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趣味で上手くなりたいと思うのは煩悩なのか
四苦八苦の説明を読んでいる間に 趣味で上手くなりたいという欲求は 実は煩悩ではないかと思い至りました。 求めても得られない苦を求不得苦というのだそうですが、 上手くなりたいのに上手くなれないジレンマこそ、 まさしくこれだと思います。 ひょっとして趣味とは煩悩発生装置なのでしょうか。 趣味を持っても煩悩に至らないケースもあると思います。 この考えは甘いのでしょうか。
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煩悩とは、「身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。」 叶わぬ欲求は煩悩です。 叶う欲求は煩悩ではありません。 成仏したい欲求が代表的なものですが、趣味に卓越したい欲求も達成可能ですから、かならずしも煩悩ではありません。 もし、趣味が高じて、その上達の欲求が智慧を妨げるほどになれば、煩悩と言えるのかも知れません。
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- Mokuzo100nenn
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#3です。 煩悩ではない欲求の代表的なものが「成仏したい欲求」です。
お礼
成仏したい心が煩悩でないと分かって安心しました。 それが煩悩なら、また悩むところでした。 皆様どうもご回答有り難うございました。 直接お礼を返してない方も、ここでまとめて お礼に代えさせて頂きます。
ジレンマって何でしょうか? うまくなりたい。 でもうまくなるには苦労しなければならない。 A・苦労してうまくなるか? B・苦労せずにうまくなりたい欲求に悩むか? このジレンマですか? 私に言わせれば、煩悩とは B のことでしょう。 私に言わせれば A は趣味ではありません。 B だって趣味とはいえませんね。 >ひょっとして趣味とは煩悩発生装置なのでしょうか。 まったく違います。 >趣味を持っても煩悩に至らないケースもあると思います。 これが趣味でしょうね。 うまくならなくても愉しい。 これでしょう。 >この考えは甘いのでしょうか。 甘いの結構。甘いのが趣味なのです。
お礼
きっぱりと否定して下さって はっきりと認識できました。 どうもご回答有り難うございます。
- wiz0621
- ベストアンサー率42% (182/430)
前提に戻ると、仏陀の思想は突き詰めれば四苦八苦(いやなこと)を避けるにはどうすればよいか、です。 もし、上手くなれないことが嫌なのであれば、それはいやなこととして、回避すべきですよね。 その方法を仏教思想は提示しているわけです。 ただ、仏典はそういう好きなものから離れる場合に 人は苦しみを感じるから執着するなとは書いてますね。 さらに反対に、上手くなれないことがいやなことではないのであれば、 (そして離れずに好きなままに死ねるのであれば) それはそもそも回避する必要が無いんじゃないでしょうか。
- iwamahico7
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時間がなくなってしまいましたので 結論だけ、 》趣味を持っても煩悩に至らないケースもあると思います。 この考えは甘いのでしょうか。 《 そんなことないですよ。 みんな苦労されてます。 ただ スポーツ選手などは、 そのジレンマに惑わされていたら 焦ったりして負けることもかえって多いことなでで 鍛えられていきます。 それに 趣味は そのジレンマを乗り越えること自体が 結構楽しい世界、 辛さもあっての、のめりこみの世界、 くるしいことも多少あっての冒険の世界、 創造の世界であり そういう楽しみの世界だと思います。 「求不得苦」考えすぎるほどのことではないと思いますよ^^。 それと あと 焦りが完全に消えるとしたら それは、その趣味をやってやってやりぬいた後のことだと思います。 そして そんな時には、 たぶん 涙が出るほどうれしい瞬間なのではないでしょうか? 何か 好きな趣味があるのですか? 考えすぎないで 明るく前に進んでいけばいいのだと思います。
お礼
皆さんご回答有り難うございます。 どうやら趣味を磨くのは煩悩にならないのですね。 少し煩悩の意味を取り違えていたと思います。
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
ことわざ?で、「酒は飲んでも飲まれるな」といいますが、 そういうことじゃないかなと。 僕もちょっとスポーツやるのでわかりますが、 飲んでるのか飲まれてるのか? つまり、楽しいのか依存してるのかの境界線があります。 それは見方を変えると、自分の主体性があるのかないのか、の境目とも言えるかと。 ということで、本音で楽しめてるのならいいんじゃないかと。 あ、いえ、その前に、その境界線を見極めて、境界線がいつも見えてるかどうか? の自覚のほうが大事かもしれないと思います。 それがわかってると、たぶんある種のリミッターになってくれると思うので(と、自分のことを棚にあげて言ってるだけです)
お礼
楽しんでいる状態は煩悩でなく、 依存している状態が煩悩という考えですね。 他の方の言葉を借りると嫌々と 義務感でやっている感じでしょうか。
- codotjtp
- ベストアンサー率26% (40/149)
上達の対象になった時点で、 趣味さえもが「(不純な)煩悩」へと変わるのでしょう。
- girl31
- ベストアンサー率0% (0/15)
「上手くなりたい」ってことは欲求ですから、煩悩といえば煩悩かもしれませんが…。でも「もっと上手くなりたい、今の自分じゃ満足いかない」って気持ちが、いつになってもないと人間進歩しないと思います。 それは煩悩というより、「向上心」に近いんじゃないんでしょうか。そしてこの向上心の根元って、「もっと自分のイメージを形にしてみんなに自分を伝えたい!」とゆう人間の強い自己主張なんだと思います。 これがなかったら、芸術とか文化とかは生まれず、詰まらない世界になったと思います。 だから、向かう方向が間違えてなくて、人に迷惑かけなきゃそのままでいいと思いますよ。
- uekido
- ベストアンサー率44% (35/79)
身もフタも無いですが、正解はないですね。場合によります。 かつてビートたけしが「何やるにしてもプロになるくらいの気迫でやらなきゃ面白くない」と言いながら、けっこうな歳になってピアノを習っていたのを思い出します。 苦労性な人だな~と思いましたが、エネルギーや理想の高い人はそうなんじゃないですか。 ただ、凡人は強制になった瞬間、面白くなくなる事がほとんど。 趣味というのは一般に「うまくならなくても構わないから気楽にやれる」というのが最大の娯楽性でして。 おっしゃってる事と一致するかわかりませんが、気楽にやってた結果すごくうまくなっちゃう事もあるから、求不得苦にならない事もありますね。 また、うまくなりたい、ああならない、やったなった!というカタルシスを求める向きも少なくないと思います。 絶対にうまくならないとわかっていたら、やっぱりつまらないんじゃないかな。 そもそも煩悩ってのは快感な事が多いから、言われてみりゃまあ、趣味はそのプロセスすべてが煩悩ですかね。 こんなんでお答えに当たりますでしょうか。
お礼
煩悩の定義をはっきりと示してもらって感謝します。 心身を乱し、惑わすものが煩悩なのですね。 成仏したい欲求が煩悩の代表的なものとの事ですが、 これについては別の機会にお伺いしたいと思います。