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子規の俳句の意味を教えてください
正岡子規の「冬の月五重の塔の裸なり」という句の、「裸なり」とはどういう情景を詠んだものなのか、ご存知の方教えてください。
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>ただ「裸なり」という表現が結構強いので気になった次第です。 : この時、子規28歳。5月、夢破れ病再発で大連からの帰途喀血。7月、須磨保養院への療養に付き添った虚子に仕事の向後を相談。しかし12月、改めて後継者問題で虚子に背反さる。有名な「道灌山の決裂」のくだりです。 「吁命脉は全くこゝに絶えたり虚子は小生の相談者にあらず…小生の文学は気息奄々として命旦夕に迫れり」(瓢亭宛手紙より)として、その結句は「今迄も必死なりされども小生は孤立すると同時にいよいよ自立の心つよくなれり」と深く心に期すものありと述べています。 寒風吹き抜ける道灌山に一人ぽつねんと立ちつくす子規の視線には、曾て小説の才能なしと拒絶された希代の天才作家露伴、彼の名声を不動にした2年前の傑作「五重塔」のモデルとなった谷中の五重の塔が窺える。それを「裸」の姿と観ずる子規には、まさに「孤立すると同時にいよいよ自立の心つよく」の己自身を必死に重ね合そうとした、そんな断腸と決意の一句なのかもしれません。
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- princelilac
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冬の夜空は澄んでいて、寒いのが難点ですが、天体観測には都合がいいものです。冬の月は中秋の名月よりも、輝いて見えます。素人解釈ですが…、 冬の月は輝きが増して、五重の塔を明るく照らしている。春夏秋には見えなかった部分もよく見えるなぁ。 ひょっとしたら、汚れや破損など、あまり見たくない部分も見えるのかも知れません。どれだけ美しい裸でも、隠したままの方が魅力的なことってありますよね。
どのように解釈されても良いと思います。ひとつの解釈として、澄み切った空気の中、冬の月に五重塔の隅々までが照らし出されているというようなことでしょうか。ただ、子規がこの句を詠んだ背景を手掛かりに、どのような心情を織り込んだはご自身で調べたりして、鑑賞されてはいかがでしょうか。
お礼
ありがとうございました。読みとる方の想像力にも依るわけですね。ただ「裸なり」という表現が結構強いので気になった次第です。