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物質と精神について
物質と精神の違いは曖昧であるっぽいんですが、その理由はなぜですか? 自転車は物質であって、心は精神である。一般的にはこう言われますよね? ここに明確な根拠がないってことでしょうか? 考えるのがめんどくさいってのは悪いことだと思います。賢い人はこれ(物質と精神について)を直観で違和感を感じることができるのでしょう。これはもうセンスだと思ってしまいました。私は永遠にバカなのでしょう。
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> 物質と精神の違いは曖昧であるっぽいんですが、その理由はなぜですか? 質問内容文に乗っちゃいますけど?、明確な根拠がない ・必要としない、それで済んでしまう一般的認識だから では?、、詳しい仕組みなどを知っても確かめようもな かなかないでしょうし? > 考えるのがめんどくさいってのは悪いことだと思います。賢い人はこれ(物質と精神について)を直観で違和感を感じることができるのでしょう。 いや?、、それを自分で感じる事が出来る人って、そう そういますかね?、、 例えば、物質の存在・創造維持の背景が、霊的高次元の 存在達に拠る想念の働き掛けである事や、もしくは?天 界という存在の表現(創造・維持)であるらしい、とい う事を知ったとしても、 それらの信憑性などを間接的に、何度となく確認して行 くしかないとは思うのですが?、そこまで注意深く観察 出来る人ってなかなかいないのでは? > これはもうセンスだと思ってしまいました。私は永遠にバカなのでしょう。 第2の悟り・解脱の達成者の人でも「霊的向上・進化の 実態というのは、自分が知らない事の領域が拡大する事 と、、その知らない状態の自分とレベルの実感だ」と語 っている位ですから? なので現世でバカ(無知)でない人はいないでしょ? センス?、、までも?、ある程度の大前提(人格・人間 心)と、ある程度、適切で正しい思考・感情・情動があ れば、思考的な事が得意ではなくとも、シャーマニズム などから、秘教の高い段階を目指し、それなりに達成す る事は可能なようなので、全く希望のような物がない訳 ではないようですが? までも?、信じず疑わず、どこまで行っても、誰の言葉 でも妄信・鵜呑みにせず、何度とない自己確認に努める 必要はあるでしょうね? 騙され・陥りはとても多いようなので?、、罠・テスト ・踏み絵もあるますし?、、 つまり?、物質も含め、表現・存在を創造・維持してい る意識体の存在がある事、、そして彼らが創造・維持に 使っているのが超物質と言われるような物のようで?、 これが重要なのは?、この超物質という物がなければ、 私達は精神活動さえ出来ないのだとか、つまり私達が精 神活動が出来るのも、この知らずに使っている超物質が あるからこそのようで?
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- 3355Teach
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精神によって認識・解釈されない物質が存在しないように、物質によって規定されない精神も存在しません。 物質と精神といった対立的二項図式は、現代では通用しませんね。物質の豊かさが精神を頽廃させるなどといまだに言う人がいますが、物質の欠乏が精神を頽廃させて行った戦争の歴史から何も学んでいないとしかいえません。
- itshowsun
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「物質と精神の違いは曖昧である」という言明がどこから出てきたのか? 「精神」という言葉が宗教色があり、その定義はかなり曖昧であるので、 哲学的考察に向いていない。哲学的考察では 「物質と意識」 を対比させる。 ある人Aが 「そこにリンゴが存在する。これは明確な事実である。」 と言う。 ある人Bは、 「我、思う故に、我あり。 これこそが私にとって、絶対的な真実である。」 という。 Aの言明は、Aの意識状態によることは明確である。 よって、「物質の存在は観察者の意識状態に依存する。」 Bの言明のうち、「(自)我」とか「思う(意識)」とどう定義されるのか、 と考えると、心理学的には非常に曖昧である。 唯物論者に言わせると、これらは単なる生理作用(脳内の電気パルス)に過ぎないとする。 このように、「物質と意識」の関係を考えていくと、 互いに依存し合い、かなり不確かなものと成ってしまう。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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物質、精神、そしてそこにあり知覚され判断される(つまり存在しているということ)。 そういうことの分析が必要であるご質問ですね。 未だ40年ほどですがヒンドゥのラージャヨーガを精進しています。 ストレッチ等に応用されるようにこのヨーガは肉体やその機能が究極悟り実現に大変重要であるとしています。 そして肉体とその機能はどれをとっても正に精神だという基本認識で分析しております、つまりチャクラとか何とかは観念とでもいうものであるということです。 それが人間や物質存在をもたらす根元であるということです。 したがって精神といい、肉体や物質と言っても、しょせんは意識と生命のlife-forceであるということになっております。 まぁこういう認識もあるということでご参考までに。多分承服なさいませんでしょうが。
- stmim
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私は物質と精神は全然違うと思います。逆にどうしてそう思うのかな?と不思議です。 精神は人間の心の中だけにあるものでしょ。自転車みたいにこれが精神ですと示すことができない。 重さも形もない。どのような材質でできているのか示すこともできない。 ぜんぜん違うと思います。
- ukiyotonbo
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ま、あなたが精神そのものの存在なので、これを解く事は出来ないのですよ。 自分は自分自身を解けない・・というか納得することが不可能なんです。 どんな理由付けやどんな哲学を持ってきても、自分の存在が不可思議なのですよ。 それだけ生々しく生きている証拠ですから楽しんで生きてくださいまし。 宗教で無理やり納得する人も多いですけどね。
- yuniko99
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これは飽くまで僕の考えなんですが 精神は性質と同じ質だと思います 物質にも質量(エネルギー?)と性質があるように 人間の脳にも脳内物質やホルモンや脳波等などの物質などの性質が主体化して精神に成っているんです。 何故そう思うかというと ほかに見当たらないのです 精神を実現する存在が 従って物質は生命を持つこともあればその一部に精神を持つこともあるという事なんです。 実験もできませんし証明はできませんが そう考えられます。
- urigadai2013
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自分でも言っているように「永遠のバカ」です。 唯物論の立場に立てば、この世界には物質しか存在せず、心なんて幻に過ぎない。 反対に唯心論の立場に立てば、この世界は心しか存在せず、物質が存在するなんてのはただのたわけたおとぎ話に過ぎない。 この対立の根源は17世紀のデカルトの心身二元論に始まっており、デカルトは心が実体でそれ単独で存在し、身体も実体でそれ単独に存在する、心と身体の二つの実体からなると言い、心と身体、精神と物質の二元論というか、区別を唱えたことに始まる。 しかし、心が実体だということは、実体の定義からして、何ものにも依存せず、それ単独で存在するという意味だから、地球が、宇宙が存在しなくても、心だけは存在すると言っていることになる。 しかし、そんなことが信じられるだろうか? 物質が精神に依存せず、それ単独で存在する実体というのは比較的理解できる。 というのも、地球は、そして宇宙は人間が誕生するはるか前から存在していたし、人間がいようといまいと、また心があろうとなかろうと、そんなこととは無関係に存在してきたし、無関係に存在できるからだ。 もし、心が身体と無関係な独立した実体ならば、心なんかなくても一向に私たちは困らないはずだし、存在しようと存在しなくたって、なんら変わらない。 しかし、実際は心療内科というクリニックがあって、心に変調をきたせば、身体にも変調が及ぶことは経験的に分かっている。 つまり、心は身体とは独立の実体なんかではなく、この世界に深くかかわっている。 つまり、心と身体とは相互作用している。 そして相互作用しているということは、心は独立の実体ではなく、身体に依存しているということだ。 心というものが何であるか、「心の哲学」のテーマではある。 心は脳の機能状態だという「機能主義」の考えもある。 また、心は脳の活動の「随伴現象」だという考えもある。 いずれにしても、心は身体と密接にかかわっているということだ。 独立の、いかなるかかわりもない実体だというデカルトの説は今では成り立たない。 だとすれば、唯物論も唯心論も、共に間違っていて、真理はその中間にあると言わざるを得ない。 事実、19世紀の哲学は唯物論と唯心論の戦いだったが、20世紀も後半になると言語が哲学の中心テーマになり、唯物論か唯心論か、という論争は今や忘れ去られつつある。 言語というのは物質でもないし、心でも観念でもないから、その中間にある。
- superkeroyon
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>物質と精神の違いは曖昧であるっぽいんですが、その理由はなぜですか? 自分の心の作用である、感じる、欲する、決める、、、などが、対象Aにもあるように認識される(会話、表情、しぐさなど)ならば、対象Aにも心の作用があると判断されます。特に、感じる質感について、会話が成立する等によって、共有できれば、「感じてるんだなああ」と判断できます。 自転車は、会話、表情、しぐさなどから、一般には心の作用を認識することができないので、自転車には心はないであろうと判断されます。 しかし、自転車の心を感じられる人がいれば、その人にとっては、自転車にも心の作用がわかるかもしれません。 自分の心の作用と共通するものを、対象にも認識するかどうか、すべてはそこにかかっています。認識だけが、判断根拠です。
- hekiyu
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”物質と精神の違いは曖昧であるっぽいんですが、その理由はなぜですか?” ↑ 精神も、所詮は物質の産物だからです。 魂、なんてのは存在しません。 あるのは、あくまでも物質です。 精神と物質は峻別できるモノではないから です。 ”自転車は物質であって、心は精神である。一般的にはこう言われますよね? ここに明確な根拠がないってことでしょうか?” ↑ 分子生物学が発達する以前の考え方ですね。
- 雪中庵(@psytex)
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精神とは、「物質が自分の外にある」という前提によって、 相対的に生じた概念である。 実際は、その精神と物質の接点である感受表面での量子 相互作用しか我々は捉えておらず、その感受パターンの 蓄積により、次の先行感覚(光や音のように早く遠くまで 伝わる情報性の高い感覚)対して、『そこまで到達すれば 何(より生理的な感受)が起きるか』を予測した結果が、 空間的広がり=物質的概念なのだ。 そこにあるのは、無(=不確定性無限)の潜在としての認識 可能性(感受表面=量子相互作用=光速)からの、自我仮説 (時間の流れ=記憶=過去=超光速)と時空仮説(空間の広が り=予測=未来=光速下)の相補分化である。 「経験の蓄積」とは、量子性=プランク定数の収束(物体収縮 =宇宙膨張)の時系列化であり、それにより経験的に階層現 象を表面的に(いい加減に)捉える事で、原理(超弦)的な 光速性を潜在化して、非光速性を派生させているのだ。 (難しいです。これを作った僕でも、中学の時にアインシュタ インの「重力ポテンシャルエネルギーは負であり、物質の 存在に比例するので、全宇宙のエネルギーの総和は常に 0である」という指摘と、彼の相対性理論に現れる「ミンコフ スキー空間において時空軸は虚数関係にあり、等距離点 に0の面(界面原点=光量子の描く軌跡)を生じる」といった 事実からピンとひらめいて、社会人になって思索する時間 が欲しくて、協力隊から海外コンサルタントとして途上国に 暮してずっと考え、手作り冊子を出し続けて、ソロモン諸島で 「反慣性論」という形でまとめて冊子にするまでに20年以上 かかりました。こんな一時の場のわずかの字数で、自分の 固定観念を変えるのをプライドが邪魔をする状態で、理解 できる訳がない、というのが個人的気持です。センスでは なく積み重ねです(頭の善し悪しとも別です。好奇心)。 固定観念=自分の座っている座布団を持ち上げてジャンプ する事はできません。1枚ずつの積み重ねです)
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