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自由意志ってあると思いますか?
自由意志ってあると思いますか? ※ここでは自由意志を 行為選択権 の意味で定義し、捉えるとします。
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法的にはあることを前提に体系が組まれているが、 その及ぶ範囲と、精神疾患などの意志を耗弱させる 要素、誰かに唆されて、という教唆など、「自由意思は 無かった、或は弱まっていた」という逃げ道が用意 されています。 でも、哲学的に考えた時、純粋な意味で独立した 存在の、かつ一切の外的要因から不可侵である 「自由意思」は存在し得ないです。 何故なら、遺伝的な肉体的要素も、後天的に形成 された精神構造、人格にしても、全ては外来の 要素だけで出来上がっているからです。 純粋なオリジナルなど、元々ありはしません。 自分を含む、広い「世界」の中で、自分が占める ポジションで、自分という記憶・情報処理系の システムが、外界と色々と繋がった状態で、 暫定的な判断、という「情報処理」をしている。 シビアに言えば、そういうことです。 唯一無二の私がいる、というのはある種の錯覚だと 私は考えています。 人間の意識は、外界の情報を真似ながら、内側に 自分が見た世界の姿に従って、小さな自分だけの 世界モデルを造り、それが人格として動作する。 その、心の内側は、丁度小さな鏡張りの小部屋に なっていて、キャメラ・オブスキュラのように 外界を切り取って、自分の中に投影する。 同時に、合わせ鏡のように内側で像を反復し、 記憶として再構成する仕組みがあるので、 この合わせ鏡が無限に続く回廊として 自分自身を認識する仕組みとなり、限られた 小さなカメラ小部屋でしかない「私」という 限定領域が、あたかも無限に続く空間のように 自己認識される。 だから、近々公開され、年々バージョンアップを 繰り返してネットを縦横に駆け回るAIにも その「自我=無限回廊」を生み出す内部増幅の 構造が組み込まれることになります。 平たく言えば、そろそろAIに自我を組み込める 段階に入りつつある、ということです。 私は私だ。 そう、確信を持って言い切るロボットがそろそろ 登場する段階に、人工知能も差し掛かっている。 そういうことです。
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- yuniko99
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非常に難しい問題ですが 厳密に言えば自由意志はないですね。 ただサイコロがどれが出るかわからないと言うのであれば 在ると便宜上考えていいと思います。 サイコロは振った時からどの目が出るか決まっています。物理学的に決まっているのです。 だから自由と思っていても それは矢張り因果律で決まっているのであり どう考えるかも決まっているのです。勿論人間には分かりません。 歴史は一つしかありません それは必然の連続です。偶然というのは人間には分からないからです。 ただ自由意思があると考えようと神様が居ると考えようと結果が良ければいいのです 人間には目的があります。その目的に向かって有効な事が出来れば良いのですから。 どうぞご自由に考えてください。
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- kurinal
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fhdhdh44様、こんばんは。 「選択」の余地が無い場合、難しいと思います。 (仮に、100万人に「就職しる」と言い(言われ)ながら、枠は10万人分しかないとしたら)
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- urigadai2013
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自由意志があると考えざるを得ない。 それがないとなると、例えばあなたがトラックがあなたに向かってきて轢き殺されることが決まっていたら、あなたはトラックが自分に向かって突進してくるのを見出しても、逃げることなく、黙って轢き殺されるのを待つしかない。 また、好きな彼女と嫌いな彼女がいたとして、もし嫌いな彼女と結婚することが決まっていたら、嫌でも応でも、その嫌いな彼女と結婚しなければならない。 また、目の前に好きな食べ物と嫌いな食べ物があったとして、嫌いな食べ物を食べるのが決まっていたら、嫌でも嫌いな食べ物を食べざるを得ない。 また、あなたが人を殺すのは嫌だなあ、と思っていても、人を殺すのが決まっていたら、嫌だなあ、と思っていても、人を殺さざるを得ない。 そういう世界が嫌だと思ったら、自由意志があると思わざるを得ない。 神がいて、その神があなたがトラックにひき殺されるように決定しても、あなたには自由意志があるから、トラックが自分に向かって突進してきたら、逃げることができる。 また、神があなたに好きな彼女と嫌いな彼女がいて、嫌いな彼女と結婚するように決めていても、あなたは自分で自由意志によって、好きな彼女と結婚できる。 また、目の前に好きな食べ物と嫌いな食べ物があって、神が嫌いな食べ物を食べるように決定しても、あなたは自由意志によって、好きな食べ物を食べることができる。 また、たとえ神があなたをして殺人をするように仕向けても、あなたは殺人が嫌だと思ったら、自由意志によって殺人をしないで済ますこともできる。 そういう世界に生きる方がずっといいのではありませんか? そう思ったら、自由意志があると考えざるを得ません。
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でもそれは願望と言うか、「要請された」自由ですよね? 主観的傾向性、趣向性を離れて考えたいです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★ (No.1補足欄) それは「要請」された自由意志であって、そうあってほしいという希望に過ぎませんよね? ☆ 犯罪行為についての選択の可能性という意味での自由意志は たしかに《想定》です。 まぁ げんみつに言えば《希望》ではなくて 人びとのあいだにおける――じっさいにそのような投票行動がおこなわれたという意味でなくてもいいのですが――取り決めです。そう取り決めたという想定です。そして 公理のごとく 証明無しで想定されているものです。 かすかにその根拠としては No.1の回答に触れましたように 《人間はウソをつきイツハリをおこなうことが――自由意志による選択として――できる》という経験事実があります。 その筋で考えるときには もし自由意志などは無いという立ち場を理論づけようと思えば 《ウソかホントウか イツハリかまことか あるいは ものごとの良し悪し》といった分別は要らない・無いという命題を立ててそれを証明するとよいと考えられます。 ★ 「要請」された自由意志であって、 ☆ と捉えておられますが それこそ現実世界における《現象(経験)》からの要請であると見るべきでしょうね。 ですから ★ そうあってほしいという希望に過ぎませんよね ☆ という見方に縮こまることもないのです。 自由意志なる仮説は 有効で有益な理論だと考えられます。 共通感覚(コモン・センス)によって裏づけられていると一般に受け留められています。 ぎゃくに言うと 自由意志が有るか無いかを はっきり決めたいということであれば 単純に言って そのあたらしい仮説(自由意志の無なる立ち場)によれば 人間にとってのウソかホントウかの区別の問題や犯罪行為における自由選択の問題をどのように捉え説明することになるのか。これを合わせて 打ち出さなくては議論にならないでしょうね。 あるいはもっと単純であって 《犯罪》をなぜ・どのような根拠で人間は規定しているのか? こういう問題に突き当たります。 つまり 自由意志についての暗黙の前提に立って 規定するようになったのです。 なぜなら 犯罪ないし違法行為とは 自分のをふくめて人の意志を踏みにじること だからです。(自分の意志をないがしろにすることが ウソ・イツハリです。自己の存在の抹殺行為にまで行き着きます)。 しかも 人間の意志は 思惟や行動についての選択が自由であるのでなければ いちいちそれを踏みにじるということは 問題にならないからです。撞球の球のごとく あっちから突かれこっちに当たって跳ね返りする動きとその人生でしかないようになります。
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- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
現代ではある、ということになっています。 そうでないと、犯罪者を逮捕出来ません。 犯罪という概念すら否定されます。 だからあるのです。 なぜ、犯罪者を処罰できるのか、といえば、 犯罪者には、犯罪を侵す、侵さない選択が 出来たのに、侵す行為を選んだ。 それが非難できるので処罰可能、ということに なっています。 だから自由意志が無いと処罰出来ません。 収賄罪、詐欺罪、過失犯などは、刑罰を重くすると 犯罪が減少することが明らかになっています。 だから、自由意志はあるのです。
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それは「要請」された自由意志であって、そうあってほしいという希望に過ぎませんよね?
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2125/7983)
コンピュータに自由意志があるかと聞かれたら、「あるわけがない。プログラムで動いているだけだ。」という回答が返って来るはずですが、人間も同じではないですかね。 マインドコントロールや洗脳などの手段を使って、自由意志を阻害し、命令通りの考え方に染め上げる方法がある以上、自由意志があるとは思えません。 自分の意志だと思い込んでいたものが、実は子供時代に見ていたテレビ番組で何度も繰り返された言葉をそのまま信じ込んでいただけのものだったり、自分の趣味だと思っていたものが、実はCMで何度も宣伝されていたものを趣味にしていただけだったり、大人になってからわかることがあります。 どこまでが自由意志で、どこまでが洗脳かと問われると、判断に窮する部分がありますね。 人間とコンピュータの思考論理に大きな違いは無くて、感情だけが人間的なのかもしれませんが、感情もマインドコントロールや洗脳で操れるだけに、信じられるものは何も無いに近いのかもしれませんね。
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- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
他者の「行為選択権」を阻害しない範囲で、自己の「行為選択権」は行使できます。 他者の「自由意志」を阻害する自己の「自由意志」は認められないが、それ以外は認められる、というだけです。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
あるはずです。 あるいは あると――公理のごとく――想定したかたちで人びとのあいだに黙契のように有効であると考えられます。 1. ウソをつくことができます。 2. ここは おれたちの島だ おまえたちは あっちへ行っていろと言われたとき もともとこちらの土地であった場合にも これをゆづって ウソをつくことが可能です。 3. それに もし自由意志による選択ができないとすれば おそらく犯罪行為は その犯行者の責任を問えなくなるおそれが出て来ます。他人とのあいだでチカラ関係によってそうすることを余儀なくされたと抗弁すれば それが通ることに成りかねない。
補足
それは「要請」された自由意志であって、そうあってほしいという希望に過ぎませんよね?
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