判だと思いますが、私はもっとシンプルに考えます。 例えば「道徳」は「第三者(神等)への意識」によって生まれるのと対照に、「恥じらい」は「自意識」によって生まれます。 ですから、「人間とその他の動物を分けるもの」=「恥じらい」=「自意識」ともし考えた場合、その「分けるもの」は「なぜ私は私なのか」と考えるきっかけや手段であったとしても、必ずしも答えを出すこと(目的に達する事)を保証するものではないと思います。 しかし、それより一段階上の機構が何か、ひいてはそう言うものがそもそも存在するのかどうかについては今の私では全く及ばない問題です(><)

noname#32495
質問者

お礼

「恥じらい」も高度な「精神」力かと思います。ですので、動物と 分けられるような異質なものとはいえないのでは。 ですので、自意識でもって「私」は「私」となるとすると ある犬は他の犬と共通心を持つような事かというとそうでもないので。

回答No.3

表題と本文の因果関係が全く判りません。というのは、本文の意味が理解できません。 表題の話であればジェーン・グドールのチンパンジーの研究によると人に近い細やかな心をもっているそうです。 なお、「なぜ「私は私なのか」」疑問は私も青年期から抱き常に考察している問題です。あなたはどのような考察をしていますか。

noname#32495
質問者

お礼

表題で失敗しました。「精神」がなぜあるのかなんです。 「私」は「私」の問題がまだわからないので、知りたいです。 が、これも「魂」のエネルギーの一部が偶然「私」に宿ったから という感じかと思ってます。魂は普遍的で偏在しないもので、 しかし、具現化するとき、やむを得ず「個人」としてしか 機能しないのかなと思います。 ちょうど扇風機とテレビが連動するような構造が望めないように。 あるいは魂が「心」(人間の場合その脳構造の精密さによって「精神」) となるにおいて、いつもセパレートされた利用物(生命体)しかない というところにあるのかなと思います。

  • Interest
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回答No.2

「なぜ、人間にだけ「心」があるのか?」という質問に疑問を感じます。 人間以外の動物に「心」が無い、とどうしていえるのでしょうか? 「心」とはなんでしょうか?

noname#32495
質問者

お礼

#1の方のお礼に書きましたように、「精神」?というような ものをイメージしました。

noname#35109
noname#35109
回答No.1

何を言われているのか,全体的に良くわからないですが, イヌにも心はありますよ。 嬉しいときシッポ振ります。恐いとき震えます。怒っているとき噛みます。 ネコも腹がへったら,猫なで声で呼びます。 嫌いな人には寄りつきません。 憎しみや,恐れその他色々あります。愛情もあります。 善悪の基準が人とちがったり,価値観が違ったりするだけで,大脳がある程度発達している動物には,いわゆる"心"はあります。 反射(脊髄反射などの意味の反射)だけで生きているわけではないですから。

noname#32495
質問者

お礼

動物でも「心」はあると思います。 「精神」となると人間化ということで投稿したのです。 ちょとまぎらわしくすみません。

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