• 締切済み

交流分析に詳しい方、教えて下さい。

お世話になります。 以前、こちらのサイトで教えて頂いたのを切欠に、交流分析に興味を持った者です。 何冊か本を購入して勉強しているのですが、わからないことがあるので再び質問をさせて頂きます。 NP(養育的な親)の自我状態とA(大人)の自我状態を同時に持ちながら、他者と交流することは可能でしょうか? もし、この二つの自我状態を同時に持てるならば、(個人的には)理想的な自我状態のように思うのですが、 NPは感情的で、Aは理性的なイメージがあり、根本的に無理なようにも思いますし、 ヘタなことをしたら中途半端になり、何らかの不都合を来たすような懸念もあります。 この二つの自我状態を同時に持ちながら、他者と交流することは可能でしょうか? それが可能なら、そのような自我状態を形成するのに資するアドバイスを頂けたらと思います。 また、同時に持つことに不都合があれば、教えて下さい。 どうぞ宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.5

> バーンの三つの円のお話は、AとPまたはAとCを共存させるのではなく、(つまり円を交わらすことなく) > C→A、P→A、A→P等と、自我状態を(円が交わらないように)パッパッと切り替えることのできる人間が健全、 > と言うことですよね? だとすれば謎が解けました。 言わんとすることは、一緒かもしれませんが、円が交わっては、「汚染」になりますが、 接点を持たず、円が離れていると、エネルギーの交換ができないとバーンは考えていたようです、 その為、PACの三つの円は、接点をもっている必要があります、この接点を通して、エネルギーが流れ、 状態が変わる(変える)と、TAでは考えられています。 ※この自我状態を切り替えることを、「オプション」と呼んでいます。 そして、このPACの外側の線(大きな円で表記されたりもします)を、 バウンダリー(境界)と呼び、他人からは、内側のPACは見えませんので、行動や言葉で、 内側のPACを判断し、それを「やりとり分析」と呼びます。 今回の【1】の回答をもう少し正確に言うと、NPとAを同時に高めるのは、簡単に出来ますが、 まったく同時に、NPとAを出すことは出来ません、バウンダリーからの出入り口は、1つだけなので、 「大丈夫?」とか「休みが必要だね!」とかの、一区切りの言葉には、PACのうちのどれか1つの状態のから 発せられるものだからです、「かわいそうに、休みが必要だね…」というなら、 前半はNPで、後半部分はAからの発言となります。 このPACの三つの円の中を淀みなくエネルギーが流れることを、 (上記の「パッパッと切り替えることのできる」状態ですね)健全な状態と呼んでいます。 前回、A以外で対応すると上手く行かないと書いたのは、少し誤解を招いているようなので、 補足させてもらいますと、例えば「お前が、遅いから仕事が進まないだろう!」と CPから発せられた言葉は、「スイマセン!」と一度、ACで受け、その後で 「○○が○○の為、遅れています。」とAへ「オプション」しなければ、上手く行きません。 「そんなこと言ったって、○○が遅れているんだから…」(RC)とか、「私が悪いんです~」(AC)では、 問題は解決しません。 このように、一度、相手の求めている感情的な部分を、A以外の感情的な部分で受け止めて それから、Aへ「オプション」することが、問題解決への道なのです。 これが「PやCで対応することでは、上手く行きません」の意味です。 相手の非効率的な状態、PやCからの言葉や状態を、PやCで、十分に受け止めてから、 Aへ「オプション」しないと、相手とのコミュニケーションは上手く行きません、 これを意図的に上手にやるのが、カウンセラーの手法(技術)でもあります。 「おまえは俺を馬鹿にしているのかぁ!」と相手が怒っているときに、 いきなりAで「何故そう思われるのですか?」と訊くと、余計に怒らせてしまうことも考えられます。 「いえ、いえ、馬鹿にしているんじゃないんですよ」と言葉と態度で、キチッと相手を受け止めて、 ちゃんと相手が落ち着いたなと観察してから、「何故、(あなたを)馬鹿にしていると思われたのですか?」 または「私のどんな態度が、あなたを怒らせたのでしょうか?」「今後の参考の為にも教えて下さい」と Aに「オプション」します。信頼関係が構築されえていれば、相手は、こちらのオプションに応じて、 Aからの回答を返してくれるはずです、もしも、Aで答えてくれないならば、 まだ完全に相手の感情を受け止められていないので、感情を受け止める努力をします。 > 相手の『非効果的な自我状態』は、自分の『非効果的な自我状態』の反応(自然な反応)を引き起こすのに、 > どのようにすれば、相手の『非効果的な自我状態』に、自分の『非効果的な自我状態』を反応させずに、 > A等『効果的な自我状態』の反応(人為的または操作的な反応)を引き起こすことができるのだろう? 最初の一行の前提について、異論があります。 相手の『非効果的な自我状態』は必ずしも、 「自分の『非効果的な自我状態』の反応を引き起こす」訳ではありません。 ふたりが同じ種類の非効率的な自我状態を持っているときに、 相手の『非効率的な自我状態』が自分の持つ『非効率的な自我状態』共振または、反応しているだけです。 例えば「怒り」を持つ人が、怒っている人を見たときに、見ただけなのに、自分の中の「怒り」が反応します。 健全な心理状態の人間や「怒り」を持たない人間には、「何故、怒っているのだろう?」としか考えません、 普通、人は、自分の怒りか他人の怒りかを検証しませんが、カウンセラーの訓練では、 依頼者の怒りなのか、自分の(中にある)怒りかを検証して、分離できるようにします。 健全な自我状態を持っている人間は…もしくは、健全な自我状態を維持しようと努力している人間には、 相手の『非効果的な自我状態』が理解できるだけで、そこに自分の非効果的な自我状態で反応するのは、 Aが機能していないか、Aが汚染の状態にあると考えられます。 その為、自分自身の「非効率的な自我状態」に自分で気づき、それを起こしている「ストロークの癖」、 至り易い「心理ゲーム」、「ミニスプリクト」「人生脚本」を変えていくことで、 相手の『非効率的な自我状態』に操作されることのない、自分(自律した自分)がつくれます。 またまた、長く成りました、削除されないうちに保存してください(笑) あと、忘れていました、書籍のタイトルを教えてください。

noname#73399
質問者

お礼

度々のご回答ありがとうございます。 たいへん参考になりました。 お蔭様で、質問【1】の謎は完全に解けました。ありがとうございました。 (しかし、新たな興味がw 接点を通して流れる『エネルギー』とは、何のことですかね? フロイトの言う『リビドー』みたいなものでしょうか?) 『バウンダリー』『オプション』等の知識も参考になりました。 「A以外で対応すると上手く行かない」の誤解の件も、了解致しました。 >このように、一度、相手の求めている感情的な部分を、A以外の感情的な部分で受け止めて >それから、Aへ「オプション」することが、問題解決への道なのです。 これは自己を内省したり、過去の経験を踏まえて考えると納得できます。 勉強になりました。 >ふたりが同じ種類の非効率的な自我状態を持っているときに、 >相手の『非効率的な自我状態』が自分の持つ『非効率的な自我状態』共振または、反応しているだけです。 と言うことは、この場合の「自我状態を持っている」とは、 『バウンダリー』の出入口に現れている自我状態、と言うことですよね? うーん(考え中) >健全な自我状態を持っている人間は…もしくは、健全な自我状態を維持しようと努力している人間には、 >相手の『非効果的な自我状態』が理解できるだけで、そこに自分の非効果的な自我状態で反応するのは、 >Aが機能していないか、Aが汚染の状態にあると考えられます。 申し訳ありませんが、この部分は全く理解できません。 これは下記の事実を踏まえて考えると、誰もが反応する、と言うことになりますよね? >厳密に解釈すれば、私たちは、程度の差こそあれ誰もが「汚染」を持っています。(NO.4の回答) 参考書籍『よりよい人間関係とコミュニケーションスキル』 エーブ&デービッド・ワーグナー / 著 株式会社 チーム医療 / 発行

noname#73399
質問者

補足

『交流分析に詳しい方、教えて下さい。【2】』について。 4月9日に削除された質問『交流分析に詳しい方、教えて下さい。【2】』が、本日(4月23日)復帰しました。 ご回答を頂けた方々、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。 サポート担当者様、ご理解と適宜の処置に感謝致します。ありがとうございました。 『交流分析に詳しい方、教えて下さい。【2】』 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3924486.html

回答No.4

parpur3さん、こんにちは、忙しさにまぎれて、中々書き込めない間に 【2】の質問がなくなってしまいましたね、一応、自己解決したとの補足は読みましたが 先日、また師匠に、「もっと詳しく丁寧に(正確に)説明しろよ~」と起こられました(笑) PやAなどの、ネガティブな面、とかポジティブな面というものは、 機能的な側面から、評価したときに表れるもので、 決して、PやAやCそのものに、ネガティブな面などがある訳ではないということです。 TAでは、基本的な見方として、人間を三重人格と捉えています、 ひとりの人の中に、Pの人格、Aの人格、Cの人格を持っているとの考えです。 この場合の、P・A・Cは、それぞれの人格や性質をあらわしていて、 良いとか悪いとか(評価)はありません(…というかしません) この前の回答の車の例えでいうなら、Pは、トラックとかAは乗用車でCはスポーツカー… というような、車種の違いをあらわしているだけです。 その車種ごとの、利点や害を、機能的、非機能的と言い表します、 この意味で、parpur3さまの言われるように、TAの一般的な説といえます。 他人との交流(交流分析ですから)からみると、機能的に働く部分とそうでない、 非機能的な部分があらわれます、そこを、P・A・Cの「否定的な側面」と表現しています。 わたしの理解の不足やparpur3さまの理解の問題もあると思われますが、 この辺の、本体と機能的側面を一緒にされるたり、言葉を変えられると 折角のご質問の意図が通じ難くなってしまいます。 「値引き」の件ですが、本にそう書かれているなら、仕方のないことと思いますが、 不特定多数の見るこういった場で、単に値引きと書かれると、TAの知識のない方には、 (バーゲン?とか)様々に捉えられてしまう可能性があり、意図したことが伝わらないが 高いのでは…と思いました。この場合、できれば「」付きで、「値引き」と書かれると、 何かの専門用語かなと、とらえてもらえるのではないか、と思います。 繰り返しになりますが、NPは、感情的ではなく、それでいうなら同情的ですね、 CPとCが感情的な部分につながり、Aは冷静さ、感情を含まない部分です。 その為に、PがAを侵すこと、CがAを侵すこと(必ずAが侵食される側です)を「汚染」と呼びます。 本来は感情的な部分を持たないはずのAに、感情が入り込むことを「汚染」と呼んでいます。 AがPに侵食されると、PがAを汚染すると、「偏見や盲信、過保護」になり、 CがAを汚染すると、「妄想的、非現実的」になって「神の声を聞いたり、殺せ!と声が聞こえる」とか 「誰かが(私を)殺そうとしている、皆が(私の)噂をして笑っている」とか言い出します。 「汚染」は、Aが機能不全になることとも言えます。 創始者のバーンは、PACの三つの円が接していて、決して一方の円が他方に入り込まない 人間を、健全と捉えていたようです。厳密に解釈すれば、私たちは、程度の差こそあれ 誰もが「汚染」を持っています。この「汚染」がひどくなると、被害妄想や精神病と呼ばれる 病気ということになります。 「良いコミュニケーションの為にどうしたら良いか?」の答えは、 OKポジションは、前の回答に書きましたが、PACでいうなら、 (上の「汚染」の裏返しになりますが)Aを働かせることです、 相手が、怒っている、コミュニケーションを拒否している、閉じこもっている、 この様な「非機能的」な状態に対し、PやCで対応することでは、上手く行きません、 PやCで対応すると、「ゲーム」になって行きます。「相手は何故…(怒る、閉じこもる) そういう行動をするのか?」感情に振り回されずに、しっかりと相手の状況を確認し、 とるべき行動を選択(重要!)することで、機能していないやりとりを、機能的なやりとりに 変える事が出来ます、このことをTAでは、「自律性」を高めると言いTAの目標でもあります。 長く成りました、こんなところで…

noname#73399
質問者

お礼

harrywithersさん、こんばんは。 いつもありがとうございます。 お忙しいのにスミマセン;; 質問『交流分析に詳しい方、教えて下さい。【2】』は削除されてしまいました。 削除通知メールに記述された削除理由を読む限り、サポートの担当者様に誤解があるようなので、 その旨をメールで伝えたのですが、残念ながら返事すら頂けませんでした。 回答して頂いた皆様に、この場を借りてお詫びさせて下さい。 私が誤解を招くような質問をしてしまった為に、貴重な回答を削除されてしまいました。すみませんでした。 (あっ それと、自己解決したのは『汚染』についてです。【2】の質問は謎のままです) 本体と機能的側面~ について わかりやすい説明、ありがとうございました。 私の読解力が弱いのか、私が読んだ書籍の記述に問題があるのかわかりませんが、harrywithersさんの説明は理解できました。 『値引き』について 括弧に関する助言、ありがとうございます。今後はそのようにさせて頂きます。 『汚染』について 参考になりました。 バーンの三つの円のお話は、AとPまたはAとCを共存させるのではなく、(つまり円を交わらすことなく) C→A、P→A、A→P等と、自我状態を(円が交わらないように)パッパッと切り替えることのできる人間が健全、 と言うことですよね? だとすれば謎が解けました。 「良いコミュニケーションの為にどうしたら良いか?」の答え について おっしゃる意味は理解できるのですが、私が【2】の質問で知りたかったのは、 相手の『非効果的な自我状態』は、自分の『非効果的な自我状態』の反応(自然な反応)を引き起こすのに、 どのようにすれば、相手の『非効果的な自我状態』に、自分の『非効果的な自我状態』を反応させずに、 A等『効果的な自我状態』の反応(人為的または操作的な反応)を引き起こすことができるのだろう? と言うことです。 (うーん、これでは前回と殆ど重複ですよね。どう説明すれば良いのだろう;;) 今回も丁寧に教えて頂きまして、ありがとうございました。 お師匠さんにも、よろしくお伝えください。

noname#73399
質問者

補足

お礼欄に記述した内容に補足します。 「良いコミュニケーションの為にどうしたら良いか?」の答え について 私が読んだ書籍では、『非効果的な自我状態』の相手に対して『効果的な自我状態』 で対応することを推奨していた(例外あり)為、【2】の質問では、それを前提に話を進めましたが、 今回明らかになった harrywithersさんの説は、「『非効果的な自我状態』の相手に『A』で対応する」 (つまり、『A』以外の『効果的な自我状態』で対応することは否定する)と言うものですので、 ここでは『A』で対応する方法に絞って質問することにします。 まず、交流分析には「相手の『非効果的な自我状態(否定的感情的自我状態)』は、 自分の『非効果的な自我状態』の反応(自然な反応)を引き起こす」 と言う説があるわけですよね。 つまり「『非効果的な自我状態』の相手に『A(理性的な自我状態)』で対応する」と言うことは、 「自然な反応を引き起こさせずに、人為的な反応を引き起こさせる」ということですよね。 私が知りたいのは、その方法と理論です。 どのようにすれば、『非効果的な自我状態』の反応(自然な反応)を引き起こさせずに、 『A』の反応(人為的な反応)を引き起こすことができるのだろうか? と言うことです。 どうぞ宜しくお願いします。

回答No.3

> この二つの自我状態を同時に持ちながら、他者と交流することは可能でしょうか? 普通に可能です、実際にそういう方も、そこら大勢居ますし。 NPとAはなんら矛盾するものではありません。 母は子の為に、毎日食事をつくります、それは、NPそのものですし、 健康に良いメニューを考えるのは、Aの働きです。 > NPは感情的で、Aは理性的なイメージがあり… 感じて他人の為に動くのがNPで、理性そのものがAです。 A自体は意思を持ちませんので、どこも矛盾しません。 NPを上げる方法は、単純に言って、人の手伝いをすること、ひとの役に立つことをすることです、 本を読んでいるよりは、隣の人の手助けをすることです。 そして、手助けをしながら、どうすれば、本当に(根本的に)この人を助けられるか? その方法は、どの方法が一番良い方法なのかを、考える癖をつけると、Aも上がります。 地球温暖化を防ぐ、ボランティアなど如何でしょうか? どうすれば、利権にまどわされず、他人に操作されずに、 効果的に地球温暖化を防げるか、行動しながら考えるとよいと思いますが… 不都合があればAが気づきますので、不都合はありません。 --------------------------------------------------- AにNPなどが含まれる時、汚染といって病気の状態です。 NPに、ポジティブやネガティブもありません、 善悪の評価は別のことです。善悪をいれると普遍的な科学ではなくなりますので…

noname#73399
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 以前は、交流分析を紹介して頂きまして、ありがとうございました。 NPとAの共存は可能なのですね。了解しました。 NPやAを上げる方法も勉強になりました。 >AにNPなどが含まれる時、汚染といって病気の状態です。 すみませんが、こちらについて、もう少し詳しく教えて頂けたら助かります。 AとNPを同時に持つことと、AにNPが含まれることとは、どのような違いがあるのでしょうか? その『汚染』についても、もう少し詳しく教えて頂けたらと思います。 >NPに、ポジティブやネガティブもありません こちらについても教えて頂けたらと思います。 私の読んだ書籍にも、CPとNPには肯定的な側面と否定的な側面がある、 と言うのがTAの一般な説である旨が記載されているのですが、これはまた別の話でしょうか? ご多忙のところ大変恐縮ですが、どうぞ宜しくお願いします。

noname#73399
質問者

補足

お礼に補足させて下さい。 『汚染』に関しては自己解決しました。 私が抱いていた懸念は、まさに『汚染』のような状態です。 特に念頭にあったのは、感情と理性が衝突するタイプの『汚染』です。

回答No.2

Aの自我状態の中にはNPもある部分含まれていてそのときその場面でのバランスですよね。人は常に理想的な人でいなければならない理由はありません。エゴグラムをやればわかりますがいつでも同じでは無いですしNPでもネガティブかポジティブかによっても交流が変わります。 この二つの自我状態を同時に持っていてもその状況やコントロールを することによって交流は可能です。 チーム医療・交流分析学会参考になると思います。

noname#73399
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 AとNPの共存は可能なのですね。 参考になりました。

  • hipotama
  • ベストアンサー率50% (116/231)
回答No.1

交流分析については、2~3回しか実施していないので詳しいとは言えないかもしれませんが、思った事を書いて見たいと思います。 性格検査一般に言えると思いますが、性格検査はその人の一部分しか見られないと思います。それだけ人間の性格というのは、複雑怪奇だと思います。 その複雑怪奇な性格から少しでも、一般性を導き出そうと先人は苦労したと思います。特殊から一般へという帰納法的手法だと思います。ですから、一般から特殊へという演繹的手法は出来ないと思います。 それで、NPとAが同時に存在できるかどうかの質問については、実際にそのような人を見つけ、他者と交流が出来るかどうか検証しなければなりません。 また、交流できるのならばその人のケーススタディをすれば、そのような自我状態を形成するのに資するものが見つかると思います。 質問を読んで感じたことを、間違っているかもしれませんが書きました。あしからず。

noname#73399
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 頂いたご回答を念頭に置いて、もう一度、調べてみます。

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