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匈奴の言語についてです。
匈奴の言語についてです。 漢代に匈奴に降った漢の将、あるいは逆に匈奴から漢の侯になったものなどおりますし、公主で匈奴に行った女もいます。史記などみても何の障害もなく意思疎通をしているようですが、匈奴の言語は何だったのでしょうか?言語が異なるとして匈奴は当時のシナ語も容易に理解していたのでしょうか。
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通説は「言語系統については長い間論争が繰り広げられており、いまだに定説がない。考えられるのはテュルク系かモンゴル系であり、漢語(中国語)でなかったことが史書より知れる。」といったところですね。 その頃は大学の入試などがなかったから、第二第三の外国語の実用的な使い方を身につけるのは速かったと思われます。 僕の知っているモンゴル人は、チベットの仏教の坊さんで(だからチベット語はペラペラ)漢訳のお経もプロなので中国語もペラペラ、ですから僕の知っている範囲でも三国語が話せ、その上日常会話は英語で出来る人です。
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- SPS700
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#1です。補足です。 http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/hunna1.htm 下記の下の方にも言語についての意見があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%8C%88%E5%A5%B4 ご質問ですが「漢代に匈奴に降った漢の将、、、」などを証拠として「何の障害もなく意思疎通をしている」と解釈するのは、問題があるのかも知れません。 アメリカに降参した日本の軍幹部がいた。アメリカの学校で勉強して日本に帰ったものも居る。アメリかに行った日本女性もいる。これを証拠として(普天間基地の問題一つを取り上げ、プロの通訳を通じて政府高官が話し合っている時でも)「何の障害もなく意思疎通をしている」とは言えるでしょうか? でも領土を広げるには共通の言語より、武器、機動力、士気(というか我が方に大義名分があるという信念)、が物を言うようで、これは匈奴が版図を広げたころも、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を植民地化した時も、今も、あまり変わらないように思います。 「言語が異なるとして匈奴は当時のシナ語も容易に理解していたのでしょうか」これは難しいご質問ですね。 ○千年後、アメリカと日本の言語が異なるとしてアメリカは当時の日本語も容易に理解していたのでしょうか、と尋ねる人がいたら、正解は、その○千年前に現場に居たわれわれが把握しているわけなんでしょうが、、、 どうお答えになりますか?