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下記の文語体文章の意味を教えてください。
いくつありますが、お願いします。 (1)新義州にて態と下車し、此れより支那苦力の人力車に乗り、鉄橋を渡る。 汽車にては見物が思ふ様にならざれば也。 (備考:この鉄橋の中央は鉄道です。) (2)奉天に著したるは午後六時半、東京時間にては七時半也。何となれば安東縣にて、 一時間繰り上げたれば也。 (3)樓上より、舊式の馬車鉄道の市街を往来するを眺めつつ。 ちょっと多いですが、すみません。
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1。新義州(신의주、日本語読み「しんぎしゅう」、朝鮮語読み「しにじゅ」)で、わざと下車し(=列車から降りて)、これから支那(=中国)人の苦力(=クーリー労働者)の引く人力車に乗って、鉄橋(=鴨緑江の鉄道で渡れば旧満州の安東)をわたる。 鉄道では見物が思うようにいかなからである。 2。 奉天(=瀋陽)に着いたのは、午後六時三十分、東京時間では七時三十分である。なぜなら安東県で一時間繰り上げたからである(=時差のこと)。 3。高い建物の上から、古い形式の馬車鉄道(=蒸気や電気によらないで馬を使う鉄道)が町の中を行ったり来たりするのを眺めながら
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- mnakauye
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こんにちは、 これは満州が存在したころに書かれたものなのですね。 ===== (1) 新義州で、熊さん(呼び捨てにしているので、妻か子供か、自分の家の使用人か?)といっしょに汽車を降りて、そこから中国人の人力車に乗って、鉄橋を渡った。 もしも(2)が続きなら、鉄橋は鴨緑江に架かる橋で、中国、当事は満州国に入ったことになる。 (2)中国の奉天で、これ(本または書き物、あとがきか手紙と思われるもの?)を書いたのは午後6時半で、日本時間では7時半である。というのは、安東縣(当時の満州国の朝鮮に近い町)で(時差を)1時間繰り上げたからである。 (3)滞在している家の楼(少し高い見晴台のようなもの)から旧式の馬車鉄道が走っている町並みを眺めながら・・・・・(書物や手紙の終わりによく各パターン) ===== 訳は以上です。 (新義州は、今の北朝鮮にある中国との国境である川の鴨緑江沿いの町) (安東縣は現在は名前が変わっています) 「熊」は昔は女性の名前にも良くありました。おそらくは奥さんではないかと思いますが・・・・ 「著し」は、現在は書物を書くことの意味しかありませんが、当時は書き物全般を書くことに使っていたと思いますが、確かめてください。 おそらくは2つとも、質問者が読んでおられる原文の前後関係でわかると思います。
- SPS700
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#1です。補足と訂正です。 1。訂正 鉄道では見物が思うようにいかないからである。 が正しいです。お詫びして訂正します。 2。補足 馬車鉄道は、下記をご覧下さい。 http://www.google.co.jp/search?q=%E9%A6%AC%E8%BB%8A%E9%89%84%E9%81%93&hl=ja&tbo=u&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=_i7RUKSqBaScjAKWroEg&sqi=2&ved=0CD8QsAQ&biw=1687&bih=785
お礼
迅速なご回答ありがとうございます。