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万葉集の
万葉集の 「秋さらば 見つつしのへ と妹が植えし やどのなでしこ 咲きにけるかも」 が原文では、 「しのへ」が「思」という漢字になっていました。「偲」と「思」という漢字が同じ意味を持つことが、万葉集総索引の単語編、漢字編を見てわかったのですが(同じ用例がいくつかありました) ならばなぜ「偲」「思」という同じ意味をもつ漢字が二つ出てきたのかわかりません。 またそれに関する書籍などを教えていただければうれしいです。 よろしくお願いします。
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- LN-TF
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既に回答が挙がっておりますが、No.1の回答、No.2の回答共に正しいですが、一部です。 元々、漢字は日本の文字ではなく、中華の文字です。 中華では、「思」の文字が色んな意味に使われるやうになったので、その中の特定の意味をあらわすために、人偏をつけてその意味をあらわすようになりました。すると元の文字でその意味に使われる事が少なくなり終いにはその意味では元の文字を使わなくなります。 日本に漢字が入って来た時には、入ってきた時代の使い方だけではなく先秦時代の使い方が経書(例:周易、毛詩、尚書、論語)などで広まる事があります。 これに関する専著はありますが、大変難しいです。所謂「支那学」の一部になります。 一般には、図書館等で諸橋先生編の大漢和辞典等に当たられば良いかと考えます。 尚、所謂訓読みは日本で漢字に意味をあてていったものなので、学者や辞書によってどこ迄が訓読みどこからが意味と云う事が違っている場合があります。(常用漢字に定められている範囲外の事を云っています)
>ならばなぜ「偲」「思」という同じ意味をもつ漢字が二つ出てきたのか いや、逆じゃないでしょうか? 「しのふ」に当たる漢字が「偲」「思」と二つ出てきたんじゃなくて、 「偲」「思」という違う漢字に、古代日本人が「しのふ」という同じ訓読みを宛てたんでしょう。
- kadowaki
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>なぜ「偲」「思」という同じ意味をもつ漢字が二つ出てきたのかわかりません。 いや、厳密に言えば、「同じ意味をもつ漢字が二つ」あるというということは絶対にありえません。 たとえば、「始・初」、「悲・哀」、「思・想」について、倭語では同じ読み方をしても、その本来的な意味が微妙に異なっているように。 お調べになった通り、上代では「しのふ」に「思」の漢字を宛てた例が多かったようですが、「思」は思考する、回想する、想像する等々、あまりにも広範囲の意味を含むだけに、後に「しのふ」(時間的・空間的に遠く離れている人やモノについて思うこと)の意には、他の意と区別すべく「偲」を宛てるようになったのではないでしょうか。 >またそれに関する書籍などを教えていただければうれしいです。 比較的容易に入手でき、信頼でき、かつ使いやすい「書籍」となると、白川静さんの『字訓』(平凡社)ではないでしょうか。