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注文の多い料理店の山猫軒でブラシが消えたときの風?
宮澤賢治の注文の多い料理店で2人の紳士が靴の土をブラシで落とした後,ブラシが消え,風がどうつと吹いてきます。この風はどのようなことを意味しているのでしょうか。
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宮沢賢治の作品を選ばれるとは 質問者様もなかなかのものです。 ボクは まだ意味するところを読み切れずに模索している者です。 風がどうと吹いて。。。これは風の又三郎でも使われている技法で すが どうやら人間以外の悪戯な意思を表しているみたいです。 この作品の冒頭で 二人の紳士が わりと警戒心が薄い楽天家とし て描かれていますね。そうです第一の注文である靴の泥を落とした あとに ブラシが消えて風がどうと吹いてきたにもかかわらず次の 部屋に入っていきましたね。 ここでお客(餌になる)かどうかを振り分けていたんだと思います ブラシが消えてもそれは 自分たちの空腹からくる錯覚だと思い込 んで先へ進むのか あるいは これは変だから立ち去るべきだと 警戒心を奮い立たせるのか。そこにおいて山猫たちは知っていたん だと思いますよ 人は欲望によって 警戒心を失ってしまう事を。 ボクの答えは 風は山猫たちが起こした 人に決断を迫る為の風 であると思います。 そもそも二匹の犬が倒れた時点で 何者かの仕業である事に気が付 きそうなものですけどね。欲に駆られた人間は盲目であるという事 ですね。決断を急がされた時には気を付けろというお話でした。
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- Postizos
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啓示のようなものではなくて自然の茫漠とした途方も無さの前に投げ出された時の心細い気持ち、山の中でひとり風に吹かれた時感じる山の深さとか、人間のちっぽけさのような物を、読む人に感じさせようということではないでしょうか。 誰が吹かせているわけでもない風の前でこそ、人間は自分の存在を意識してその小ささとか孤立に打たれるのではないでしょうか。 それは宗教心と言っても良いと思いますが、「神の意思」というような善導とか懲罰(人間的価値観の反映)と考えてしまうとかえってその大きさや深さから離れて行ってしまうと思います。 人間が作った心地よい建物の中に居るはずなのにまるで山の中に置き去りにされたかのような風に包まれてしまう。 ここでは風には意思はなくて、二人の置かれている状況、環境を表していると解釈すべきでは。 試験回答ふうに言えば立派な建物や安逸な雰囲気が幻想に過ぎないという暗示と思われます。
お礼
人間のちっぽけさのようなものときいて,感じたのですが,風や雨(空気や水の流れ)という自然の力が 人間が気付きあげてきたものを一瞬にしてかえてしまうこともありますね。台風や竜巻,洪水や津波の恐ろしさを最近目の当たりにしてきました。風が自然がもつ力の象徴なのかもしれないと思いました。回答有り難うございました。
- kyo-mogu
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http://www.jma-net.go.jp/sendai/wadai/touhokukikou/kikou-index.htm やませの風も関係するのかな。 > この童話集の一列は実に作者の心象スケツチの一部である。 青空文庫より引用 ここら物語が始まりますよという幕みたいなものかもしれませんね。この風とともに山猫たちの世界に引きずり込まれたのでしょうね。心象スケッチでもありますので、感じたまま感じて欲しいのかも。
お礼
やませの風がどうつとふいてきているかもしれませんね。どのような心像のスケッチなのか,いろいろ想像がふくらみます。回答ありがとうございました。
山猫たちを従えて悪戯をしていたのは 山の神でしたか。 ありえますねえ。 民俗学の柳田国男の遠野物語でも 岩手県の早池峰山などに 山の神が登場する話がたくさんありますから。 イーハトーヴは岩手県にあるのかもしれませんね。 もし民俗学のかたが この質問を閲覧されていたなら もっと 深い謎解きをされるかもしれませんが はたして閲覧されて いるでしょうか。少しの期待を残して 失礼いたします。
お礼
山の神だとすれば,宮澤賢治が吹かせているわけなので,何かを表現するための仕掛けではないかと思うのです。回答有り難うございました。
お礼
回答有り難うございます。確かにこの風から山猫の注文が始まりますね。なるほどと思いました。人間以外の悪戯な意思として風が描かれているということも知ることができました。物語に奥行きを与えている優れた叙述の1つだなと感心させられました。わたしは,この人間以外の存在をイーハートーヴの山の神で,この山の神が風を吹かせているのだと想像しました。なぜなら,この山に慣れた猟師と猟犬を二人の紳士から引き離し,山猫を使って二人の紳士に対して悪戯をし,顔を紙くずのようにするという一連の仕業に神の意志を感じるからです。