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本当の自分とは?
最近、「本当の自分」というものに対して悩んでいます。 私は、人間の人格というものが構築される時、基礎になるのは、「親から受け継いだ遺伝的な性格」と「生まれ育った周囲の環境」の二つなのではないか、と考えています。 しかし、そう考えてしまうと人格というのは結局、外部からの影響によって作り出されるもので、どこにも自分自身の意思による「本当の自分、いわばオリジナルの自分」というものが存在しないように思えてしまいます。 「本当の自分」なるものは果たして存在するのでしょうか? そもそも 「本当の自分」とは何なのでしょうか? わかり辛い文章ですいません。
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- -_-1903
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回答とは言えないかもですが、私は人間は遺伝子と外部からの刺激のみで決まっていると思います。なぜか??そもそもこう考えること自体が私の遺伝情報=塩基配列だと思うからです。ここで、また「思う」という言葉を使いましたが、これもまた遺伝子によってコントロールされていると思います。永遠に終わらない、まるで無次元の世界のような気がします。私ほど遺伝子のせいにしている人はこの世にいないと思うので、質問者様はとりあえず安心してください。私みたいにならないように気をつけてもらえれば。”どこにも自分自身の意思による「本当の自分、いわばオリジナルの自分」というものが存在しないように思えてしまいます。”これこそがあなたの意思です。
- tumaritouo
- ベストアンサー率26% (14/53)
貴方は、自分自身に疑いをお持ちのようです。本当は誰でも自分の事を分かっていません。ただ分かったような気持ちに成っているだけ、或いは、深く考え様としていないのかも知れません。「本当の自分とは何だ」と考える時に、心に矛盾があります、その事で悩んでいます。今の現実が自分の人生という気持ちと。本当の人生は他に有るのでは無いのだろうか?という気持ちです。 それは、深く考えた時には、誰しもが抱いている心かと思います。それは、貴方に「真実の人生」を目覚めさせるために、貴方の心の在るものが、貴方にその気持ちを抱かせています。その事を突き詰めてゆく時に、きっと、叶えられるかと思います。 その在るものとは、貴方の中に「限りない愛が在って、世界中の人達と連帯するものが存在する。」という事の証明となるかと思います。その事が分かる時に貴方は「安らぎ」を見つけられます。貴方は「決して孤独にはならない事が分かる時だからです。たとえ、一人ポッチになっても」だから、気長に、あせらないで。励んでください。結論は出なくとも良いと思うくらいに、気長に。
偽物がいないならばあなたが本物でしょう、と言っておしまいで良ければ以下は読まなくてもいいです。 本当の自分というのが少しわかり辛いですね。質問をみるとあなたは生まれや環境、遺伝子やそれらによる人格さえも貴方自身の真なる自由意思で選んだ結果ではないことが悩みなのではないでしょうか。俗に言うアイデンティティーというものがすべて自分以外からの寄せ集めでしかないということが。 それは人間には不可能だと思います。原初の人間も生物も地球も太陽も宇宙でさえも寄せ集めではないでしょうか。ルーツの方に「自分」を求めても何人かが述べているように無意味です。あなたの悩みが無くなる類の答えではないでしょうから。 では未来に求めればあるかと言ってもそちらも同じことだと思います。 あなたも私も膨大というのも愚かしいほど大きな奔流の流れの中では泡沫のようなものです。足掻こうとすることはできますがそれすらも流れの内です。。 質問の答えとしては、あなたが今存在していることこそがあなたにとって「本当」である、ということぐらいしか私には言えません。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
一般的な「本当の自分」は「満足していない自分」が見る「幻想」のようなものだと思います。 言い換えれば「理想の自分」が頭の中にいるのでしょう。 いろいろな原因の結果今の自分がいる。 もし何かを変えたければ新たな原因によって変化させていくしかないでしょうね。 僕は八正道しか有効な道を知りませんから、オススメしますよ。 あと全ての生命はオリジナルだと思いますよ。 そもそもこの生命の感受はほかの生命と共有できないのだから比べることさえ出来ませんしね。
- 参考URL:
- http://www.j-theravada.net/
- baystars41
- ベストアンサー率0% (0/0)
こんばんは。 ー「本当の自分」とは何なのでしょうか?ー 僕は言葉のあやだと思います。「本当」とはどういう感覚を言葉にしたものか?を考えてみました。 やはり、何か自分にとって「絶対的なモデル」が「本当」になりうるのでは、と思います。ということは、何でも「本当」になりうるのです。 僕は「本当の自分」という感覚は、この場合、「自分のやりたいことと実際に行っていることが限りなく一致している」という感覚だと思いますよ。
- ganesha_me
- ベストアンサー率24% (27/109)
そういった感覚にはなることはありますが、 どうもご自身の人格を認めきれていないように受け取れます。 飯を食べる時、茶碗に手を伸ばすあなたは「食べたい」と 思って飯に手を出すのでしょう。 大体において、「自分」という意思はある訳です。 しかし「自分」とは世界においては米粒以下の存在です。 その飯が米粒の集まりでできているなら、 「自分」も似たようなものだと思います。 つまり「自分」とはその程度、されども飯の一部です。 「本当」ということにこだわられているようですが、 本当も何もそこにいるあなた自身が本当の自分でいいのではないですか?
>本当の自分とは? 「本当の自分、いわばオリジナルの自分」と仰っているように、自らのオリジナリティの事じゃありませんかね。 そういう事なら、親と自分の性格的差異、外部の方々との性格的差異、あなたの個性を本当の自分と言うのじゃありませんかね。だって、外部の影響と言いますが、同じ影響を受けても、人によって感想、反応、肥やされる部分は違うのです。同じ入力を受けても違う出力となるのは、あなたの個性としか言いようがありません。 そういったもろもろの個性が、オリジナルの自分と言えるものじゃありませんかね。あなたの本当の自分は、そういう観点から、ちゃんと存在していると思われます。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
現実に、そこで、今を体感しているあなたです。 しかし、 生物は、時空間=エネルギーとこれに対極する気のエネルギーとの三次元の壮大な界面現象なのです。 そこに、だれも自分と言える実存(層)は見あたりません。 あなたがいる(界面)だけなのです。
- nisekant
- ベストアンサー率11% (13/112)
「私:世界=内部:外部」でなく、「意識:それ以外=内部:外部」
- Parismadam
- ベストアンサー率65% (2756/4211)
はじめまして。 ご質問1: <私は、人間の人格というものが構築される時、基礎になるのは、「親から受け継いだ遺伝的な性格」と「生まれ育った周囲の環境」の二つなのではないか、と考えています。> 「遺伝的」で言えば、輸血してもらったことのある人は、他人の血に流れるDNAもある程度受け継いでいると思います。血は体外に出ることなく、一生その狭い体の中で巡回するのですから。 ご質問2: <そう考えてしまうと人格というのは結局、外部からの影響によって作り出されるもので、どこにも自分自身の意思による「本当の自分、いわばオリジナルの自分」というものが存在しないように思えてしまいます。> その疑問は、「ひよこが先か、にわとりが先か」という議論と同じ種類の、空しく解答のない疑問です。 生まれてきたこと自体が、実は魂の「意志」であり、自らがこの両親のもとに生まれることを選んだのです。 生まれた赤ん坊は、泣いて主張することで、生きる意志を表明します。子供の恐怖は死への恐怖であり、それはつまり生きる意志があるということなのです。 そうして、各成長段階で培われた意志が、「自分」を形成しているのです。それこそが、自分の意志による「オリジナルな自分」なのです。 ご質問3: <「本当の自分」なるものは果たして存在するのでしょうか?> 今そこにいる自分、それが「本当の自分」です。「過去の自分」でも「未来の自分」でもありません。「今いる自分」です。それは、揺るぎのない真実であり、「真の自分の姿」なのです。 過去罪を犯した自分が、今罪を悔いている、その時、「本当の自分」は罪を悔いている自分なのです。 将来いい大学出て、出世して大金持ちになろうと決めているが、今は勉強もしないでゲームばかりして成績も悪い。「本当の自分」は、勉強はしたくない、ゲームがしたいという「意志」の働く、「今の自分」なのです。 ご質問4: <「本当の自分」とは何なのでしょうか?> 「真実とは何か」と同じくらい、答えのない質問です。 心理学用語で「シャッフルの窓」というのがあります。この「窓」というのは「心の窓」のことで、それによると 1.「自分が知っていて、他人も知っている自分像」 2.「自分は知っていて、他人は知らない自分像」 3.「自分は知らないが、他人は知っている自分像」 4.「自分も他人も知らない自分像」 という、自分を見つめる4つの窓があるようです。 ご質問で問うているのは、この4番目の窓「自分も他人も知らない自分」のことと思われます。 それこそ、神のみぞ知る「自分」、無意識に支配される「自分」でしょうね。それは、死ぬ時にわかるのではないでしょうか。自分が帰っていく場所・回帰の路が見えるのだと思います。その時、「本当の自分」が垣間見えるのだと思います。 そして、それこそが自分の生を突き動かしていた、得体の知れない「もの」だったことがわかるのでしょう。「人は生かされている」の意味は、この得体の知れぬ「生の衝動」「生の躍動」もまた、「人を生かす」原動力になっていることにも、幾分起因するのでしょう。 以上ご参考までに。
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