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本当の自分ではないのでしょうか?

「認められているのは認められようと演じている自分で、本当の自分ではないのよ」 と言うセリフが某アニメであったのですが、 私も認められようと頑張っています。 でもそれって本当の自分ではないのでしょうか? 頑張る自分も本当の自分ですよね?

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  • nung
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回答No.6

何度も済みません。 また、横レス失礼します。 私の意見では、ありのままの自分でいるというのは、「偽りの自分を守るための嘘」をつかないと言う意味であって、自己中心に振る舞うと言うことではありませんよ。 一言で言えば、虚勢を張るなと言うことです。 自己中とは全く逆で、謙虚になりなさいと言うことです。 勘違いさせたようでしたら済みません。 cozycube1さんの謝安は、自分の職責を全うしたのであって、自分個人を守るためにでは無く、国全体を守るために嘘をついたことになります。 これは、方便の嘘です。 私は、全ての嘘を否定するつもりはありません。 あくまで、「偽りの自分を守るための嘘」を否定しているのです。

XQTEKNBMEI
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  • lpgjr
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回答No.7

仏教に近いところを感じます。ある般若心経に関する本で、こう説明されていました。 自己、本当の自分 自我、偽りの自分 恐らく前者は他人の目を気にしても気にしなくても変わらない自分を指しており、 後者は他人の目を気にして行動している自分を指すはずです。 蟻塚でいうなら、本当の自分とは女王蟻であり、本当の自分ではない自分というのは働き蟻であるということなのではないでしょうか。ただ、その女王蟻の自己はいったいなんであるのか?ということにも成りかねますが、

XQTEKNBMEI
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noname#175206
noname#175206
回答No.5

 昔々中国東晋の時代に謝安という宰相がいました。北の大国北魏が百万の大軍で東晋を征すると宣言して南下してきました。東晋政府では大騒ぎとなりましたが、謝安だけはいつもと変わらず様子で政務をこなしています。  これを見た人々は、次第に落ち着きを取り戻しました。謝安は軍に召集を命じましたが、わずか八万しか集められません。軍も民も負け、それも全滅を覚悟しました。しかし、謝安は自分の甥を指揮官に任じ、叔父を副官としました。近親を軍に付けたということは、手柄を立てて来いという意味、人々は勝利できるのではないかと思い始め、落ち着きを取り戻して行きました。  やがて、各地の守備隊が北魏との決戦に加わるべく、馳せ参じてきました。謝安は守備隊に指揮官一人一人に会い、労をねぎらうと、心配はないから任地で勤めを果たすように言って、彼らを全て帰しました。人々はますます勝利を疑わないようになりました。  やがて百万の北魏軍が、東晋軍八万が静かに、しかし自信ありげに布陣して待ち構える大河の向こう岸に到着します。小数の兵で大軍に当たるには相手が半ば渡河するのを待って一撃を与えるのがセオリーです。しかし、東晋軍は迷わず先行して渡河を開始します。  川向うに布陣する東晋軍の様子に同様気味であった北魏軍は、さらに先に渡河して攻め込んでくる東晋軍を見て、混乱状態に陥ります。そこへ東晋軍が突撃を掛けると、北魏軍は崩れて、潰走してしまいます。東晋軍の完勝でした。  この戦勝の報は書面で謝安のもとに届けられます。このとき謝安は友人と碁を打っていました。書面を一瞥した謝安は、何も言わず、表情一つ変えず、碁に熱中しています。友人が何の知らせか尋ねると、「小僧っこが勤めを果たしたようです」とだけ答えました。  友人は、戦勝の報だと察し、辞去して「謝安は驚くべき大人物だ」と感嘆したとのことです。  一方その頃、謝安邸。一人になった謝安は狂喜して「助かった、これで助かった!」と叫びながら、庭を跳び回り、それがあまりにも激しかったので、履物が壊れてしまったとのことです。  謝安は、誰よりも心配で、怖かったようです。しかし宰相たる者が動揺すれば、他はもっと動揺します。だから、こらえにこらえていたわけです。本心のままに言い、行っていたら、このときで東晋は滅亡していたでしょう。  現代でも、「私はありのままの自分でいるようにしている」と言う人の周りでは、最低でも5人が自分を殺して、その人のやりたいようにさせています。  お互いに我を張らないようにしなければうまく行かない、というのは常識と言ってよいでしょうね。  それを考えもなしに否定するのは、まあ中2病といったところかと。「常識を超えた俺ってスゲー」状態ですね。  それでも、「本当の自分」という言い方に学べるものもあって、それは自分に対する判断基準を外に求めすぎないといったことでしょうか。満足とか幸福とか、自分で自分を判断して決めることですからね。つまり主観の世界です。たとえば百人の他人が「お前は不幸だ」と断定しても、自分では気分が良ければ、それで問題はありません。

XQTEKNBMEI
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  • nung
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回答No.4

連投すみません。No.2を改訂します。 自分で読み返してみて、(1)も(2)も両方有りかも知れないと考え直しました。 自分でも訳が分からなくなってきました。 変な私。^^ 以下、改訂版。 多くの人は、理想の自分と、本当の自分を心の中に持っています。 自分がこうありたいと言うのが、理想の自分です。 しかし、嘘をついてまで、周りの人に、あたかも自分が理想の自分の通りであると思い込ませようとすると、深い罠に陥ります。 その場合、それは、理想の自分では無く、偽りの自分です。 例えば、勇気のある自分が理想だが、自分を臆病者だと感じている場合、頑張るとは下記のどちらでしょうか。 (1)自分に勇気があると人に思い込ませるために、完璧に演技をしようと頑張る。 (2)自分が臆病者であると人前で認めた上で、勇気を持てるように頑張る。 (1)の人は、演技をすればするほど、本当の自分が駄目だ駄目だと自分に言い聞かせることになり、自己嫌悪に陥ります。 そして、演技がいつばれるかと、不安で仕方がありません。 しかし、どんなに頑張って演技しても、完璧に演技ができるわけがありません。 ごまかそうとしている限り、いつまでたっても、本当の勇気は持てません。 演技がばれることの不安に、心がとらわれているからです。 実際に演技がばれてしまったら、そこで全ては崩壊します。 但し、最後まで完璧に演じきることができれば、それは、勇気のある人です。 突っ張り通したと言うことです。 そんな人は、本当は自分に勇気があるという事実に気付いていなかっただけなのです。 (2)の人は、自然体です。 人に見せるための努力ではなく、自分で納得するための努力です。 実は、人前で本当の自分を認める事にこそ、勇気が必要です。 そして、勇気のないはずの自分が他人に認められたとき、そんな自分でも良いのだと気づき、自分が好きになれます。 彼はいつか、本当に勇気のある人になれることでしょう。 何の不安も無く、努力に集中できるからです。 アニメのセリフは、(1)の方でしょうね。 あなたの頑張る自分は、(1)(2)のどちらでしょうか?

XQTEKNBMEI
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noname#171881
noname#171881
回答No.3

見かたの問題。 >「認められているのは認められようと演じている自分で、本当の自分ではないのよ」 ◆これはあるキャラのセリフ・・・つまりそのキャラの気持ちです。だから質問者さんではない存在です。 >私も認められようと頑張っています。 ◆これは質問者さんの意見です。 >でもそれって本当の自分ではないのでしょうか?頑張る自分も本当の自分ですよね? ◆これはそのキャラと質問者さんの気持ちを重ね合わせているので、ぶつかるのは当然です。 キャラと質問者さんの思い方は別物。【そのキャラがそう言っているんだから良いじゃないですか・・・というものに反論している】虹にハマり過ぎると、時に現実(自分)が見えなくなりますよ、お気をつけて。

XQTEKNBMEI
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  • nung
  • ベストアンサー率40% (69/169)
回答No.2

多くの人は、理想の自分と、本当の自分を心の中に持っています。 自分がこうありたいと言うのが、理想の自分です。 しかし、嘘をついてまで、周りの人に、あたかも自分が理想の自分の通りであると思い込ませようとすると、深い罠に陥ります。 その場合、それは、理想の自分では無く、偽りの自分です。 例えば、勇気があるのが理想だが、自分に勇気が無い事を知っている場合、頑張るとは下記のどちらでしょうか。 (1)自分に勇気があると人に思い込ませるために、完璧に演技をしようと頑張る。 (2)自分が勇気が無いことを人前で認めた上で、勇気を持てるように頑張る。 (1)の人は、演技をすればするほど、本当の自分が駄目だ駄目だと自分に言い聞かせることになり、自己嫌悪に陥ります。 そして、演技がいつばれるかと、不安で仕方がありません。 しかし、どんなに頑張って演技しても、完璧に演技ができるわけがありません。 ごまかそうとしている限り、いつまでたっても、本当の勇気は持てません。 実際に勇気のある行動ができた場合は、その限りではありませんが。 (2)の人は、自然体です。 人に見せるための努力ではなく、自分で納得するための努力です。 実は、人前で本当の自分を認める事にこそ、勇気が必要です。 そして、勇気のないはずの自分が他人に認められたとき、そんな自分でも良いのだと気づき、自分が好きになれます。 そして、いつか本当に勇気のある人になれることでしょう。 アニメのセリフは、(1)の方でしょうね。 あなたの頑張る自分は、(1)(2)のどちらでしょうか?

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  • ka28mi
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回答No.1

「本当の自分」と「嘘の自分」なんて、分けることがナンセンスだと思います。 仮に「演じている」のだとしても、認められたいと思って演じようとすることも含めて「自分」でしょう。 ただ、ご質問の趣旨からは少し外れますが、 「他人に認められる事」は分かりやすい目標ですが、わかりやすいだけに、それだけを目標にしていると、自分が何を求めているのか、どうでありたいのか、そういった単純なはずの事を見失ってしまう場合があります。 あるいは、相手のちょっとした反応に一喜一憂して、精神的な安定性や自立を欠いてしまったり、なんてこともあります。 「本当の自分じゃない」云々というセリフは、そういったことを戒める意味があるのかもしれません。

XQTEKNBMEI
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