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脳の2次元と3次元の処理は同じ?観測とは?
- 脳の2次元と3次元の処理は同じである可能性がある。これはアニメーション・漫画・ゲームの体感と現実世界の体感が同じ経験であることを意味する。
- 量子論において、観測することで物体が現れるという猫理論があるが、具体的な「観測する」とは何かという疑問がある。人は5感を駆使して観測を行っている。
- 脳の処理と観測に関してはまだ不明点が多いが、個人の幻覚体験とも関連している可能性がある。この不思議さについても興味深い。
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>脳の2次元と3次元の処理は同じらしい? まだ分からないことが多いとはいえ、視覚処理に関しては、むしろ2次元の処理しかないと言うべきです。 近距離の物を両眼で見ている場合、左右の眼で見た画像情報の僅かなずれから、距離を割り出しています。 これは脳の内科的調査で分かっていますが、現象的な傍証としては、単眼で見た場合に錯覚するトリックアートなどが知られています。 ある程度以上遠い場合は、左右の眼の画像情報のずれが検出できないため、空気による画像のぼやけ方から距離を割り出しています。 これも脳自体の調査で分かっていますが、現象的な傍証としては、空気の不透明具合の変化や、真空の宇宙での遠距離遠近感の錯覚などが知られています。 そういうことであるため、比較的近距離の2次元画像情報は、平面上の画像だということが脳には分かります。ですので、専用のメガネを使った3Dの映画、TV、ゲームがあるわけです。 もちろん、2次元画像を見て遠近を把握できます。それは、3次元の物を見てきた経験から、2次元画像に類似パターンを見出すことによって理解しています。 2次元画像というものを持たない文化圏の人に写真を見せても、その人には写真が何か理解できません。 もっと根本的には、脳内で認識する視覚情報自体が、生後に他の感覚と協働しながらの経験によって、現実との対応が取れるようになります。 これは生来の視覚障害を治療された人のケースから検証されています。また、上下逆転して見える眼鏡を装着した実験なども傍証となっています。 視覚情報を脳が認識するとき、線に置き換えていると言う学説、何らかの方法で情報を圧縮しているという学説、その他の学説がいろいろあります。一つだけ確かなことは、「そう見えるよう訓練したら、そう見えるようになる」ということです。奇妙で分かりにくい言い方ですけど、脳の認識自体が奇妙なもののようなので、仕方がありません。 >観測とは? 観測は対象物体に影響を与えることなしには行えないということです。つまり、観測も観測側だけで成立せず、相互作用の一つだということです。 これは脳で認識することに依存するかどうかは、未解決の問題になっていて、「量子力学の観測問題」あるいは「量子力学の解釈問題」と呼ばれることがあります。 シュレディンガーの猫は、量子力学の基礎となるシュレディンガー方程式を導出したシュレディンガーが提出した、確率的現象が世界の根本だとする量子力学に対する疑念を端的に表すものです。 ミクロな世界で確率的現象が支配的な影響を持っているとすると、物理学的に全く問題がない工夫をすることによって、50%は元気に生きていて、同時に50%は完全に死んでいる猫というものが、猫を観測していないときには存在することになる。そんな猫はあり得ない。 そういう論証です。この論証は検証できません。なぜなら、猫を観測していない間に猫がどうなっているかというものなので、確かめようがないのです。 それでも、これに対しては主な解釈は二つあります。 一つは、「その通り。50%は元気に生きていて、同時に50%は完全に死んでいる猫というものは実在する」というものです。 もう一つは、「そういう猫はあり得ない。しかし時々刻々、この世界は確率にしたがって分岐して増えて行っている」というものです。 どちらなのかは、結局は判定のしようはありません。そういうものは、観測して始めて分かるのですが、観測すると猫は生死のいずれかに確定してしまうからです。 しかし、それでも「では、観測ということが成立するのは、どの時点なのか?」という問題は残ります。人間の目に情報が飛び込んできたときなのか。人間の脳が現象を認識したときなのか。人間の代りに猫やビデオカメラが観測者だったらどうなのか。 こうしたことも全く分かっていません。なぜなら、仮にビデオカメラで観測したとしても、そのビデオカメラに収められた映像を認識するのが人間であるため、ビデオカメラの映像を人間が認識したときに観測が成立する可能性があるからです。 おそらく、永遠に確かな答えは分かりません。なぜなら、そういうことがどうなのかを判定するのが、当の人間自身だからです。「それはどうなっているのか?」を追い求めて行くと、堂々巡りしてしまうわけです。 喩えて言うなら、地球上で地球の果てを求めて、いつまでも地球という球面の上を歩き続けるようなものです。歩いて行くと、世界を一周して、元の場所に帰って来てしまいます。 >何かこれって、不思議です。私の幻覚体験とも関係ありそうですが・・・。 精神医学を始め、脳についての科学で見てみると、ほとんどの人で幻覚がほとんど起こらないということは奇跡的と言うしかありません。 視覚や聴覚だけでなく、五感全ては、単純に刺激を受け取っているのではなく、非常に高度な情報処理がされてから、意識で認識しています。 たとえば視覚ですが、目は単純なレンズでしかありません。見つめている物以外はぼやけた映像情報なのですが、画像処理が行われて、見つめている物以外も鮮明な映像になって認識しています。 上下が逆さまに見える眼鏡を常に装着しても、2~3日経てば上下が逆ではないように見えるようになります。このとき眼鏡を外すと上下が逆になって見えます。外したまま2~3日経つと、元通りの普通に見えるようになります。 これを脳の側からすると、脳はあり得ないものをイメージする能力があることが知られています。 ある実験例では、睡眠中の人に「正三角形で円の図形」と何度かささやいてから、起こします。 すると、「夢で不思議な図形を見た。正三角形で円の図形だ」と言います。 紙と鉛筆を渡して、その図形を描くように頼むと、その人は描けません。 その人は首をかしげながらも、「描けないけれど、そういうものが確かにある」と、確信を持って主張します。 脳が何をどのように認識するのか、分かっていることは少なく、まだまだ未解明のことが膨大にあります。
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- miko-desi
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生体の本質として「自己モニター化(回復維持装置)」があります。 これを機能といわず感覚の類に入れるなら 神経系消化器系も循環器系も脳とは別次元で独自の感覚を持っていることになります。 常に外部と内部の環境に対応し情報を交換しつつ、 同時に自らの判断で自己復元に活躍している自己モニターは「皮膚」ですね。 皮膚の発生は脳と同じでありながら、脳より強固な自我を持つと云わざるを得ません。 エネルギーや情報処理能力の高い皮膚というのがあれば色や温度も識別するかも。 しかし皮膚に二次元が捉えられるかというと 触れないもの、幽霊とかに触感の報酬系になるものは見つけられないと思います。 脳の報酬系は現実に即しておらずとも「思い込む」ことで安心を経験したり 所詮「自我らしきもの」という程度になるんじゃないでしょうか。 自由観測も妄想もありですけど。
お礼
皮膚ですか、意外です。 色々なもので、観測しているのかもしれませんね、 ありがとうございます。
- el156
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No.5 & 8の回答者です。 表題に囚われて後半の質問を読んでおりませんでした。 人は、「観測している」というよりも、もっと能動的に、環境の中から意味を探索しています。 何かを見るということは、一瞬の静止画のようなものを見るわけではありません。目は動く眼球持っていて、動く首の上の頭についていて、その頭は動く身体についています。人は眼球を動かし、頭を動かし、身体を動かして、環境の中から意味を探索しています。行動無しには観測することができませんし、観測によって次の行動が変化して、その繰り返しが環境の中から意味を発見します。行動と観測は切り離すことができません。リンク先の質問も参考になるのではないかと思います。
お礼
ありがとうございます。
- el156
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No.5です。 「脳は元々3次元の処理しかしていない」という私の回答が、圧倒的に不利なようなので、少し補足させて下さい。 例えば長方形のテーブルがあったとして、それが現実のテーブルであれば、誰もが長方形だと認めるでしょう。 ですが、そのテーブルを周囲の100人が見ているとして、200枚の網膜に映る実像は全て不等辺四角形です。 しかもその不等辺四角形は100人全てで互いに異なる形で、かつ常に変形していて、歩き回ったりすれば各辺の長さと角度はめまぐるしく変化します。 だいたいにして、長方形のテーブルを、2次元の長方形の網膜像として捉えたことは、私の一生の中でも一度も無いのではないかと思います。 2次元の歪んだ像をまず捉え、座標変換して頭の中の3次元空間に長方形のテーブルを創り出す、そういう作業を私たちは頭の中でやっている、そういうふうに考えることも可能でしょう。 ですが、そうではなく、一旦2次元の歪んだ静止画を介すること無く、動く光の肌理が為す構造の中から、長方形のテーブルを直接認識する、という考え方もあります。 ジェームス・ギブソンの「生態光学」は、そういう考え方だと思います。
お礼
ありがとうございます。 私の幻覚体験としては・・・2次元のとあるアニメキャラクターが、 笑っていいともに出ていました。3次元。2次元→3次元の処理が行われていた、というのはあると思いますが・・・。 また、本物の建物→幻覚の建物→本物の建物、と変化していました。 幻覚の中身は、ジュース売り場や、ファミリーマート、???など。 アニメの中の建物、マンションもありました。 つまり、幻覚=自分の脳の中の記憶、だということは言えそうです。 ですが、所詮、一時的なものだったので、ただの病気=幻覚、ということは言えると思います。 問題は、ただの幻視ではなく、幻触、ドアを開ける、階段を登る、お湯のシャワーを浴びるなどが、幻覚の建物内で可能だったことです。また、その中の幻覚の人=本物で、触ることも可能だった、ということです。 このことから、通常の幻覚とは異なるようですが、何もわかりません。 しかし、私の脳の記憶だったことから、私の脳の異常だった、ということは言えそうです。 (他、私のPCの幻覚異常もあった) 現実は、1人1人違う、ということの証明になるのかもしれませんが、 現実は、皆同じ1つだけ、という感覚の方が強いのも確かです。 言えることは、脳の処理が正常か異常かわかりませんが、特殊なものだということも確かだと思います・・・。
- kanto-i
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アンドリュークレランドの量子実験において、観察者がいない場合二つの事象が同時に存在する という実験物理学で証明がなされました。 http://sci-tech.jugem.jp/?eid=1880 シュレディンガーの猫のたとえは、個人的にはあまり適切には思えませんが 言いたいことは、部分的な解釈だと捉えています。 幻覚・幻聴は、事実認識を避けていると起きますので 推論による嫌な想像を、一つ一つ事実に置き換えていくと収まりやすいです。 それでも、少なくとも数年はかかると思います。 大変でしょうが、乗り越えられるといいですよね。
お礼
ありがとうございます。 そのURL先の研究は凄いと思いました。
- el156
- ベストアンサー率52% (116/220)
脳は3次元の処理しかしていないのではないでしょうか? 2次元を意識し始めたのは、「絵画」が発明されて以降のことではないかと思います。 網膜にできた像は誰も見ていません。網膜はやって来る光の方向を認識するためにあります。 奥行きを認識せずに2次元を認識するというようなことがあるのでしょうか? 少なくとも人間以外の動物は、常に3次元なのではないかと思います。 見たものがどの方向にあるのか、どれだけ遠いのか、近づいているのか、遠ざかっているのか、 どのような色、どのような肌理を持っているのか。 そういったことを2次元など意識せずに、認識している、と思います。
お礼
無意識に、2次元と3次元として処理していると・・・。 ありがとうございます。
- bokeyu
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>量子論で、「観測することで物体が現れる」という猫理論?wがありますが、シュレディンガーの猫。 それで、「観測する」って、何ですか???・・・・・ (猫が死んでいるか生きているか)という波動関数の収束が、実はそういう判断を下す人間の脳の中で行われる、ってことじゃないの。
お礼
現実というより、脳の中で行われるということでしょうか。 ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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「二次元と三次元を同じ処理する」といっても、そもそも二次元とは 視覚を意味し、五感のうち他の四感が欠落している。 あくまで五感の相関した経験の蓄積において、その後に感受した 視覚的刺激(二次元)によって、三次元的体験によって形成された ニューロネットが励起される、という話である。 最近の「早期教育」とやらで、幼児期に五体・五感を使って遊ばせ ずに座学をさせると、一見頭の良さそうな行動をとるが、応用力や 意欲に乏しく、キレやすい子供になる、という報告を見た事がある (その時、『それは今の日本社会全体の症状だ』と思った)。 同様に、子供の頃からゲームやマンガで育つと、それは大人が それらで遊ぶのとは全く異なる精神を育む事になる。
お礼
3次元的行動が大事だと。 ありがとうございます。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
視覚処理の話だということを見落としています。視覚情報の認知プロセスのことです。 目から入ってきた情報は網膜に像を映すので、必ず二次元なんですよ。それだけのことです。 体感や経験は、また別の問題です。記憶や概念や予測が絡んだ、複雑なスキーマやモデリングの問題です。 *** 観測は、視覚で対象を保持する作業なので、聞いたり触ったり嗅いだり味わったりはしません。 *** 幻覚について重要なのは、いろいろな原因があるにせよ、はっきりした機序はわかっていないということです。 そして、医学や脳科学でわかることというのは、発生の条件と作用、つまり「どのように」であり、それ以外の何でもありません。 「なぜ」という部分は、ずっと抱えていくのです。
お礼
>観測は、視覚で対象を保持する作業なので、聞いたり触ったり嗅いだり味わったりはしません。 ということは、目、視覚情報が重要なのですかね。 ありがとうございます。
- tonimii
- ベストアンサー率30% (185/607)
脳はいつだって2次元処理しかしてませんよ、それを連続的に行うことで時間軸があるようにみえて、前後の判断を脳がしているので擬似的に3次元に感じているだけです。 観測は文字通り目で見て測るので、見たら確認が取れた、証明されたということです。 幻覚は脳がバカだからです。 脳はよくも悪くも曖昧に作られています、不備があれば想像で補おうとしますし、記憶が忘れることもしょっちゅうあります。 習慣づいていることですら、ぽっかり穴が開いたように忘れてしまうこともあります。 逆も然り、無いものがあると言う風に感じることもあるのです。それが嘘の記憶や幻覚、想像妊娠、妄想などです。 目で見たもの、耳で聞いたもの、肌で触れたもの、それらを脳は処理しています。単独ではなくすべてを混ぜ合わせて考えています。 もちろん、その時点だけで処理しているわけではなく、人間は学習するわけですから、過去体験の記憶と照らし合わせたり、その結果から予測される未来を想像したりするわけです。 風船に針を突き刺す映像を見せて、風船に針が刺さった瞬間に映像が消えると、一部の人は風船の割れる音が聞こえたという実験結果があります。人間の脳はすごくファジーなものです。
お礼
人間の脳は様々な処理をしているのですが、 曖昧なんですね・・・。。。 ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 シュレディンガーの猫はまさにそういうことを聞きたかったのです。 脳はまだまだわからないことが多いようですが、面白いと思います。