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moral certainty

There is a moral certainty of his guilt.や He regards it as the moral certainty of American culture as reflected in its policy.といった文に出てくる"moral certainty"はどのように訳せばよいのでしょうか。辞典や例文を見てみても、漠然とした感じで、よく理解できません。よろしくお願い致します。

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回答No.6

  >a very high degree or probability, although not demonstrable as a certainty というのはそういう意味だと思います。 その通りですよ。わたしもそう最初に記しています。しかし、そうだから、逆に、moral certainty とは何のことか、分からなくなって来るのだと思います。質問者も、この定義に合わない文例があるので、意味が分からないと質問しているのだと思いますが。 つまるところ、結論としてわたしが出したのは、moral certainty は、純然と、moral に関係し、宗教や、信念や信仰、文化などと密接に関係する概念であるにも関わらず、「意味の抽象的上澄み」を掬う結果、道徳・宗教との連関が意図的に忘却・隠蔽され、「蓋然性の高い、実証されていない確実性・確信」という「ニュートラルな意味説明」になっているということです。 「魔女の存在を信じていた人の確信」が「正しいという確信」で、これが、moral certainty なら、実は、極端には、「現在でも、魔女の存在を信じている人がいて」、moral certainty を主張して、それどころか、そういう人が、「大統領の座にあり」、他国への侵略を正当だと主張し、「事実や真理が、現実政治において、実証されている」というようなことを、確信し、主張し、信仰し、多くの人の賛同を得ているという事実が存在するということが問題なのでしょう。 moral certainty は、「強い蓋然的確実性、強い確信」だと云えば、宗教や信仰や道徳とは、無関係に思えるでしょう。しかし、現実の用法では、「古い用法」が強調的に使われていて、the moral certainty of American culture は、実は、「アメリカ文化の信仰的信念」とでも訳すのが妥当だが、そのような表現そのものが「理念的に不適切」とする考えがあり、だから、こういう表現は「乱暴」だと云っている人が、同時に、moral certainty には、「道徳的」な意味があると明言するのでしょう。 つまり、単独で使われた moral certainty に、「道徳的」背景があることは否定しようがないので、一方で、「道徳的意味」があると述べ、他方、現実の政治評論などで、この言葉が、具体的なアメリカ文化などについて使用されると、それは「ニュートラル表現」ではないというので、「乱暴」だという感想になるのだということです。 なお、先に、少し間違ったことを書いたと思うので、補足を記す追加での言葉です。 >>(また、自然な社会として、キリスト教的社会に対比されているのは、ローマ帝国であることが多く、moral の場合、意識していなくとも、そういう対比が含まれている可能性が高いです)。 >> >>moral courage は、「道徳的勇気」のはずですが、ただの courage は、非キリスト教的な、ローマ人や蛮族の「勇気」で、それは「自然的勇気」であり「肉体的勇気」である。それに対し、moral courage は、キリスト教社会・共同体の霊的基準における勇気で、それは「自然的勇気」に対比して、「(霊的に熟成された)勇気」の意味があり、これに合う日本語表現は、「精神的勇気」なのだろうということです。 >> >>moral victory, moral influence も同様で、「道徳的な」という意味を含む他方、「自然・物質・非キリスト教的基準」に対立して、「精神的」という訳語が適切になるのだと思えます。 こういう風に先の回答で記したのですが、西欧は「道徳」については、キリスト教的道徳と、古代のローマの道徳の折衷的な形式だったことを忘れていました。宗教的信仰では、ローマの神々など当然ながら認めませんが、「勇気、克己、忍耐、忠誠心、国家愛」などの美徳では、西欧中世は、ローマの古代文化の道徳規範を模範にしていました。 「国家愛」は、近代国家が成立すると、重要性を増し、アメリカは、上院議員を、Senator(セナトル・元老院議員)と呼ぶなど、自国をローマ帝国になぞられています。 従って、ローマが「蛮族ゲルマンなどの肉体的勇気」に対し、ローマ市民の文化と共同体への忠誠から来る勇気を、「精神的勇気」と呼び、これを、moral courage に相応する表現で呼んでいたことの英語における名残が、この用法だろうということです。 蛮族ゲルマンが、やがて西ローマ帝国の滅亡の後、フランク王国としてローマの制度、文化、規範、道徳等を継承し、文明世界を名乗り、そのゲルマンの一派のアングロサクソン、そして北のノルマンが、イングランドを構成し、イングランドの伝統から、派生してアメリカの文化と言語が成立するのです。 それはとまれ、ドイツの爆弾が学校に落下するなか、チップス先生は悠然、精神的勇気を持って、Tacitus の"Germania" のラテン語を読み、生徒に解釈している訳で、「文化(クルトゥール)」を誇るゲルマンの雄ドイツ帝国こそは、蛮族ゲルマンで、我々大英帝国は、文明の光に輝く大ローマの再現なのだという意味だったのでしょうか。そして今は、超大国アメリカが、大ローマの後継者は自分であると豪語している……そして、これが、moral certainty の一つの形なのでしょう。  

around-the-world
質問者

お礼

とても詳しい説明をいただき、どうもありがとうございます。いろいろ例文などをあたってみても、the moral certainty of American cultureの意味が明確にならず、悩んでいましたが、maris stellaさんの説明を読み、理解が深まりました。感謝致します。

その他の回答 (7)

  • d-y
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回答No.8

#3です。 いろいろ考えているうちに、少し考えが変わってきました。 moral certaintyと言う場合、“moral”と“certainty”の2つの言葉の意味上のつながりの点から見て、次の2通りの解釈が考えられます。 1.certainty as to moral 道徳に関する確信 2.certainty that is moral, or morally acceptable 道徳的に許容される確信。良心的な確信 moral certainty=high degree of probabilityというのは、上記の2の意味での解釈だと思います。 つまり、世の中のさまざまな問題のほとんどは科学的には証明不能ですが、そういう問題について“certainty”があると言うためには、「確かな根拠に基づいた非常に高い蓋然性」を要求するのがmoral(道徳的・良心的)だという認識に由来する表現だと思います。 いずれにしろ自信なしの回答ですが、参考になれば幸いです。

  • bartleby
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回答No.7

moral certaintyは誤解される事が多いフレーズです。 現在の用法は本来の意味と異なるような使い方が少なくありません。 これは、moral = 道徳 と関連させてしまう人が多い為でしょう。 参考urlをご参照ください。ここでは裁判で使われる表現の定義について色々と説明がありますが、一部を抜粋します。 「The Oxford English Dictionary, reflecting historical usage, defines the phrase as "a degree of probability so great as to admit of no reasonable doubt," a meaning essentially synonymous with "proof beyond a reasonable doubt." But the 1992 edition of the American Heritage Dictionary of the English Language gives moral certainty a much different definition: "based on strong likelihood or firm conviction, rather than on the actual evidence." 」 引用:'Lectric Law Library 要するに、時代の変化により本来の意味とは異なる使い方が現にされている訳です。 ご質問の答えですが、前後の文脈を考慮する以外方法はないと思われます。本来の意味ではなく、道徳に絡むような意味合いで使われているのなら、そのように訳すしかありませんので。

参考URL:
http://www.lectlaw.com/files/cri09.htm
  • d-y
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回答No.5

私なりの理解を書いて見ます。 moralは「道徳」ですけど、「道徳」とは「何が正しくて、何が正しくないかに関する問題」のような意味だと思います。 ところで、「これは確実に正しい」と言う場合、その確実性は、科学的法則のようには証明できません。 価値観や考え方が変われば、「確実」と思っていたことも、全然「確実」でなくなることがあります。 例えば、魔女は死刑にするのが正しいと「確信」していた中世の人々のことを想定してみてください。 言い換えれば、「正しさの確実性」とは、その「正しさ」を信じて行動しても良いと判断できる程度の「高い可能性」に過ぎないわけです。 a very high degree or probability, although not demonstrable as a certainty というのはそういう意味だと思います。

回答No.4

  「moral ceratainty」の意味は、No.2 の回答への補足にある、 >a very high degree or probability, although not demonstrable as a certainty この通りの意味なのだと思います。「理性的に確実性が実証されていないが、高度に蓋然性がある……という意味での蓋然的確実性・確信」でしょう。 ここで問題は、high-probability certainty ではなく、何故、moral certainty かという疑問だと思います。英米人が読めば(英米人でなくとも)、moral certainty は、「道徳的確実性」に見える訳で、moral(道徳的)という形容詞が付いて、何故、「蓋然性の水準の高さを伴う、実証されていない確実性」の意味になるのかが、よく分からないということだと思います。 moral は、ラテン語の moralis から派生していて、「マナーの、礼儀上の、慣習の、習慣の」というような意味が基本であったようです。「社会的・共同体的規範・基準の」というような意味が基本なのでしょう。moral を使うが、「道徳的」とは訳さない表現として、辞書では、moral influence(精神的影響)、moral victory(精神的勝利)、moral courage(精神的勇気……肉体的勇気に対し)などがあります。また、morale(志気)という言葉は、語源は同じで、moral の派生語としてあるようです。 何故、「精神的勝利」で、「道徳的勝利」ではないのかという疑問が起こってきます。 moral は、「行動の善悪の基準としての道徳」という意味で、この「善悪基準」また、背景とする「共同体」とは、キリスト教共同体社会で、キリスト教的善悪判断が背景にあるのだとも云えます(それも、プロテスタント的な moral だとも考えられます)。 日本語の「道徳」は、元々老荘思想の言葉で、儒教の規範概念として日本語に導入されたものです。宗教的背景があるという点で、日本語と英語で似たような表現や意味が生じる他方、「原義」の違いが表に出てくる場合もあります。(これと似た例で、ギリシア語の「アレテー」は普通「徳」と訳されますが、儒教の概念の「徳」とは違った何かなのです)。 「共同体の規範」としての moral は、ギリシア語でいう nomos に似た意味があり、「ノモス」は新約聖書では、「律法」と訳されていますが、広義の「共同体の法律・慣習規則」などで、「人為的・社会的規則」で、これは、「自然の原理・規則」また「自然(ピュシス,natura)」と対立しています。 natura は、「自然」であり「天性・本性」などですが、キリスト教的な moral, nomos に対立する「自然」だと、「自然状態、肉体、物質」などの意味を内含するとも考えられます。moral の側には、「社会、精神、霊」などの意味ニュアンスが入って来ることになるのだと思います。 人の本性は、「原罪」において悪でるとも云え、これをキリスト教会が、またキリスト教社会が、信仰に導き、善導し、モラルある者として社会の一員に、またキリスト教的霊的宇宙秩序の一員に加えるのだとも云えます。 moral は、「キリスト教的霊的善へと、自然な人を導く規範」というような原義がある可能性があります。日本語の「道徳」には、当然ながら、「キリスト教的霊的善悪」などは、背景にありませんが、英語の場合の moral は、そういうものがあるのが当然です。 (また、自然な社会として、キリスト教的社会に対比されているのは、ローマ帝国であることが多く、moral の場合、意識していなくとも、そういう対比が含まれている可能性が高いです)。 moral courage は、「道徳的勇気」のはずですが、ただの courage は、非キリスト教的な、ローマ人や蛮族の「勇気」で、それは「自然的勇気」であり「肉体的勇気」である。それに対し、moral courage は、キリスト教社会・共同体の霊的基準における勇気で、それは「自然的勇気」に対比して、「(霊的に熟成された)勇気」の意味があり、これに合う日本語表現は、「精神的勇気」なのだろうということです。 moral victory, moral influence も同様で、「道徳的な」という意味を含む他方、「自然・物質・非キリスト教的基準」に対立して、「精神的」という訳語が適切になるのだと思えます。 moral certainty も、「精神的確実性」なのかといえば、おそらくそうなのだと考えられます。ただ、「精神的確実性」とは何のことか分からないので、「まず間違いない確実性」とか「高度な蓋然性の確実性、確信」という訳語が出てくるし、英語での説明でも、「高度な蓋然性、確信」ということが意味だと示されるのでしょう。 しかし、moral の原義から外れている訳ではないはずなのです。 >There is a moral certainty of his guilt 「彼の有罪」とは、社会的な善悪問題で、moral が原義的には関連しているのです。この場合、ローマ法的な、自然的事実を元にした証明では、立証できないが、「霊的・精神的次元」では、彼の有罪は疑いないのではないか、と思える場合、moral certainty というのでしょう。(厳密には、「道徳的に確実」とは違う意味を持っているので、訳しようがないとも云えます。この文一つでは表現できませんが、多くの文章があれば、それらの訳文を通じて、どういう意味を、moral certainty が持っているのか、示すことができるでしょう)。 >He regards it as the moral certainty of American culture as reflected in its policy. >彼は、そのことを、まさにアメリカの政策に反映されているように、アメリカ文化の精神的信念(確信)であると見ている。 Google で検索すると出てきますが、別の人が、次のような意味のことを記しています(以下は、相当に意訳しています):「陪審員は、自己の良心にとって最大限の重要事として、ある事実の真理性を信頼して、判断を行った場合、ある事実について、morally certain(モラル的に確実・確信を持つ)と云われる」。 原文には、「良心にとって」という言葉はありません。「in matters of greatest importance to himself or herself」という表現なのですが、陪審員は、何に対し、その判断の妥当性・判断の誠実さを誓うかと云えば、それはキリスト教文化のアメリカでは、「聖書であり神」に対してのはずです。「良心」とは「神に対する良心」なのです。 「the moral certainty of American culture」が乱暴な言い方だというのは、moral certainty という用法に懐疑があるからで、この言葉を、制限的に使用すべきだと考えている人がいるということでしょう。しかし、「アメリカ文化の本質」の指摘ということになれば、「真理や善悪についての依拠基準」の指摘ということが問題になるでしょう。特に、「その政策に反映されているように」と云っているのですから、「政策の妥当性」は、「善悪問題」も含むのだというべきでしょう。   moral と文化は別であるとか、宗教と政治は別であるとかは、虚偽でしょう。「政教分離」とか、「道徳と文化の違い」とは、理念的に目指されるものであり、理性的に判断されることですが、「アメリカの文化の本質的特質」という話では、その宗教や、道徳原理の依拠する共同体の通則(ノモス)、つまり、アメリカならキリスト教的善悪判断や世界観・価値観が無関係だというのは詭弁にしかなりません。  

  • konkichi
  • ベストアンサー率45% (94/206)
回答No.3

こんにちは。 >(1)There is a moral certainty of his guilt. 「彼の有罪には道徳的な確信がある」 >(2)He regards it as the moral certainty of American culture as reflected in its policy. 「彼は、それをアメリカの文化の強い確信がその政策に反映されていると見ている」 ほとんどの日本語の辞書には、「強い確信」と出ていますが、これではモラル(道徳)と関係ある言葉なのか、特に無くてもよい言葉なのか分かりませんね。多分、around-the-world さんもそのところを疑問に思っているのではないでしょうか?上の例では、(2)はあまり道徳とは関係なさそうですよね。 私も疑問に思ったので、ネイティブに尋ねてみました。その人は、 『自分が今まで聞いた、あるいは読んだ moral certainty という言葉は全て道徳や善悪の判断の強い確信の意味だった。道徳とは関係のない moral certainty はあり得ないと思う』 という意外な返答が帰ってきました。私はネイティブ万能だとは全く思いませんが、かなり教養のある人なので、かなり信憑性はありそうです。 その人によると、(2)の the moral certainty of American culture は、乱暴な言い方だ。文化に道徳の基準を持ち込むのは間違っていると言うのです。でも、全体を読めば、たぶん米国政府の対イラク戦争のやり方を分析した文ではないだろうかとは検討がつきますよね。西側先進国と後発のイスラム教世界との間の文化的、道徳的な考え方の違いの話ですよね。(もし、ぜーんぜーん違っていたらごめんなさい。)うん?やっぱり、詳しく見ると道徳的確信の意味か(?)と思いますね。 「彼は、それをアメリカの文化の強い確信がその政策に反映されていると見ている」 →アメリカ文化の中の道徳的正しさの確信 と読み替えた方が良さそうですね。 以上ですが、お役に立てれば幸いです。 konkichi

around-the-world
質問者

お礼

ご回答いただき、ありがとうございます。moral certaintyは英英辞典で調べると、probabilityに近い意味のようで、「道徳」とは関係ないのか、と思っていましたが、やはり関連があるのですね。ネイティブの方に訊いてくださったとのことで、ありがとうございます。自分でももう少し調べてみます。

回答No.2

around-the-worldさん、こんにちは。 難しい文章ですね。 >There is a moral certainty of his guilt. certainty(n)名詞←certain(a)確かな、確信して、ある、などの形容詞 確実なこと、確実性 という意味ですね。副詞は、certainly(ad) moral(n)教訓、モラル、道徳   (a)道徳上の、倫理上の、道徳にかなった、教訓的な などがあり、ここでは形容詞です。 a moral certainty 「まず確実と考えてよいこと」です。 なので、 There is a moral certainty of his guilt. 彼の有罪については、まず確実だと考えてよい。 (彼の有罪は、確実なことである) となります。 >He regards it as the moral certainty of American culture as reflected in its policy. regard A as B AをBとみなす なので、 彼は、それをアメリカの文化のmoral certaintyだとみなしている。 後半のasは、過去分詞、形容詞、前置詞を伴って 制限の意味をもつ成句を作ったりする用法です。 as ~  ~する限りでは reflect 反射する、反映する、熟考する、よく考える、など as reflected in its policy そのポリシーに照らし合わせて考えた限りでは、 となると思います。あわせて 彼はそれを、アメリカ文化のモラルに照らし合わせて考えた限りでは、まず確実なことである、とみなしている。 のようになるかと思います。ご参考になればうれしいです。

around-the-world
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。moral certaintyの意味をウェブ上の英英辞典で調べると、a very high degree or probability, although not demonstrable as a certaintyと書いてあったのですが、実際の英文の中で見ると、どう訳せばいいのかわからず困っていました。英和辞典などを見ると、蓋然的確実性という意味が載っていたりしますね……。

  • tocd
  • ベストアンサー率21% (11/52)
回答No.1

英文は全体を見ないとわからないのですが、 できましたらもっと前後の文章をいただけますでしょうか??? または分野など、お願いします。

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