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交流分析、キック・ミーについての疑問
キック・ミーを仕掛けられた側の態度として、肯定的な態度を取る事が解決方法としてあることを知りました。 ですが、どうしても解決すると思えないのです。 キック・ミーを仕掛けた側は、私はダメな人間であるという証明をしたいわけですから、キック・ミーに反応している時点で、相手の要求を満たしてしまっていると思うのです。 仕掛けられた側が、キック・ミーで頭に来る行動を繰り返されているのに、怒らず肯定的な態度を取り続けたとして、それは共依存的な関係に陥っていると言えないでしょうか。 交流分析というのは、信用できるものなのでしょうか?
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- kanto-i
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分析は、相手を知ること・理解を深めることだと思います。 分析にも様々あり、一側面を知るのみです。 しかし、そこからが出発点です。 一つの分析にのみ、知ることを頼ってレッテルを張ることが危うい時もあります。 多くのことを学んで、多角的に視ていくことが大切かと個人的には思っています。 遅刻ですが、私なら話しを聴きながら 最後は自分で方法を考えてもらいます。 途中経過は、相手とその時の状態・状況次第ですので書くことはできませんが。 私は相手に、「こうすればうまくいく」的な話しはしません。 考えるのを手伝うだけです。 遅刻する人が、「目覚ましを沢山セットする」を思いついたならやってもらう。 できなければ、別の方法を一緒に探す(考えるのを手伝う)です。 それを、できるようになる方法が見つかるまで繰り返していく。 方法は時間内に、できるだけ数がでるようにするだけです。 親しい相手は難しいですが、ちゃんとやれるカウンセラーは クライエントと心の距離が取れるので、怒ることはないですし嫌な思いもしていません。 方法を探す方向へ徹することができるのです。 相手を理解し、答えを引き出す。 私の場合は、そんな方法を取ります。 交流分析は人に使うより、自分が間違った交流をしないようにと使うことが多いです。 相手の考えや人格を尊重し、尊厳を守ることに注意するためです。 できるようになるまでは、かなり修行だと思います。
- kanto-i
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キック・ミーは、自己肯定感が足りないので相手に求める行為だと思います。 たとえば 「私は駄目な人間です」 「そんなことないよ。こんなにいい所があるじゃないか」 と、自分の良さを認めて欲しいときに出ますよね。 その時に肯定的な態度というのは、「あなたは素敵だよ」とか 「あなたはできる人だよ」的な肯定的もあるとは思いますが それだとおっしゃるように供依存的になったりする場合がありますよね。 私が思ってやってることは、「相手のあるがままを肯定する」です。 今できていることOK、今できてなくてもOK どこがOKじゃなく、存在してることがOKなのです。 「私はOK 他者もOK」を出すことです。 i'm ok you're okと言われたりもしますよね。 そういう私になることが、大切であり そこまで行きつく大変さはありましたが そこまで行けば、キック・ミーに巻き込まれず信頼関係なども壊すことがなくなりました。 (会って話しができる交流関係の上です) 分析は分析であり、対応は対応で別なので自身で身につけるしかないと思います。 どんな対応が適切かは、あれこれやってみて自分で身につけていくものだと思います。 私としては交流分析は、とても役に立っています。 信用できるかできないかは、ご自分でどんどん使ってみて それから判断されるのがいいのではないでしょうか。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 私には、必ず遅刻をする友人と付き合い続けてきました。遅刻についても、指摘はしていました。親しい間柄でしたので、様々な話を肯定的に聞いてきたつもりだったのですが、変わることはありませんでした。何年も。 この考え方でいくと、他の交流分析もそうなのですが、嫌な思いをしている方が、耐えるしかないような気がします。 カウンセラーとしてなら、このような方法もあるのかなとは思います。 分析は、分析であって、万能ではないですね。
お礼
度々ありがとうございます。 私は、そこまでできませんでした。 共依存状態であることと、変わらない気がしたからです。 私も、自分が間違った交流をしない(仕掛ける側に回らない)ために、勉強になりました。