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俳句はフィクションでも良いのでは?
20年ほど前、趣味で俳句を始めました。途中、空白期間があったものの、現在も俳句結社に所属し、続けています。 よく「俳句は実体験に基づいて詠まねばならない」という意見を耳にしますが、私は疑問に思います。 実体験に基づいたとしても、良い句が生まれる保証はないと思います。 正岡子規が客観写生の手本と仰いだ与謝蕪村の句も、実はその多くが虚構によるものです。 俳句はフィクションでも良いのではないでしょうか? 皆さんは、どう思われますか?
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お礼
重ねてのご回答、ありがとうございました。私は平成3年に俳句を始めました。その後、4種類の俳句結社に同時に所属していた時期がありました。この内、3種類の俳句結社では同人を務めました。しかし、平成20年に体調を崩し、俳句からは遠ざかりました。平成24年快方に向かい、俳句を再開したいという思いにかられ、横山白虹先生師系の結社と坪内稔典先生主宰の結社に入り、現在に至っております。現代俳句協会にも所属しております。 恥ずかしくはありますが、私の句を挙げておきます。 疲れ果てこの身が蜃気楼となる 物の怪の憑きて白百合揺れやまず ひとすぢの髪に残り香星の恋 つがひとて夢は異なる浮寝鳥