カント:《意志の格率が普遍的な立法の原理として》
▲ あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ
・ Handle nur nach derjenigen Maxime, durch die du zugleich wollen kannst, dass sie ein allgemeines Gesetz werde. ( Kritik der praktischen Vernunft )
・ Act only according to that maxim whereby you can, at the same time, will that it should become a universal law.
(あ) この命題は 《わたしの意志の格率》と《普遍的な立法の原理》とが ふたつあるという前提に立っています。
(い) もし《原理》が いわゆる永久法(神の法・真理)のことを言うのなら 確かにふたつのことがあります。ただし――ふたつあるのだけれども―― 《わたしの意志の格率》は むろん相対的な思惟の内容でしかなく 絶対なる《原理》とは 絶対的に隔たっています。
(う) すなわち 《原理》が神の真理だと取る場合には言ってみれば 《物自体》のことである。もしくは物自体にかかわらせたかたちで捉えられたことである。
(え) その場合には わたしはその存在としても意志としても その原理に及ぶものではないからには けっきょくかつとうぜん《信仰》の問題になる。経験合理性にもとづく思考を超えたところの問題となる。
(お) そうでなく《普遍的な立法の原理》とは 経験合理性にかかわるところの倫理規範などであるのだろうか? けれどもその時にはそれは 《わたしや わたしたち》が考えるものであるとなる。
(か) それは 理にかなわない。なぜなら 《わたしの意志の格率》もまったく同じくわたし〔たち〕が考えた思惟であって 倫理規範のことであるにほかならないのだから。ふたつのものは 実際には同じものである。
(き) つまり その時には せいぜい《あなたの倫理的な思惟および行動を より一層普遍的な内容のあるものにせよ》と言っているに過ぎない。
(く) 《普遍的な立法の原理》を 永久法(真理)としてではなく いわゆる《自然法》として捉えるのは どうか? 自然法は どういうかたちでにしろ 永久法からイメージを直感してその概念内容を得て言葉に表現した倫理規範だということになる。わたしたち人間の考えた人定法や倫理思想とは 少し違う。神秘の色を帯びている。
(け) けれどもけっきょく 自然法を相手にするとしても 最後には 経験思考によって判断することになるか それともそれを超えて物自体との――非思考における―― 一体性(つまり 信仰)によるか ふたつに一つとして分かれる。
(こ) 結論:《神を信じなさい――物自体とわれの一如なる境地――》という内容であるにほかならない。
どうなのでしょう。ほかに解釈の余地はありますか? ご教授ください。