こんばんは。
>このジレンマを解決する方法はないものか?
愚鈍なましゅまろには”宇宙のファンタジー”なんて、難しいことは全然わかりませんけれども、
OtamaFJ様は、「貯金がない~」「時間がない~」「ブータンに行けない~」と、ご自身で「ないないづくしの呪縛」に囚われてしまっているように映るのです。
「ないこと」「できないこと」ばかりを考えていけば、先行きも当然不安が増しましょう。
世のなかには、自分にないことだらけですものね。
だから、そうではなくて。
「これはあるな」「あれならできる」「これもできるよね」と、
ご自身にとって「あること/できること」を一つずつ丁寧に数え上げていく、そんな数え方をなさってみてもよろしいのでは?
ここで言う「ある」とは、「所有する」という物質的な意味合いではありません。
ご自身の内に備わっているであろう資質や特技だと思って下さって結構です。
そして何よりも肝心なことは、日常のご自身で「そんなのできて(あって)あたりまえ」と考えられることを、堂々と数に含めることです。
どうぞ、誇りに思って下さい。
宇宙や相応の思想に思いをめぐらすというのは、賢いOtamaFJ様の知性にとって、神秘的かつ刺激的な営みであると拝察致します。
けれでも、それだけではなくて、
いえ、それ以上に。
日々の日常の一つ一つを丁寧に過ごす/こなすという、ごく「あたりまえ」の所作の積み重ねの方が、もっと大切ではないでしょうか。
この「あたりまえの営み」を通じて自身を見つめ直すという行為は、一番簡単そうに思えて、大層難しいものなのですから。
それに、宇宙や他の思想に思索にふけることは、OtamaFJ様以外の事象が考えの「主」になるということではないでしょうか。
それだと、肝心のご自身が「従」となり下がってしまうことになり、気付かぬうちに、結局は周りに振り回されてしまっているだけかもしれませんよね。
それは、お嫌でしょう?
それに、自己変革ならずして、社会変革などちょっとあり得ないでしょう。
自分が変われずにして、どうして他人や社会が変わりましょうか。
「環境があまりにひどい」としても、容易には変わり得ないものと御心得頂き、「ひどいながらも良いところ」を見い出していったほうがよろしいと思います。
…とまあ、最近「説教臭いな~、焼きが回ってきたな~」と自らババァ臭さを認識しておりまして…
この点は私自身が誰よりも「自己変革」の必要性があるのかもしれません。
お礼
温かいお言葉ありがとうございます。感謝です。