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ケインズ経済学と金融工学の関係
- ケインズ経済学と金融工学は密接な関係があります。
- ケインズの経済学の理論が金融工学の基礎となっています。
- 金融工学は経済学の理論を数学的に実用化した分野です。
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個別経済主体の行動の捨象。 貨幣の思想史 お金について考えた人々 新潮選書 内山節著 第十一章 貨幣の時代の憂鬱 ケインズと一般理論 この章に、19世紀までの経済学者は経済全体の理解と人間次元の経済理論の食い違いに四苦八苦とあります。そして、ケインズはそんな四苦八苦は無視したと。 ということは少なくとも、プレケインズ段階では、個別経済主体の行動は捨象できなかったようです。印象的には「最大多数の最大幸福」であり、プロレタリアートの幸福のためのマルクスといえます。 使用価値と交換価値 → 書いた本人がよくわからん。すまん 個々の経済主体にとって商品・財がどのくらいの価値を持つこと(使用価値)は重要であるが、経済総体としては、関係ないですよという意味で書きました。 経済学の限界 ■□□□□■ ■の部分を捨象して□の部分だけを解釈しているのが経済学だと思います。というか、だいたいどこの学問もそうなっています。 文系の学問で数少なく「検証可能性」が高いので、グダグダ言われるだけではないかと思います、経済学が循環参照しているとか。 私の限界 理系の一般教養で西部邁さんの経済学をとってソシオエコノミクスなどというよくわからない教科書で C もらった程度。仕事がマーケティング関係なので、経済学はつまみ食いレベルです。
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- tanuki4u
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直感でいい加減なこと書くよな 俺 と、思ったら http://www.amazon.co.jp/dp/4766414411/ikedanobuo-22 こういう本が出ていて、 http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/keynes.html こんな感じで、まとめているページ発見。
お礼
再度のご回答、ありがとうございます。m(_ _)m ケインズが確率論を書いてるなんて、ま~ったく知りませんでした! 勉強になりました。 ただ、2つめのURLを見ますと、ケインズの説くアニマル・スピリッツは、金融工学ではなく、そのアンチテーゼ?の行動ファイナンスと通底すると言っているようですね? 金融工学では、市場のパニックやバブル化、市場が不合理な動きの増幅装置になってしまう現象を説明できませんよね。 ブラック=ショールズ理論のノーベル賞学者を擁するヘッジファンドが破綻したのも、パニックと、正規分布より裾野が厚くなる現実を考慮していなかったからだと、なにかで読みました。 将来、金融工学は行動ファイナンスを取り込んでいくのかもしれませんが、現在は相対立する考え方だと思います。 (例えば株式トレードに関して、行動ファイナンスの立場に立てば、チャートやローソク足の形状を分析する事に意味がある。金融工学的には、ゼロのはずです。) いろいろと勉強になりました。ありがとうございます。
補足
tanuki4uさんかほかの方から、もう少し「直感」でユニークなご意見を聞かせていただけるかもと期待して、しばらくここは締め切らずにおきます。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
素人の床屋談義です。 金融工学が成立する前提として 1:ランダムな現象を捉えるためのツールとしての数理学 2:経済を「財」ではなく、「貨幣」を主体として考える態度 ケインズが一般理論(雇用・利子および貨幣の一般理論)で明らかにしたというか、理論の前提にしたのが、財に対して交換価値とか使用価値とか経済学としては意味がありませんよ、ということ。個別の組織の経済活動なんか気にしません、全体を見ます、俺は、というもの。 一般理論は誰も理解できなかった(サミュエルソン曰く)が、これを数学を駆使して明快にしたのがサミュエルソン。数学で明快になったために、経済が検証可能なものになった。(あるいは、推測可能なものになった)新古典派総合の誕生です。マネーの供給管理によって経済政策ができるとしたサプライサイドエコノミーも貨幣によって経済を統一的に見ようという意味では一緒。 ケインズは100万人の失業者という集合は見ていたが(総失業者)個別の失業者を見ていたら経済学は作れんと言い切りました。俺の求めるのは、失業者Aが雇用され、失業者Bが雇用され、、、という個別の動態をみるのではなく、均質に仮定した総失業者であると。 とはいえ、失業しているAに取ってみると失業しているか失業していないは大きな問題。個別の企業の業績がいいのか悪いのかは、ケインズの視点では総所得、総投資などから考えるので、関係ない。だが、個別の企業は個別の企業で個別の所得や個別の投資をしている。 個別の企業の経済活動を説明するためにミクロ経済学があります。これはこれで、理論として成立しています。 ここにミクロ経済学で説明される個別の企業とマクロ経済学で説明される経済全体の動きとが接点を持つ場があります。 市場です。 経済が財ではなく貨幣で説明されるとするならば、市場=貨幣市場となりそれは金融と言うことになります。 個別の多数の非秩序だった経済単位を全体の経済と結びつける数理理論がブラウン運動となり、ここに金融工学が生まれます。 個人や個別企業という人間の行動で見たときには発生する嗜好などの個別で見たときには非秩序的な行動を、相対の経済で把握するためにオミットしたのがケインズ経済といえます。 オミットしても個人が完全に合理的行動を取るわけでもなく個別にバラバラな行動を取るのが現実。両者を結ぶつける数理学がブラウン運動と言うことになります。 という私の直感です。
お礼
tanuki4uさん、早速に懇切なご回答ありがとうございます。 ケインズは個々の経済主体の行動というミクロの次元を捨象し、マクロで捉えた。その捉え方は金融工学に通ずる・・・ということですね? ここまでは納得いきます! ありがとうございました。 ところで、その発想は、ケインズ以前にはなかったんでしょうか? ケインズ以前の古典派は、需要が減れば物価が下落して調整されると考えたわけですが、個々の商人を見れば、諦めよく叩き売る者、いつまでも高値で粘る者、その中間の者がいることに、気づいていたはずです。 その上で、市場全体の動きとして需給が調整されると考えたのではないでしょうか? >財に対して交換価値とか使用価値とか経済学としては意味がありませんよ、ということ。 この意味↑をもう少し説明して頂けると、ありがたいです。 ケインズの名著も読んでいないし、全然わかってなくて恐縮です。 彼は「物価の下方硬直性の理由について、十分説明していない」と批判されたそうですが、それと関係があるのでしょうか? ド素人の勝手な想像ですが、「セーの法則が信じられていた頃は、農業が主要産業で、農産物は賞味期限があるから叩き売るしかなかった。ケインズの時代には工業化が進んでいて、農産物と違って厳然とした原価が存在したから、値引きしにくくなった」せいじゃないかと思っています。 ちょっと脱線ですが、つい最近、経済学ってそこらじゅうに「循環参照」があるんじゃないのか?とひっかかっている人がほかにもいるんだと、(おしgooで)知りました。 ん~~、全然わかってなくて混乱したレスになってしまい、申し訳ありません。(= =; ご回答ありがとうございました。
お礼
再度のご回答、ありがとうございます。 貨幣の「思想」ですか。面白そうですね。少し経済学史を知っておいたほうがよさそうですね。 「循環参照」は、たまたま僕が使った表現です。ほかにも使う人はいそうですけど。 現象をうまく説明できているかという「検証」以前に、理論としておかしいんじゃないかという意味で書きました。 変数xとyが相関しているとしたら、相互に独立した曲線と見なして「交点」を求めたりするのって、おかしいですよね? 経済学者はそれを承知の上で、単純化したモデルを作るのだと思いますが。 ありがとうございました。機会があったら、またお考えを伺わせてください。^-^