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日本の木造住宅についての理解とサバイバルジャンルについて
- 日本の木造住宅では、堂々とした建築が極限されている。
- 木造でつくることができる別荘は、日本の住宅のなかでサバイバルできるジャンルと考えられている。
- 「堂々」とは自信にあふれるような意味であり、「極限されている」とは限られた状態を指し、その中で木造住宅は特にサバイバルできる存在となっている。
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本当にこれが印刷され出版されているのかというほどの悪文ですね。 「木造が主流であり続けた」に続けて「いま堂々と」と書くからには、「木造が主流でなくなってきているこの時代に」という意味を含めたいのかと思われます。 しかしこれは事実と反します。今も日本国内の木造住宅は新築住戸の6割弱で、比率は落ちてきているものの「非主流」「傍流」に成り下がっているわけではありません。まあ都市部では、非木造のほうが「モダン」な印象は与えるでしょう。 あるいは、「いま堂々と」には、シェア以外でも「木造建築に対する逆風にさからって、あえて、」という意味があるのかとも思われます。それがあるというのなら、「台風や地震(あるいは昨年の津波)に対して脆い」ということがあげられます。建材の価格としては非木造は安定しているのに対し、木造は質にこだわればうんとコスト高になるし、うんと安普請(やすぶしんと読みます)にもできるということもあるでしょう。 「堂々と」は真正面から正々堂々と、コソコソせず悪びれもせず大手を振って、という意味で使われているようです。 そういった、木造には、(強いて探せば)不利とも言える条件があるのに対し、 「木造別荘」というのは高額所得層のぜいたく品として付加価値の高い木造にする意味がある、都市部でなくゆったりした敷地に建つため延焼の危険性なども低い、環境共生という看板も立てやすい、 などという理由で、サバイバルできる、つまり今後もビジネスとして成立するだろう、ということです。 「極限されている」のは「局限されている」、つまり「限定されている」という意味の誤用でしょう。あるいは単に「極めて限定されている」と言いたかったのかもしれない。いずれにしても日本語として誤りです。 最後の「だから~からだ。」などは、中学生でも書かないほどの恥ずかしい間違いです。 難解なのは単に駄文だからです。 質問文では、『なんだか次の文と矛盾になったような気がします』というのは意味は通るけれど不自然です。『なんだか次の文と矛盾するような気がします』です。矛盾は名詞以外では「矛盾する」「矛盾している」と動詞的に使います。 また、『「極限に達している」からには、なぜサバイバルできると思われるのでしょうか』というのもちょっと変です。『「極限に達している」から「サバイバルできる」というのはどういうつながりを持つのでしょうか』でしょうね。
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- ゆのじ(@u-jk49)
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この不景気な時代に、木造別荘に活路を見出そういう極めてナンセンスにして、トンチンカンな主張です。 しかも、目を覆いたくなる稚拙な文章で、このような悪文をデッチ挙げる著者の人間的資質を疑います。無能であり、なおかつ、人としての優しさにも欠けいます。貧困層に対する配慮の欠如によって、こういうバカバカしい主張は認知されません。富裕層ににじり寄るという感性の貧困さと、独善的な傲慢さが溢れるこの種の文章に触れることで、読者は、知らず知るらずに、人としてのあるべき徳性が蝕まれるのではないかと危惧いたします。こういう書は、早急に捨てましょう。「堂々」、「極限」は、読書量が少なく、それゆえに、語彙量の少ない人が思い付きで使っただけの単語です。 日本語を学ぶには、明治の文豪(現代表記に改めたもの)が一番だと思いますよ。
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ご親切に教えていただきありがとうございます。言っている意味がちゃんと理解できればそれでよいという位置づけの本です。ご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- TANUHACHI
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先程に続き、またまた悪文の登場です。 この文章を書いた当事者は本当に日本語を理解できているのでしょうかと思うほどにヒドイ。 ここで使われている「堂々」ですが、文意から読みとるとして「古来からの日本建築のスタンダードとして木材を使用している」から「堂々としている」のであって、それが現実として木材が使われない建築物が増えて殆どが鉄筋コンクリートなどで構築されているからそうした中にあって、木造建築物が珍しい、との意味になります。 また「極限されている」との日本語はありません。恐らくは「制限されている」の誤用です。初歩的なミスです。 そもそもこの文章自体が気に入りませんね。少なくとも平かなや漢字を使った日本語で表現できるにもかかわらずカタカナそれも和製英語をカタカナで表記しただけの軽薄な文章です。 >木造(建築)が日本の住宅(建築)の中で主流を占めてきた中にあって、現在の住宅建築は鉄筋コンクリートなどを素材としそれが主流となっている。 こうした中にあって今も尚、木材を使用して作られる住宅は珍しい。こうした点で木造住宅は日本建築本来のあり方を堂々と歩んでいるといっても過言ではない。
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早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- sanjakubo
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確認したいことがあります。ご質問の文章は、どなたが書いたものでしょうか?この文章で言おうとしている意図はある程度理解できますが、文章としては少々おかしいと思います。 「住宅を建設するためには、役所に建築確認申請という手続きを行うことが必要です。建築基準法という法律に定められていることです。この法律によって、繁華街や幹線道路に面した地域では木造住宅を建てることが制限されてます。(ほかにも、消防法や農地法によっても、建築制限されています。) 別荘が建てられるような地域では、そういう建築制限はあまりありません。木造住宅建築を今後存続させていくためには、別荘建設が有望である。」 ということを、言おうとしていると思われます。 「堂々と」ー 公的に、おおっぴらに、という意味でこの言葉を用いようとしているのだと思います。 「極限」 - 「制限」と書くべきところを、間違って「極限」と書いたものと思われます。 「木造が主流でありつづけてきた日本の住宅で、いま堂々と木造でつくれる住宅は極限されている。木造でつくることができる別荘は、だから日本の住宅のなかの住宅としてサバイバルできるジャンルだと思うからだ。」 ↓ (私なりに、文章を書きなおしてみました) 日本の住宅では木造が主流であり続けてきたが、現在では法律等で制限されており堂々と木造住宅を建てるのが難しくなっている。別荘地の場合、建築制限は少ない。だから、日本の住宅の中で木造建築がサバイバルしていく上で、別荘建設が有望なジャンルであると思われる。」
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早速のご回答ありがとうございます。日本人著書の本を読んでおります。ご回答は大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- frown_knight
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「堂々」の意味は「その様子を隠さない」といった方が近いですが、木造住宅を建てることが禁止されているわけではないので、この語を使うのは不自然です。無視してください。 「極限」とは「限界」の強い意味なので、この文章では意味が通りません。「制限」の間違いだと思います。 日本は国土の約70%が森林ですが、住宅に使える大きさと品質の木材は現代では少ししかありません。この文章の前半は、木をたくさん使った伝統的な日本建築は価格が高くなるので、建てるのが難しいという意味になります。 また、木造建築は数百年の耐久性があるといわれています。後半はそういう意味です。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。参考になりました。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。質問文の添削にも感謝いたします。助かりました。