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自由意志の有無について

あらゆる思索や思考は結局のところ原因まで遡って行くと「そういう衝動が沸き起こってきたから(そう感じたから)」となります。 それを考える上でおいて1+1=?の時これが数学の問題だと過去と照合しますが「それはなぜですか?」と聞かれれば「そう感じたから」でしょう そして計算する際もなぜ計算したかと聞かれれば「そう感じたから」でしょう。 実際の計算のプロセスは機械と変わりありません。 こうやって並べてみると人間の精神とは「そう感じたから」と「計算」と「ミス」の組み合わせ以外の何物でもないと思ってしまいます。(ミクロの世界の影響もあるならば+「ランダム」ですかね) 自由意志とはどの部分なんでしょう。私に選択する余地はあるのでしょうか。

みんなの回答

回答No.4

 こんにちは。  他人(ひと)にゆづる。  あるいは 言われたことをこばむ。  こういった選択は 自由意志によるものと考えられます。  ゆづらないや こばまない という選択肢があると考えられるからです。  どちらも 《そう感じたから》であっても えらぶという意志行為があると見られるからです。  あるいは 指示や命令にしたがった場合でも 一方で 途中でやめることはこばむに入りましょうが 他方で わざとまちがいやあやまちを犯したりするという選択もあると考えられ それは 自由意志のなせるわざではないでしょうか?

314h
質問者

お礼

主観的に見ればそのように自由意志が存在するように思えます。 ですがそれらはすべて外部的刺激とランダムによって決定され、そこに自由意志というものの入る余地がないんじゃないかということです。 つまり思考実験として全く同じ状況を経験してきた人間を100人用意して同じ場面に置けば同じ行為を行うのではないですか。 ご回答ありがとうございました。

noname#194996
noname#194996
回答No.3

>あらゆる思索や思考は結局のところ原因まで遡って行くと「そういう衝動が沸き起こってきたから(そう感じたから)」となります。 >数学の問題だと過去と照合しますが「それはなぜですか?」と聞かれれば「そう感じたから」でしょう 仰ることがしっかり理解できないのですが、コンピュータと人間との差はないとおっしゃっておられるのですから、わたしなりに上記を解釈して、 コンピュータは外部からキイインとかの刺激を受けて計算を開始する。 人間も他人から「この計算をやってくれ」という命令(刺激)を受けて行動(思考)を開始する。 上記の意味で同じだといえます。人間は外部刺激の反射によって動かされている生体機械なのです。 いったん動き出した後のCPUとメモリーとの無数の対話で最適の行動が完了しますが、その途次におけるAかBかという選択肢に(生体の場合)わずかなはばの自由意思が存在するとかんがえられなくもありませんが、それは個人のメモリーの内容の差、価値観というサブプログラムの内容の差に起因するだけだと思われます。 よって 自由意思というものは基本的には存在しないと思われます。

314h
質問者

お礼

>コンピュータと人間との差はない そのようなことは申しておりません。 人間を分割して一つの「計算」という特性を捉えてみるとそれがコンピュータと変わらないと申しているだけです。 >よって 私もだいたい同じ意見ですがどっちなんですかね。 ご回答ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

自由意志について私はこんなことを考えます。精神活動はすべて模倣だと考えています。つまり直接でも間接でも以前の経験に基づいて現在の課題に対応するということです。どんな人でも、あるいはどんな場合でも選択の範囲は必ず有限です。有限という意味では自由意志の自由にも限界があります。ただこの有限性は自分の能力の不足として意識されることはあっても、課題の選択にも同じ原理の制限があることに気がつかなければ、いわゆる自由意志があると思ってしまうのではないかと思います。

回答No.1

ご質問の前半部分は、不完全性定理が答えています。 通常、論理的に正しい(完全な公理系)事と、事実である (無矛盾である(Aと非Aを同時に導かない))事は、両立 し得るものであると考えられていますが、それが実は 不可能である事が“証明”されています。 つまり、公理系が無矛盾であるためには、それ自身の 内では証明も否定もできない、ある意味、任意の公理が 必要なのです。 それは、決定性を記述する物理学の果てに、それが 実体であるためには、不確定性原理が必要であった 事に射影しています。 存在は、不完全なもの(階層現象的表面性の経験的な 定性化)として生じている以上、この宇宙(空間的広がり =空間軸)自体が自我仮説=時間的流れ=時間軸 と相補分化しており、「宇宙はあなたが存在するための 必要」だと言えるのです。 ただし、物理的根源にまで遡った「必要(相補)」なので、 現象(肉体)的“自我”の思い通りにはならず、自己認識 の低さによる自己矛盾として、環境(物質)とぶつかる のです。

314h
質問者

お礼

まったくもって意味が理解できません。もう少しわかりやすくなりませんか。 ご回答ありがとうございました。

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