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歴史を学ぶ必要性
私も中学、高校と日本史と世界史の授業を受けてきましたが、その必要性を感じません。 社会に出て歴史が役立ったことなどありません。 クイズのジャンルとかその道に進む人には必要かもしれません。 だけど、今どんどん歴史が覆されていますよね。 世代が変わっていくと覚える量も膨大になっていきますよね。 なぜ確証もない半信半疑なことを学ばなければならないのでしょう? 歴史が役立っていると言う方は、どのように役立っているんですか?
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まず、以前同じような質問があったので、そちらの回答を参考にされたらいいと思います。 http://oshiete.sponichi.co.jp/qa6843341.html 私は歴史は好きなので、必要性があるかないかは、私自身としてはどうでもいいことです。 ただ、今の世の中、特に日本人を見ていると、あまりに歴史を知らな過ぎて「どうなんだろう?」と思うことは多々あります。そういう時には、歴史の必要性というのを感じます。 例えば、あなたは民主主義ってなんだかわかりますか?その重要性って理解してますか? 仮に今の政治形態に不満を持ったとして、昔のように天皇や将軍が権力を握る世の中の方がいいと思いますか? 例えば、外国などでどうしてテロが起きるかわかりますか?パレスティナ問題とは何か、その影響がどう今の世の中に影響するか、理解していますか? こういうことを理解するためには、歴史を知らないと理解しきれないものがあると思います。 例えば1人の人を理解するのに、その人が何年にどこで生まれ、どういう家庭環境に育ち、どういう学校を出たかを知っているのと知らないのとでは、その人への理解度が変わります。上辺だけのつきあいならそれでもいいでしょうが、それが親しい友人や結婚相手となれば、そういう背景を知った上で付き合って、お互い理解し合う方がいいですよね?それはその人個人の歴史を知ることでもあると思います。 世の中の歴史も同じだと思います。日本のことにしろ、世界のことにしろ、自分の好むと好まざるとに関わらず、親しい友人や結婚相手のように理解しないとやっていけないことが出てきます。それを理解しているのとしていないのとでは、今の世の中の変化や、自分がすべきことまで違ってくると思います。
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- izuhara
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高校でいえば歴史に限らず実生活にはほとんど役に立たず必要性を感じませんが、それを言っても不毛なだけです。 教育課程で学んだ多くのことを自分の人生に合わせていかに活用できるかを考えた方が建設的でしょう。 その観点で言えば、歴史は少なくともいろいろな人間がいて、いろいろな国があったことを教えてくれます。他人や他国という自分とは違う存在を理解する上で役立てることができるでしょう。 習っただけですべての人間に共通して役立つことなどそうそうありません。 持っている知識を活用できるかどうかは、個人の心がけ次第です。 無駄無駄と言うだけで知識を活かす努力をしないのは無能と呼ばれかねません。
- isa-98
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質問者が正しいです。 歴史の年号の記憶は、仕事で数値を記憶するのに活かされます。 歴史の人名記憶は、会社で人の名前の記憶や性格などの把握に活かされています。 勉強している内に脳の記憶の訓練や分析の訓練をしているのです。 ですので、「てんで役に多たたねー。」は正しい分析です。 社会に出る前に試験で使いましたが、 そこで恩恵が「有った無かった。」は質問からはずれますからしません。 それを自分でやってみて、そして人にさせてみて、褒めてやらねば人は動かず。 山本五十六の言葉です。 質問者の疑問に真正面から向き合い、それを解決し その意義(真理)を見出させ、そして褒める、前に進めるようにする。 それが教育です。 教えてヤンヨ。 俺は頭いーからよーーー!!こうやって使いこなしてんぞ。あ? こう考えろって言ってんだよ。あ? オメーが使えねーだけナンダヨ。あ? オツム弱くね? この結論は明らかに陸軍の上官様です。山本五十六の言葉に反します。 結局、 使えて無い人間は使えていると錯誤し 使えている人間は使えている事に気が付かないのです。 これを常識と言います。
- 安房 与太郎(@bilda)
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議論に参加する条件 なでしこジャパンに、国民栄誉賞がふさわしいかどうかを論じるには、 過去の受賞者を(ある程度)知っていないと、話題に参加できません。 雑談にせよ、なにかについて議論するには、共通の知識が必要です。 このQ&Aで質問するにも、漢字2000、英単語1000、その他、 中学教科書に載っている程度の知識は(国民の義務として)必要です。 もちろん、合格点は60点、平均点は40点あたりですが。 ただし高校教育は、大学進学のための準備が目的なので、進学しない 人(国民の約半数)にとって、まったく意味がないという説もあります。 さらに近年の情報革命で、大学で学ぶ以上の成果が得られるはずです。 現在の学習指導要領が適切かどうか、議論は尽きませんが、サッカー を観るにも、それなりのルールや歴史的民族性を知らないと、わたしの ように(なぜ全員が走りつづけるのか)チンプンカンプンなのです。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850101 《中学生諸君! Basic 5 19850101 IP Library》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050130 学生諸君! ~ 与太郎の教材 ~
- TANUHACHI
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よくある質問ですが「歴史知識」と「歴史を学ぶこと」の違いがあります。前者の典型が「受験の日本史」であり「受験の世界史」です。5W1Hとして情報を細切れの様に扱い、それを暗記して終わってしまう。その結果一つの歴史事象と他の歴史事象との連関などに刮目を払わない。そのために一つの時代の全体像における歴史事象の位置付けなどの認識作業ができないなどの問題を派生します。 簡単な類例を挙げれば、毎回の国政選挙の投票率の問題が相当するでしょう。本来は国政の主人公である参政権を持った選挙民が投票に行き自らの意思を示すのが選挙ですが、その日は友達と海に行く約束があるから、面倒くさいから、などとこじつけの理由で殊に若年層の投票率が低下していることをどう説明されますか?。 例えば社会保障の問題一つを見ても、20代~30代の意識と60代以降では年金に対する信頼そのものが全く異なっています。ではなぜ20代30代の意見が反映されないのか。それは自らの代表を選ぼうとの意識が低いこととつながってもいます。 こうした「つながり」を理解するには歴史感覚が求められます。「確証もない半信半疑なこと」と仰るのは他の経済学や物理学にも同様です。学問の世界には「定説」はありません。一つの問題に対するその時点での「一応の共通見解」があるのみです。 私は企業勤務の一方、大学で歴史教育に携わる者の一人です。歴史学が世に問うことの出来る最大のメッセージ性は「現在および過去に学び、未来への道を切り開く指標を養う」としか言いようがありません。近視眼的に目の前の問題を解決すれば事足れりとする性質の問題ではありません。その典型がアフガン・イラク戦争です。9.11の後、アメリカの元大統領G.W.ブッシュ氏は「これは戦争である。アメリカとイスラムの戦争である」との言葉を残し戦争状態を招き現在の状況を置いたまま大統領の任期を終えました。イラクの独裁者を死刑台に送ったもののそこに大量破壊兵器もアルカイダとの繋がりも見つけられないまま、問題を置き去りにしたままで去っていきました。 自国に対するテロ行為自体は許される性質の問題ではありません。かといってイラクやアフガンがテロ組織を支援していた根拠は何処にもない。寧ろこのテロ組織の首謀者を育てたのは中東におけるアメリカの拠点でもあるサウジであり、オサマ・ビンラディンはそのサウジの富豪の出自です。つまりビンラディンに率いられるテロ組織はアメリカが育てたと同様でもあることとなり、獅子身中の虫ともいえます。 確かに○○年に××が△△を作った、などというのは退屈な暗記データにすぎませんが、一つ一つの連関を見ていくことで社会像や時代像を構築することができる手だてともなることだけは確かです。また「歴史が覆されている」とのことに関しても、実際にその中身を史料に依拠して吟味しない限りは信頼性もありません。この辺は中世ヨーロッパに支配的だった天動説がガリレオやらコペルニクスやらケプラーの「実証」に基づいて否定されたことと全く同じです。彼らに共通するのは「自らが思考する」との近代人のスタイルです。固定的な観念で物事を判断することは意味のないことでしかありません。このため「歴史することは同時に哲学すること」にもなります。
- isa-98
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結局人間は 努力が確証や確信に変わるまで必死にがんばるしか無いんです。
- eroero1919
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まあだいたい他の方がかなりきちんとした回答をされているので。 人間、誰でも経験のない事態に接するとパニックを起こしてどうしていいかわからなくなります。いきなり目の前で人が車にひかれた。さて、どうすればいい?まあほとんどの人がどうしていいかわからないでしょう。 しかしもし、その人が以前にも同じ事態に出くわした経験があったらどうでしょうか。かなり冷静に対処することができると思います。つまり、「経験は智」になるのですね。これはなんだってそうだと重います。 学校で習う歴史は年号の暗記の羅列にすぎないので、それが歴史の本質だとは思わないほうがいいです。算数や数学や理科だってきちんと理解したら世の中は正しく見えるしそれぞれの学問も奥が深くて面白いですが、学校の算数や数学は単なる計算問題の暗記にすぎなくなってしまっているのと同じです。 経済の世界なんて、だいたい過去に同じようなことが起きています。バブル経済なんて中世オランダでチューリップの球根が投機の対象になったのが始まりなんだそうです。そういった歴史の積み重ねを知っていれば、例えば投資をしていれば「これはぼちぼち危ないかもしれない」と予測することができます。 今回の東日本大震災で、ものすごい津波が発生しました。三陸地方も大きな津波被害に遭いましたが、明治時代と昭和初期にも津波で大きな被害に遭いました。その歴史を知っているか知らないかでは、今後の復興計画に大きな違いが出てくるでしょう。そうでしょう?人の命は最近で80年くらいですから、明治時代の地震とそれによる津波の被害なんてのは知っている人がいなくなります。 私たちが生きていく上で、できれば未来をある程度予測しながら生きていられれば安心です。例えば、志望校の合格率が何パーセントかなんてのは過去の問題なんかの傾向からの予想です。 しかし正確に未来を予測するのはほぼ不可能です。可能なことは、過去の歴史から予想することです。 歴史はなにも誰が天下をとったとか、ナントカ朝が何年から始まったなんてことばかりではありません。あの競走馬の父親は誰でどの血統なのかとか、こんどあの子を口説くにあたって以前の恋愛経験からどんなことを参考にして生かすかというのも幅広い意味での歴史の活用です。 貴殿が仕事をするにあたって、誰かから今までの経験でそこはこうしたほうがいいですよと忠告されたときにうるせー過去は過去だ関係ねーという人であれば、たぶん仕事で苦労するでしょう。 また余談ですが、教養のある人というのは、一見無駄に見えるほどの膨大な知識を持っているものです。例えばワインのソムリエさんなんかは、普段の仕事では持っている知識のほんの1%か2%程度しか使わないそうです。しかし使う知識しか持ち合わせがないソムリエと、ほとんど使うことがないであろう知識を持ち合わせているソムリエとどちらが優秀であるかは比べるまでもないことだと思います。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
○個人に対して役に立つか 1、先人たちがどうやって生きてきたか、ということを 学ぶのは役に立ちませんか? 身の回りの人達だけで 充分ですか。 2,人生の大きな岐路に立ったとき、歴史は役に立ちますよ。 3,こんな人がいた、ということで勇気をもらえます。 4,常識的なことを知らないと、バカにされます。 話が出来なくなります。 特に義務教育は、そういうことを学ぶ場です。 5,映画やドラマを見ても、歴史を知っていると見方や おもしろさが変わってきます。 6,歴史や伝統を大切にするのが保守で、それを軽視する のが革新です。社会主義が何故崩壊したのかを知っていれば 選挙の時に役に立つでしょう? 7,文化は必要ありませんか? 歴史は文化の時間軸でしょう。 ○国家から見た場合、役に立つか 1,日本人ということを意識させ、団結力を高める効果 があります。 日本人てなに? 言語や文化を共用する、てのが重要な 要素でしょう。 歴史の共有ということも日本人である、という意識の醸成 に役に立ちます。 2,愛国心の醸成。 歴史を知れば、好きになる場合が多いと思われます。 確証がない、と言うのであれば、科学などどんどん 覆っていますね。 科学も学ぶ必要はない、と言うのですか? 相対性理論があるんだから、不完全なニュートン力学など 勉強する必要はない?
- ok-ito
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ただ生きるならば、歴史なんて必要ありません。 歴史はあくまで教養です。 歴史の積み重ねで現代というものがあります。 今のニュースや普段の何気なく利用しているものにもそれなりのルーツがあります。 例えばアパルトヘイト政策がなぜあったのか、尖閣諸島の問題が何故起きているのか、911が何故起きたのか、日光東照宮が観光地となった由縁は何か。東京が首都となった理由は何か。 これらは歴史を知らなければ理解することはできません。 ですから、ある程度歴史を知らない人は「浅い人間」とみなされます。 それと、海外で仕事をする際に必要になってきます。 きちんと自己紹介できない人が信頼を得ることが難しいように、自国の歴史や文化を知らない人は信頼されにくくなります。 さらに、過去と同じ過ちを繰り返さないという目的もあります。 ドイツではヒトラーの再来を防ぐために、ひたすらヒトラーについて勉強します。 (そのせいで、その他の時代は外国人の方が詳しかったりします) 関東大震災の教訓から、地震に備えようとする傾向が現れたのも、歴史によって周期的に大地震が起きていることがわかったからです。 また、政治家や歴史研究家が歴史を知らないとなるとただの笑い者です。 子供の頃では誰がそういった職業に就くかわかりませんから、皆に教える機会を与える必要があります。 このように、ただ生きるならば、歴史なんて必要ありません。 ここらへんは数学も国語も物理も化学も生物も地学も地理も英語も体育も音楽も家庭科も美術も全て同じですが、良い生活を送るためにはどれも必要です。 要は、意識の問題ですね。
こんにちは 私は非常に重要だとも思っています まず1に重要だと思うのは、今や外国との行き交いは日常的ですし、そんな時に自国の説明を外人にできないようでは国際的に活躍する日本人としては失格だと思うからです(特に日本の場合、侍と天皇については外人も以外に知っているので) 同じくして世界史を知っておくと相手の国の過去を理解していることから、仲良くなりやすかったりもします 次に、文系の大学生にとって歴史は学問の礎の一部となる非常に重要な勉強です 文系の学問は基本的には常に自国と他国の比較なので、自国と他国の歴史だけでなく地理、経済、法、宗教、社会構造など、多くの前提知識が必要なのです が、しかし日本の文系(特に私立大学)は受験で1つしか学ばず、かつ大学に入ってからも強制的に学ばせられることもなく、さらには必須教養科目の選択で既に知っている受験で使った科目を選択できる始末・・・ 悪意をこめていえば、大学は学生に楽しい大学生活を送らせるために必死になっているのです その為、まともに土台のない学生に高度な学問なんてやらせても覚えてはい、終わり。比較という文系の醍醐味はほとんどない。 そんな人ばかりが蔓延しているので歴史に受験科目以上の価値を見いだせる教員は多くなく、それでもって私たち教えられる側の価値感も同じようになり、文系=遊びに行くという構図ができてしまったわけです 理系離れなんて言われてますが、まともな文系が少なくなっているのに文系の数自体は増えてるということの方が問題ですよ