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《宇宙は自分の補完です》とは どういう意味でしょう?
《宇宙は自分の補完です》とは どういう意味でしょう? 果たして意味があるのですか? 回答としてもらった内容なのですが 質問者として軽くあしらったために 補足要求に応じてもらえなかったところの文章です。
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自分は物語の主人公で、 宇宙はその主人公を引き立たせている脇役 と思えばわかりやすいと思います。 脇役は主人公の補完です。 なぜなら物語は主人公だけでは面白くないからです。 絶対に脇役が必要です。 そういった意味での補完なのだと思います。 だからここでは「互いに補い合う」、 というよりは「脇役が主人公を補う」のです。 あくまで物語は主人公にスポットライトがあてられているのです。 これと同じように、 「宇宙は自分の補完です」は 自分をスポットライトにあてているのです。 物語では主人公が主役とはじめから分かりきっていますが、 宇宙は人間を越えた絶対的存在だと一般的にはみなされます。 それに対して、「いやいや、私の人生にとっては私こそが主役だ」 と主張する必要性が現れてもおかしくありません。 ただ自分の人生を生きるためには宇宙が必要なのだと。 宇宙がなけりゃ地球も存在せず人間生きていけませんからね。 そういった点で宇宙が自分を補完してくれている、 要するに自分の人生の脇役を務めているいうことです。 宇宙を人間の上におく考えをやめて、 下におく考え方なのだと私は推測します。 また、お礼の欄をみましたが、bragelonneさんの仰る補完は 絶対に物質を対象にしなければいけない言葉だと認識されてるようですが、 そうとは限らないです。 補完とは補って完全にするという意味で それ以外に何も意味はないと思いますので。 しかもここの意味での補完は人間を完全(絶対的)に近づけるという意味 であることから、一般論である宇宙自体が絶対的なものであることの 対比要素としてうまく働く言葉だと考えることも可能かと思います。
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- oliver1234
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どのような質問の回答なのかイマイチ分かりませんが、 私の考えを述べますと、 古くからある宗教観(空(くう)だとか)や最近の脳科学的な側面からしてみると 「結局、この世界は私という人間の観測行為によってこの世界がこの世界であると認識される」 と考えられる面がある。 厳密に言うとどちらが先かは分からないし、証明はできない性質のものです。 「宇宙があって自分がある」としてするのが一般社会的認識だと思いますが、いや実は 「自分があって宇宙がある」のではないか? と取り立てて語ることに哲学的意味があるのではないでしょうか? 前者は当たり前すぎて話題になりませんが、後者は「あれ?真実かも?」と思わせる何かがあります。 分かりやすく言うと 「心頭滅却すれば火もまた涼し」 ということです。 火は熱いから熱いと観測されるのか? いや、私が熱いと認識するから熱いと観測されるのでは?と。 それが今までは精神論だと思ってたところが、 実は人間の脳の反応という物理現象なんじゃね? ニューラルネットワークに流れる電子の一挙動にすぎないという と科学の裏付けが進んで来たことからまたこういった概念が見直されているようです。 「成功哲学」もこれを土台としていますね。「馬鹿の壁」も原理的には同じです。 自分が考えた通りに世界は動いてるということです。 なぜならば何事も発信者がどれだけ強力な信号を発しようが、 受信側が都合のよいように解釈したら、それがすべてなのですから。 それが対人間であろうと、対自然であろうと同じで、対宇宙として考えたときに、 《宇宙は自分の補完です》と言えるのかもしれません。 真に自分の脳内の世界だけで生きてる人のことを「自閉症」と言ったりしますね。 (コミュニケーションが苦手な人のことではなく、病気として自閉症の人のことです) でも、彼らからしてみれば我々の方が「自閉症」もとい「自開症」なのかもしれません。 既にこちら側に属している我々では、客観的に見てどちらが正しい状態であるのか? ということは説明できません。そういった考え方もあろう ということです。
お礼
オリワ゛-さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ですが ご説明については 分かり切りませんでした。 ★ ~~~~~~~~~~~~ 分かりやすく言うと 「心頭滅却すれば火もまた涼し」 ということです。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そのような心的現象が その影響としていくらかの身体的な現象をもともなって起こるということをわざわざ ○ 《宇宙は自分の補完です》 ☆ と言いたかったということですか? それなら 《ただ昔の〈何ごとも気の持ちよう〉を言いかえたに過ぎませんが》とひとこと ことわっているでしょうね。(ふつうの社会的な交通のできるひとであるなら)。 けれどもそんなことを わざわざ大発見のように伝えようとしますか? 考えられません。 オリワ゛ーさんの所為ではなくです。 ★ 火は・・・私が熱いと認識するから熱いと観測されるのでは? ☆ 知覚する前に視覚によって――学習経験にもとづき―― 熱そうだと思いますね。しかもわたしの視覚のおよぶ前に その火は燃えているはずです。言いかえると わたしが見たあるいは手をかざして知覚したゆえに 燃えることになったのでもなく熱い状態になったのでもありません。 こんなことを いちいちああだこうだと頭を使って考えようとしているのですか ★ 古くからある宗教観(空(くう)だとか)や最近の脳科学 ☆ は。 ★ 自閉症 ☆ は病気ではありません。たとえ一時的にそういう状態に落ち入っていたとしても その状態は このような宗教観や脳科学にうつつを抜かす馬鹿の壁よりは ましでしょう。 自閉症状態にある人たちは このような本気での馬鹿が早くふつうの脳状態に直るようにと ただじっと待っていてくれるだけだと思いますよ。あたかも同じようにおつきあいをしてくれているのです。 いくらさげすみのまなざしをそそいでもいいから 早く《わたしがわたしである》あなたの自然本性に戻って欲しいと言いつづけているのでしょうね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 既にこちら側に属している我々では、 客観的に見てどちらが正しい状態であるのか? ということは説明できません。そういった考え方もあろう ということです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いえいえ そんなことはありません。どうか心をしっかりと持って 我れに還った状態で んなあほな と《認識人間ロボット症候群》にはやさしくあたたかく声をかけてやってください。 われわれ人間は 量子(《いくつ》さ)のみではありません。 とかんがえますが いかがでしょう?
お礼
そうですね。――あっ ふたたび1212さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。―― まづ ( a ) 人間が 一方で人間も質料(物質)から成る存在でありますし 他方で自然環界やあるいは第二の自然としての社会環境の中に生きている存在でもある。 ☆ ことに間違いはないですね。そうなのですが そのときわざわざ《宇宙が一人ひとりの人間を補完する》ということを言うのは なぜか? こういう疑問が発端でした。 そして同じくまづ その《補完》の意味をわたしは限定してはいません。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ bragelonneさんの仰る補完は 絶対に物質を対象にしなければいけない言葉だと認識されてるようですが、 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いえいえ そうではなく 《相補性》という意味で捉えよという回答に接して それなら自然科学の説く物質の問題なのですね?と問い返しているだけです。 ところが おっしゃるには ★ ~~~~~~~~~~~~~ 補完とは補って完全にするという意味で それ以外に何も意味はないと思いますので ★ ~~~~~~~~~~~~~ 自分は物語の主人公で、 宇宙はその主人公を引き立たせている脇役 と思えばわかりやすいと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なんですね? そしてさらにそう言うのもわけがあって ★ ~~~~~~~~~~~~ しかもここの意味での補完は人間を完全(絶対的)に近づけるという意味 であることから、一般論である宇宙自体が絶対的なものであることの 対比要素としてうまく働く言葉だと考えることも可能かと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ さて どうしたものでしょう。 (1) 初めに述べた( a )の内容において 《人間》の主体性を取り立て さらには宇宙における主役として扱えという解釈事項については どうか。 (2) その必要があるとすれば 指摘されているように《宇宙が絶対的な存在として 人間に迫りくる》というのは ほんとうの現実ではないだろうという判断からのようです。 (3) どうでしょう? そんな一般論がありますか? でもあるとして 《モノ(質料・いわゆる物質)は人間の手に負えない》というのも 一面の真理ですよね。モノの自己運動に沿ってしか 人間はモノを扱い得ません。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというかのように じんるいはへりくだってモノとしての世界における事実を大切にし 曲りなりにも自然の科学を拓いて来ましたね。 (4) どうでしょう? 人間は宇宙のなかにあって もう主役になっているのぢゃありませんか? ☆ こう言うと元も子もなくなるかも知れませんが でも話は おっしゃるようなことなのであって 問題はなぜわざわざそういう表現をする命題を出して来るのか でした。 おかしいですよね? ひょっとすると 《もっとぼくにスポットライトを当ててくれぇーっ!》という叫びだったんでしょうか? でもそれにしても 何とも幼稚ですね。 いやぁ アゲンさんのお話はようく承りますし 承っておくことのできる内容なのですが はてさてでは どういう心づもりがその発言者の中にあったのかとなると これまた 推測の域を出ないということになってしまいます。 * ひょっとすると 自然科学の説く理論としてもっと中身のある話であるかも知れないのです。じつは です。でもわたしには それを見渡す知識の蓄積がないのです。といったことにも触れつつ。