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「ら抜き言葉」は言語の正当な進化か?
「食べられる」という表現があるとして、皆さんならそれをどういう意味として受け取るでしょうか? 「食べることが出来る」という可能の意味? 「何者かに食べられてしまう」という受身の意味? 今のような文が宮沢賢治の「注文の多い料理店」に出てきました。 そうです「食べられる」という言葉を可能の意味の「食べられる」だと受け取った二人の男は、危うく山猫に食べられそうになってしまうんです。 こう考えると、いわゆる「ら抜き言葉」はそのような誤解を防ぐ、言語の正当な進化だと思うんです。 皆さんは「ら抜き言葉」を言葉の乱れだと思いますか?それとも正当な進化だと思いますか?
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お礼
私も「ウザイ」「キモイ」は単なる乱れとは思ってないです。 しかし、言葉というものは必要になって初めて誕生するもの。「ウザイ」「キモイ」などの、軽々しく人を傷つけてしまうような言葉が今の社会でそれほどまでに必要なのかと思うとなんだか虚しくなってきます。