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ほんとの自分は
ほんとの自分は、気が強いのか、弱いのか、 男みたいにしゃきしゃきしてるのか、 女みたいにめそめそしちゃうのか、 わからなくなることってないですか? どっちがほんとの自分かわからないと不安なこともあります。 そんな感じのしたことのあるみなさん、 そのあたりをどうかたづけていますか? 教えてください。
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私もそうでした。どれが本当の自分なのか?偽っている自分なのか? 混乱し、錯乱し、考えても答えが出ずに・・・^^; 全く違うように感じることが、よくありました。 ある場面では、おとなしく、ひとりでいるのが好きな自分。 ある場面では、はしゃいではじけるのが大好きな自分。 でも、自分という人物は「多面体」なのではないか?と思うように なりました。 はっきり言えるのは「今此処にいる自分」だけは、「絶対的」な自分 なのではないか?と思えるようになりました。 過去でもない、未来でもない。昨日でもない、明日でもない。 ”今現在”の自分。 さっきまで、誰かに言われたひと言で喜んでいたかと思うと 今は誰かにされた悪態で、むかついている自分がいる。。 自分の感情、気分、気持ちというのは、「絶対に」移ろうものです。 自然が、1秒1秒移ろうように、私達もまた、移ろう存在です。 ですので、はっきりしているのは「今、此処で感じている自分」だけは 本当の自分であると思います。
ありますよ。みんな両面性を持っていると思います。 自己判断する場合は、どちらかと言えば(気が強いのか弱いのか)で判断するんでしょうね。私は気が弱いけど他人に見せたくないので あえて気が強い人間で通しています。でも気が強いことと しっかり者とは違うので+心配性も入ってます。 どうかたづけるのか・・・ですか。 人前では気が強く、1人のときは気が弱くメソメソ・・・と切りかえています。疲れるんだけどね。
お礼
なやみの途中なので、かんたんにしかいえませんが、どうもありがとうございました。
- hikaru104
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こんにちは 私も同じ悩みを持っています。 自分がわからなくなってきたりとか・・・ 主人によく「器用なようで不器用。強いようで弱い」と言われます。きっと、その時その場所で自分を使分けているのかも。でも悪いことではありませんよ。相手に合わせて気遣いをし、相手のことを ちゃんと考えてるから、自分の中のいろんなスパイスを使分けているんだと思います。でも一番は自分に自身がないのですね。自分を認めてあげるのもいいものですよ。
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なやみの途中なので、かんたんにしかいえませんが、ありがとうございました。
ホントの自分・・・。考えるとちょっと難しいですよね。 ただ、自分が昔読んだ本だったかに印象的な一文があったので、書いてみますね。 「人は、その時、誰と一緒に、どんな場所にいるかでも、性格・喋り方・考え方に影響を受ける。両親といる時の自分、友達といる時の自分とか、全く違うけど、そのどれもが自分で間違いないんだよ。」 あたり前と言えば、あたり前なんだけど、妙に納得してしまいました。 思い出してみれば、両親と友達への喋り方なんて、意識してないのに全然違いますもんね。 自分って、自分だけで決まってるんじゃなくて、まわりの環境にも影響を受けてるんだ、と思わされました。 今では、変な感じだけど「ホントの自分って一つじゃないんだな」と納得してます。
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- Rion4443
- ベストアンサー率16% (87/532)
全部ひっくるめて、それが「自分」 そんな自分もいいもんだ。 って感じでしょうか。 人間ってそんなに白黒はっきりつくものではないですし、 そういう自分を好きになることが一番大切だと思います。
お礼
悩みの途中なので、かんたんにしかいえませんが、ありがとうございました。
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