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ある言語学の問題について

言語学の練習にはこういう問があります: 「母親が子供に歌を歌わせた」異なった複数の意味に解釈できる。それぞれどのような意味か説明しなさい。 と、言語学の視点(格助詞とか使役態あるいは受身の機能とかなど)から答えることが、この問題についてどう答えては良いのだろう。 皆様の御高見をお待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

言語学というものをよく知らないので、ご質問の意図に沿った回答になるかどうかわかりませんが、基本的に次のような複数解釈が可能になると思います。 1.母親が、子供に強制して歌を歌わせた。 2.母親が、子供が(心置きなく)歌を歌えるような環境を整えてあげた。 また、 「この文は、最も表現したいことは何か、という点に着目すると複数の意味に解釈できる」という視点であれば、 3.子供に歌を歌わせたのは誰かというと、それは母親である。 4.母親が誰に歌を歌わせたのかというと、それは子供である。 5.母親が子供に歌わせたのは何かというと、それは歌である。 のような複数解釈も可能になるでしょう。  

Gold_kun
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 1と2は正に教材の中で言及されたのに、なんと忘れちゃいました(;´Д`)そして3・4・5も筋が通っている。 ご指導くださいまして、本当に有難うございます。また何かありましたらよろしくお願いします。

その他の回答 (3)

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.4

「母親が子供に服を汚された」なら有名なので知っているのですが…。 これまでの他の方のご回答を読んでも、言語学上の違いとは思えません。

Gold_kun
質問者

お礼

何といっても有難うございます^^

回答No.2

>母親が子供に歌を歌わせた。 格助詞「が」は「の」と同様に動作や状態の主体表現だとして、これを置き換えますと、「母親の子供」が、例えば、「音楽の先生」によって、歌わされていることになります。一方、主部(主語)としての「母親が」と考えれば、まさに、母親が子供に歌を歌わせているわけですが、この場合、必ずしも、この「子供」は、わが子ということにはなりません。一般的に存在する「子供」ともとれます。母の子が、他の「子供」に歌を歌わせている母を見ていることにもなります。

Gold_kun
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 確かにこういう捉え方もあるが、NO.3の方がもっと言語学のカテゴリーに近い故に…せっかくお答えいただいたのに、本当にすみません。m(_ _)m

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

    僕は、母親ではないので、自分が子供だった時歌を歌わせられた経験から     「ヒライテミレバコワイカニ」というのが、多分浦島太郎の歌かなにかにありました。     母は「開いてみれば、こは如何に」という意味で歌わせたのでしょう。     僕は「開いてみれば、怖い蟹」と言う意味だと思いました。      言語学の視点ねえ、かたや、古語文法の疑問文、かたや僕の「正しい」見方ってことでしょうかね。

Gold_kun
質問者

お礼

興味深いお話ですね、ご回答有難うございます。