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俳句
俳句の勉強をしている留学生です。。以下の句の解釈がうまくできませんので、どなたか教えてください。宜しくお願いします。 秋の句 (7)啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々──水原秋櫻子 (8)金剛のひとつぶや石の上──川端茅舎 (9)秋刀魚焼く匂の底へ日は落ちぬ──加藤楸邨 冬の句 (10)いくたびも雪の深さを尋ねけり──正岡子規 (11)咳の子なぞなぞ遊びきりもなや──中村汀女 (12)真つ白き障子の中に春を待つ──松本たかし
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- Frue
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(10)のみ補足させていただきます、解釈は他の方のものでよいのですけれど、 これは「病中雪四句」として書かれたものですので、 知っていただくと理解がなお深まるかと。 § 雪ふるよ障子の穴を見てあれば いくたびも雪の深さを尋ねけり 雪の家に寝て居ると思ふばかりにて 障子明けよ上野の雪を一目見ん § 2月に詠まれた歌だそうです。1月にはなんとか歩ける状態だった らしいのですが、2月には歩けない。障子を開けてくれ、とは言えども、 病人の自分にそれはかなわない。だから「いくたびも雪の深さを」尋ねた。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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先のご回答も拝読しました。 私は日本で生活して70年の身です(自慢にならないこと)。 その経験から、自分の身にひきつけて、以下のように理解し、画き、情緒や風情、気持ちを味わってみました。 (7)きつつき の 樹の幹をつっつく音がするなぁ 牧場一帯の樹(幹に虫いる昆虫の幼虫を掘り出して)をコン コンと響き渡るな。もう冬だ落葉樹もめっきり葉を落として、晩秋、初冬の晴れた青空に茶色の枝を突き出すだろうな。 (8)川端茅舎(かわばた ぼうしゃ)小さいながらも、金剛石のように堅固に、試練の年月を経てきている、この私をみつめている。 (9)夕食のさんまを七輪で焼いている煙と匂いが、外にも、道にも、あたり一面にもうもうとたちこめているなぁ 秋の夕陽ももうすぐ家家の屋根に隠れていくわい (10)雪だそうだ 病床にいなければならない此身私は、直(じか=自分で)に見ることもできずに景色を頭の中に思い画いているのだ。根岸の家の狭い庭だが、もうどこらにどう降り、積もってきているかい、と、もう何度、家内(おかみさん、おくさん)に聞いたことだろうて、もうあの笹の茂みは雪を戴いたかな、つくばいはどうかな。 雀の声もしなくなったようだが。 (11)ごほごはこの子は咳が出るので、外に行かせないのでね。謎謎遊びの相手をしているけれども、まぁ繰り返し繰り返し、そして次々とせがむことだ、まぁなんともきりがないことだ (12)もうすぐお正月だ。家の隅々も掃除をして、縁側の障子も張り替えた。南の縁側から障子に陽(ひ)もあたり、清清(すがすが)しく新春を待つお座敷だよ。
- jasko
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(7)キツツキは鳥ですよね。木をクチバシでコツコツと叩いて虫を取って食べます。その木を叩く音が秋の林にこだましているんです。その音が冬の到来が近いことを告げているようで、木々の落ち葉がせかされるように落ちていく。さういう情景を歌ったものです。 (8)の金剛はダイヤモンド(金剛石)のことでしよう。石の上にダイヤモンドの一粒のように輝いてい見えるものが置いてあるのでしょう。申し訳ありませんがもこれ以上はこれだけではわかりかねます。前後の俳句もあると参考になったかもしれません。 (9)夕食のおかずにサンマを焼く煙が漂っているのでしよう。その煙が雲のようにもうもうと漂っていて、その向こうに日が沈んでいくように見えると言うことです。サンマの煙が食欲を誘って秋らしいおだやかな句ですね。 (10)正岡子規は病床に伏せっていたので、外の景色を見ることが出来ません。大雪を直に見ることも出来ないので、その深さをそばにいる人に尋ねているのです。 (11)風邪を引いて咳をしている子は部屋で寝ている我が子でしょう。退屈している子供のなぞなぞ遊びに付き合っているのですが、子供は飽きもせずなぞなぞ遊びを要求するので、きりがないという意味です。いやがっているのではなく、子供の無邪気さを微笑ましく思っている句です。 (12)冬の大掃除で障子紙を新しく張り替えました。これで新春を迎えられるぞと言う誇らしい気持ちのする、すがすがしい句です。 こんな感じですかね。(8)だけはよくわかりません。金剛がなんのたとえなのかによりますが、「石の上にも三年」ということわざの意味が「石の上」だったとしたら、金剛とは強い意志を持った自分のことかもしれません。自分は小さな存在だが、強い意志を持って自分の道を守っていくというような意味にも取れますね。