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宮澤賢治の「猫の事務所」の獅子について
宮澤賢治の「猫の事務所」の獅子について 最後に、事務所を廃止させる(権力がある?)獅子が登場しますが、この獅子は、猫の事務所にとって、さらには宮澤賢治にとってどのような意味・存在なのでしょうか? 宗教的・歴史的背景などがあるのでしょうか?
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宮沢賢治の作品の鑑賞において、決して等閑にできないのが『法華経』です。 浄土真宗の家に生まれながらも、 自身は「生命尊厳・万人成仏」を説く 法華経の信者へと改宗し、その故の必然としての、 精神的・肉体的・社会的葛藤が、全作品に滲み溢れています。 「猫の事務所」は1926年、賢治29歳の作品で、 花巻小学校教員を退職した直後の作品です。 四匹のネコの織り成す、コメディータッチの描写は、 官僚組織化した学校職員現場の風刺のようでもあり、 世事に振り回される、庶民の愚かさのアイロニーかもしれません。 獅子のせりふの、 「そんなことで地理も歴史も要った話ではない」 というのは、 「そのような痴態を演じている者が、学問を膾炙することに 何の意義があるか」 との示唆であろうと思われます。 『法華経』における『妙法蓮華経』とは、 「座して天命を待つ」でも 「極楽浄土」を希求するものでもなく、 今自身が在る所の現実社会を、 「常寂光土」へと変革する、ある種の実践哲学ですので、 これに背反するかのような、ネコたちの病的な俗物振りへの 一喝であろうかと察します。 また法華経の眼目は万人救済ですので、 このネコたちに対しても慈悲の眼差しを持つが故に、 作者賢治は「半分獅子に同感です」なのだろうと推察します。 更に鎌倉新仏教時代に、法華経ルネサンス活動を展開した 僧侶日蓮の御託宣にこうあります。 『南無妙法蓮華経は師子吼の如し、いかなる病さはりをなすべきや』 (南無妙法蓮華経は、獅子が吼えるようなものである。 どんな病気が障害となろうか』 この時代に、学生として宮沢賢治を研鑽されている 稀に見る俊才へ敬意を籠めて
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「猫の事務所」で獅子が登場する件は、その登場も登場の仕方も、唐突な感が、否めませんでした。 しかし、そういった不自然さこそ、それを自然と思える作者自身ですから、宮澤賢治の出自はこんなところかと、妙に感心しました。 それ以来、何も考えたことがありませんし、そういうことを追求する興味はありません。 ☆ ☆ ☆ しかしながら、あなたの質問を見て、愛読している 原子朗氏の「新宮澤賢治語彙辞典」をめくってみたところ、「獅子」の項の末尾に、下記の記述がありました。 獅子は、仏の化身、比喩としても用いられる。童話「猫の事務所」の結末で、事務所の「解散を命ずる」獅子には、明らかにその意味がかくされていよう。象がそうであるように。 ☆ ☆ ☆ 確かに、こういった深い読み方があるのでしょう。 そういう事に全く煩わされなくても、僕にはすごく楽しい作品です。
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回答ありがとうございます! 私も今までは深く考えていなかったのですが、授業でたまたま宮澤賢治が作品に様々な意味を込めていることを知りました。その時猫の事務所の獅子の事を思い出し気になってしまいました。やはり意味が込められていそうですね。ただ、おっしゃるように深く読まなくても十分楽しい作品だと思います。
お礼
法華経と獅子が関係していたのですね! 宮澤賢治が作品に込めた思いがとてもわかりやすくなりました。 ありがとうございます。