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「とれようという広さ」の意味

 日本語を勉強中の中国人です。下記の文に理解できない言葉があるのですが、教えていただけないでしょうか。 「……、面積にしてちょうど100万坪は、ゆったりとしたゴルフ場の何コースかはとれようという広さである。」  文中の「とれようという広さ」とはどのような広さを指すのでしょうか。「とれる」の意味がよくわかりません。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • hakobulu
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回答No.5

#4さんのご説明が感覚的には大変わかりやすいと思います。 もう少し理屈っぽく分解すると、以下のようになります。 「とれよう」は「取れる」+「よう」という構造です。 「取れる」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%8F%96%E3%82%8C%E3%82%8B&stype=1&dtype=0 の、 3 (「穫れる」「獲れる」とも書く)収穫物・捕獲物や資源が得られる。「米が―・れる」「近海で―・れた魚」「良質の鉄鉱石が―・れる」 に該当すると思います。 原文の場合は「得られる=確保できる=作ることができる」のような意味になるでしょう。 「よう」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%88%E3%81%86&dtype=0&dname=0na&stype=1&index=18849800&pagenum=11 の、 2 推量・想像の意を表す。「会議では多くの反論が出されよう」 という用法。 全体として、 「……、面積にしてちょうど100万坪(という広さ)に関して言えば、ゆったりとしたゴルフ場の何コースかは【得られる=作ることができる】と想像できる広さである。」 といった意味になります。   

awayuki_cn
質問者

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 早速のご回答ありがとうございます。よくわかりました。本当にありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • yanhua
  • ベストアンサー率72% (508/701)
回答No.7

ご質問は  「とれる」の意味がよくわかりません。              ですね。  ------------------------ 2.「とれる」→「とることができる」 とる:一般には 取る と書く。 辞書にいくつもの説明がありますが、 ご質問の コースをとる に対して、上手くあてはまる説明がないように思います。 文章の意味は  「100万坪の土地の広さには、    “ゴルフコースが幾つ造れるだろうか”      というほどの広さである」   即ち、ここでの とる はコースを造るために土地を割り付けること   1コース=30万坪とすれば、   100万坪の土地に30万坪を割り付けていくと   3コース取れる広さです。     とる の意味は 割り付けてその場所を与える     つまり、各コースにその部分の面積を与えること。         各コースがその部分の面積を占有すること。 この話の場面では、実際の割り付けを行っているのではなく、想定の話です。  ------------------------ 余談: 日本語の とる は意味が多様で中国語のように動詞が細分化されていません。 よって、区別するために漢語が活躍しているのはご存知の通り。 例:Webにこんな例があります。   虫を捕る、写真を撮る、映画を撮る、魚を採る、魚を捕る、魚を漁る、メモを取る、 事務を執る、ものを盗る、山菜を採る、熊を獲る、鹿を猟る、栄養を摂る、米を穫るetc.。 これらの読みは全て とる です、つまり訓読み。 どれも 取る で置き換え可能です(執る→取るは疑問あり)。 取るで統一してもかまいませんが、社会人になると、 これらの使い分けを弁えていないと恥をかくことがあります。 訓読みの特性は、意味が一致する漢字に対して和語音を付与するものです。 従って、教科書や辞書で採用されていないものが多く発生します。 社会で通用しているものを学者が評価して辞書に載せるわけですから、 時代と共に変わりますし、一部の年齢層、業界、学会などの閉じた社会 でのみ有効な使い方も発生します。 個人の趣味で使用することもありますが、 作家が小説などで用法を創出することもあります。 当て字との境目は微妙な世界です。 辞書に見かけませんが、殺る を やる と読ませるのは概ね通用します。  黒社会の人が 殺す を隠語で やる と言うのが流布した結果です。 例えば、芥川龍之介は 行く に する のルビを振っています。  これは漢語に堪能な著者が漢語本来の 行 の意味を知っているからですね。 その要領で行くならば、  今回のご質問の場合の とる は 占る と書いても、   作者の意図通りに とる と読む日本人は結構いますよ(お薦めしませんが)。   このことは一般に通用していない(当て字)であっても、   文字本来の意味を解して適切に使えば作者と読者の間で通用するものです。   本来の意味を解さずに使う事例が多いのですが、それは誤用。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。察されるように、「とる」の意味はわかりませんでした。大変助かりました。ほかの知識もたくさん教えていただき本当にありがとうございました。

回答No.6

 文中の「とれようという広さ」で表現したい意味内容は、「とれようのではないかという広さ」ということでしょう。  「とれるであろうと思われる広さ」ということでしょう。  「とれよう」を品詞分解すれば、「とれ」=「とる」の未然形や已然形でしょう。「よう」= http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/226119/m0u/%E3%82%88%E3%81%86/ ということで推量の助動詞ということでしょうね。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に回答していただきありがとうございました。「とれる」の文中での意味は理解できませんでした。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.4

取れるはこの場合取ることが出来るという意味です。 例えば50センチ四方の布から25センチ四方のハンカチは何枚取れますか。 4枚とれます。 この鍋(なべ)いっぱいのスープから何人分のスープが取れますか。 10人分はたっぷり取れようと思います。とれるだろうと思います。 取れようという広さである。~取れるであろう~取れるだろう広さである。 の意味で推量の表現です。 質問は完璧です。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

  • Turbo415
  • ベストアンサー率26% (2631/9774)
回答No.3

この文章は今の日本人にも難解に見えるかもしれません。 私なら、「・・・・ゆったりとしたゴルフ場の何コースかは取れようかという広さである。」と書きますね。 もしくは「・・・・ゆったりとしたゴルフ場の何コースかは取れそうな広さである。」と書きます。 「面積にしてちょうど100万坪は、ゆったりとしたゴルフ場の何コースかはとれよう」が比喩です。そして、「とれよう」というのが、「取れるような」というのと同じ意味になります。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。「とれる」の文中での意味はわかりませんでした。

  • monque
  • ベストアンサー率42% (9/21)
回答No.2

こんにちは。 とれようという広さ → 取れようという広さ、です。 「よう」 は推量(だと思います。間違ってたらごめんなさい)。 「ゆったりとしたゴルフ場が何コースかは確保できるだろう広さ」と言う意味です。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速の回答をどうもありがとうございます。よく理解できました。本当にありがとうございました。

回答No.1

ゴルフ場が何コースか作れる広さ、という意味です。 …何コースか取れるであろう広さ、と同じ意味です。 あなたが質問で書かれている日本語は完璧ですよ。 自信を持って頑張って下さい。

awayuki_cn
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。よくわかりました。本当にありがとうございました。がんばります。