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果たして《天皇》は何なのか?
現在の憲法に照らし合わせて そのままわたしの答えは 国の象徴であり元首だと考えます。それだけのことだという意味です。 ですから そうではなく・つまりそれだけではなく 何かほかにいろんな尾ひれがついているのではないか? つけられているのではないか? そしてそれはどうしてか? こういう見方からの問い求めです。 ひとつ問題となるべきことは 世襲制です。ただこれも新しく即位したときに 国民投票をすれば済むことでしょうから そして現段階においては しなくてもウイ(諾)の声が多いでしょうから あまり問題にもなりません。 たしかに歴史的ないきさつが――それはそれは長年のことですし 昔昔のそもそもの成り立ちの話から―― いろいろとあるでしょうが そしてそれはそれで探究や話し合いの主題になることでしょうが 基本的に言って わたしの言葉で アマテラシテ(象徴)であるという答えを持ちます。 これらをめぐって ご見解をお寄せください。 * 趣旨説明としての簡単な註です。 社会は スサノヲ市民圏とアマテラス公民圏とから成り アマテラス公民の内に 元首としてのアマテラシテ象徴なる公民がある。 ○ 《スサノヲ市民社会 ‐ アマテラス公民圏 / アマテラシテ象徴》 ○ Susanowoschaft - Amaterasutum / Amaterasitaet( l'amaterasite / amatersity ) ○ Yasiro(やしろ) - Superyasiro(スーパーヤシロ) ○ まつり ‐ まつりごと
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文化とはピンキリ どうでもいいものから、守るべきものまで幅広い そんな中に天皇が 在る のです 憲法の中にあるのは天皇の一部に過ぎない 日本を語るうえで、天皇は語られるべき「特徴」でしょう 世界的に見ても、しっかりとした「特徴」と認識されていると思います しかし、侍やちょんまげと同様に、仮になくなったとしても日本が成り立たなくなるようなことはない 首相がいなくなってもどうにかなりそうな国だし、微妙な表現ではありますけど 天皇の意義は、文化・特徴としての存在。そして、存在を続けるのを支えるのは、歴史的背景とその精神性でしょう。 戦後、天皇は消されるはずだった。しかし、その精神を尊重し今にいたるんだそうです 詳しく話せば横道なので省略 もしかすると所蔵する書物や物なども天皇以外にはふさわしくないものがあるでしょうし 物質的な観点も面白いかも
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- Ren-Fa
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天皇に対し、歴史的・文化的意義を感じない人々は増えているでしょうし、増えていくでしょう これは避ける事の出来ない事なのかも知れません 現状、天皇は原爆ドームのような存在なのではないでしょうか 歴史的なことを伝えるために残されたという点、徐々にその存在意義を意識しない人達の増加している点、こういう部分では似ている気がします 長い歴史の中で見た時の天皇とは、2つに別れると思います 民衆の頂点としての天皇、文化・歴史を伝え遺すための天皇 前者は説明は不要でしょう 後者については、天皇という存在や、その天皇が行う公務などを知った時、少なからず疑問に浮かぶような事柄があると思います ・何のため? ・何をしているの? ・必要なの? など人によって数も質も違う疑問などでしょう その答えを調べたなら、それは歴史と文化を知ることになるでしょう ただ、それらは輝かしい物、どうでもいい物、忌わしい物全てを含みます 日本にとってではなく、大和国から続く民族としての、文化であり歴史であるのが天皇でしょう 答えにはなっているでしょうか?
補足
Ren-Fa さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 なかなか快刀乱麻のごとき回答(――しゃれのような しゃれでないような――)は望みがたいのかも分かりません。 今回の Ren-Fa さんの思索を受けてこんなことを考えてみました。 先の戦争からはかなりのときが経ちました。天皇も代が変わりました。いま人びとは この天皇ないしその制度について いろんなことを考えているのではないかとわたしも思います。もうあまり考えないようになっているとすれば それもいまの変化に入ることではないかと思うわけです。 そんな思潮の中に身をおいて ご議論のあとを受ければ 次の一点がわたしには思い浮かびました。 ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 聖徳太子は 蘇我馬子が物部氏と対立し戦争をしかけたとき 馬子の側につき 参戦しています。そのあと 物部氏を倒したからと言って 一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから) うこと無きを宗(むね)とせよ。 人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、ある いは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論 (あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。 何事か成らざらん。 こんなことを唱えてもはづかしくないのでしょうか? 《さからふことなきを旨とせよ》というのは 自分とその味方に対して逆らうなということでしょうし 自分たちの敵には 逆らえと言っていることになるでしょう。 こんな矛盾した話の持ち主をわたしたちはどうしてあがめるのでしょう? 文化であり歴史であるその広い意味での《天皇》について われわれ市民もささえるべきは支えるでしょうが 矛盾やはづかしきことがらについては はっきりさせるのが筋ではないでしょうか? ▲ (ヰキぺ:聖徳太子) ~~~~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90 仏教の受容を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋とが激しく対立するようになっていた。・・・馬子は、・・・諸豪族、諸皇子を集めて守屋討伐の大軍を起こした。厩戸皇子もこの軍に加わった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天皇ノ原義―天皇ハ国民ノ総代表タリ、国家ノ根柱タルノ原理主義ヲ明ラカニス。 此ノ理義ヲ明ラカニセンガ為ニ神武国祖ノ創業明治大帝ノ革命ニ則リテ宮中ノ一新ヲ図リ、現時ノ枢密顧問官其他ノ官吏ヲ罷免シ以テ天皇ヲ補佐シ得ヘキ器ヲ広ク天下ニ求ム。 天皇ヲ補佐スヘキ顧問院ヲ設ク。顧問院議員ハ天皇ニ任命セラレ其人員ヲ五十名トス。 顧問院議員ハ内閣会議ノ決議及ビ議会ノ不信任決議ニ対シテ天皇ニ辞表ヲ捧呈スヘシ。但シ内閣及ビ議会ニ対シテ責任ヲ負フ者ニ非ス。
お礼
ご投稿をありがとうございます。 ですが 何ともはやこの文章を読んで自分で考えなさい ですか。 では自由にお応えしましょう。 裃は それはそれとしてあるでしょうが 中身も問題です。 いくさに負けたなら 何とも言えません。 たとえふたつの爆弾をこうむっても 勝ち戦に持っていかなくちゃ 裃が泣きます。信州に大本営をつくってあったのですから 何らかのかたちでかみかぜのあるのを俟つのでなくては 崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトやオホタタネコらにもうしわけが立たない。 それとも《和を以て貴しと為す》のなら 外交活動を精一杯おこなわせて戦争を回避すべきだった。 あるいは 真珠湾を攻撃したあとただちに――たとえ卑怯だとののしられても――降伏するべきだった。 負けては何ともならない。 もし戦後の経済戦争がそれを引き継いだと見るのならば たしかにナンバーワンになったけれども 風船がしぼんでしまったことはもう見ないことにしようとは言い難い。 裃はふるいよ。
- kadowaki
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半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。 (中略) 私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。 すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。 我々にとっては実際馬鹿げたことだ。我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社に就てはその馬鹿らしさを笑うけれども、外の事柄に就て、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。 (中略) 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
お礼
おのれが堕ち切ってから ものを言えと言いたい。 堕ち切ったあと何が見えるか? かつてと同じものがどう見えるか? ものは見えているのか? その論議をとっぱじめから始めるべきなのだ。 天皇制という主題じたいについては その起源についての考察がまったく欠けていると言いたい。摂関だろうが大将軍だろうが それらはただ利用したに過ぎない。 それを思うと おほきみの候補を――むろん身内なのだが――次つぎに亡きものとして行って みづからの子供たちすらをも亡きものとし 後継者がひとりもいない情況をつくって 五世の孫を越前から迎えようと計画した雄略オホハツセワカタケルそのひと この《大悪天皇》のほうがまだましだ。 オホキミを受け継ぐはずだったイチノヘノオシハ 雄略ワカタケルに暗殺されたかれ その双子の子供たち 暗殺現場から命からがら逃げたオホケ・ヲケの二人 かれらの帰りをじっと待ったイイトヨのアヲ(おばさん) このイリ市長の系譜を思うべきである。 明治維新では 明治天皇という人はすり替えだという説まで出ている。草もうの志士らは 力をまとめるために天皇をかついだが どこかでお役御免にしようとも思っていたとも聞く。 あとは アマテラス帝国に《くにゆづり》をした出雲スサノヲ市民社会こそが 日本のくにを支えているのだと知るべきである。その昔 大昔のそのまた昔 スサノヲこそがすでに堕ちに堕ちて堕ち切ったのである。これはひとことで言えば ミラーニューロン現象として相手や周りの人びとの甘えをひとりの身にすべて集めこれを消化する過程で ちから及ばず侵した罪であったと知るべきである。 出雲では すでにわがこころすがすがしと かれはうたったではないか。 八雲立つ出雲八重垣・・・
1 なんにも云えず 靖国の 宮のきざはし ひれ伏せば 熱い涙が こみあげる そうだ 感謝の その気持 揃う揃う気持が 国護る 2 雁の鳴きわたる 月の空 今夜いまごろ 戦地では 弾丸(たま)を浴びてる 朋友(とも)がある そうだ 済まない その気持 揃う揃う気持が 国護る 3 戦に勝つにゃ お互いが 持場 職場に 命がけ こんな苦労じゃ まだ足りぬ そうだ その意気 その気持 揃う揃う気持が 国護る
お礼
ご投稿をありがとうございます。 この歌詞で《アドバイス》ですか。 たぶん 天皇はアマテラシテ象徴であるという内容としては 同じくするが その考えの中身はちがいますよというご見解でしょうか? 象徴および元首という社会的な役割をになうと見るときも けっきょくそのひとに言わば主権の存する国民市民が 押しつけているのですよね。 それと同じように いわば過去における天皇のあり方を現在でも打ち出すというのは これも けっきょくそのひとに押しつけている。このようだとわたしは考えます。 ほんとは このいくら主権があるからと言って〔この〕押しつけをなくしたいとは思っているのです。 でもその考えは まだまだ早すぎるでしょう。 というふうにお応えいたしましょうか。
わが大君に 召されたる 生命栄光(はえ)ある 朝ぼらけ 讃えて送る 一億の 歓呼は高く 天を衝く いざ行け つわもの 日本男児! 華と咲く身の 感激を 戍衣(じゅうい)の胸に 引き緊めて 正義の軍(いくさ) 征くところ たれか阻まん その歩武を いざ行け つわもの 日本男児! かがやく御旗 先立てて 越ゆる勝利の 幾山河 無敵日本の 武勲(いさおし)を 世界に示す ときぞ今 いざ行け つわもの 日本男児! 守る銃後に 憂いなし 大和魂 ゆるぎなし 国のかために 人の和に 大盤石の この備え いざ行け つわもの 日本男児!
お礼
つづけてですね。 けれどもこのうたは ○ 出征兵士を送る歌 ☆ のようですね。いまとは憲法がちがっていましたね。こういうときもあったということだと考えます。 主権在民と戦争放棄などで根本的に違っています。ですからこのときの天皇の位置づけは いまでは過去のものだと考えますが そういうことではないのでしょうか?
天皇は元首である。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 天皇は元首である。 ☆ わたしもそう思います。対外的にはまったくそうだと考えます。そういう社会的な役割をになっているという捉え方です。 対内的には 国と国民統合の象徴とか言いますね。けれども元首というのは そういう権威であり象徴なのだと思います。 これだけのことだと言えると考えますが どうもそうでもない解釈があるのかどうか。解釈でなくても 《文化》の側からいろんな歴史的な色合いをつけ加える場合があるのでしょうか? その点が分からないという問いになっています。 ありがとうございました。
オコリザルです。 私の出した質問の方は、もう暇で暇で。 日本人の信仰文化のもうひとつである仏教の外堀を埋めます。 無の悟りとは何ぞや!(マジギレ) 「有無を明白にすること」 あっけなく、ただそんだけ。 今のところブラフマンまで行き着きました。 それがお釈迦様の信仰を支えた、名も無き神(無神の神)では無いのかもしれません。まだ不明です。 私の場合無神と言う空白を照らす光明はアマテラスでした。 無神なり無心なりを照らす光明をアマテラスと表現する限り、仏教と神道はつながります。 それから神について語るのは困難だと判りますが、これは愛について語る困難とほぼ等しく、不可能と言う事では全然ないようです。 女性を口説くときは「愛してる」じゃなくて「ねーちゃんパンツ脱げや」と言った方が愛に忠実なのかもわかりません。
お礼
オコリザルさん そちらのご質問は 複雑すぎます。ていねいに述べておられるのでしょうが かえって焦点が定まりません。と思います。 ブラフマンという宇宙の原理と人間の我れ(または 自身)としてのアートマン そして両者の一体(つまり 梵我一如)の説は バラモンのおしえですよ。 このバラモンのおしえを批判して――つまり 他に依存せずそれみづからが存立する実体としてのアートマンは無いという諸法無我の説を打ち出すことによって批判して―― ブッダが現われたのですよ。 量り知れない光という意味の無量光が アミターバつまり阿弥陀如来です。つまりこれを仮りに アマテラスと言っても それはただ表現の違いであるに過ぎません。アポルローンと言っても 中身に変わりはないでしょう。 非思考ですから そのような神の名をつけても あるいはぎゃくに 無神と言っても 同じことだというのが わたしの信仰の理論です。 たぶん 結論だけを投げ入れるようにして提出するのではなく その結論に到る推論の過程を じっくりと表わすようにするとよいと思います。最後の口説きのせりふにしても そうでしょうね。結論に到る筋道をとことん明らかにしていくのが 哲学だと思います。 そうしておけば 結論がたとえ間違っていたとしても じゅうぶん対処していくことが出来ます。推論の不確かなところを直せばよいということだと思います。どうでしょう。
- compequal
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bragelonneさん 興味深い質問だとは思うのですが、bragelonneさんの独自の概念系/用語法を、他人である私が理解するのはちょっとこれだけだと厳しく感じます。とりわけ、スサノヲ―アマテラスといったbragelonneさんが、よくお使いになられている概念は、もう少し一般的な言葉で説明していただくことはできないでしょうか?
お礼
compequal さん ご投稿をありがとうございます。 ううーん。 ★ もう少し一般的な言葉で説明していただくことはできないでしょうか? ☆ そうですか。今回の場合は 趣旨説明の中に書いたように 《註》として添えた程度にとっていただけばいいと思うのですが どうですか? まだわかりにくいですか? ○ アマテラシテは アマテラスという言葉を抽象名詞化したかたちです。 リベラル・リーブル→リバティ・リベルテ イークオル・エガル→イークオリティ・エガリテ フラターナル・フラテルネル→フラターニティ・フラテルニテ ○ スサノヲシャフト‐アマテラストゥーム ○ やしろの上の二階が スーパーヤシロです。 ☆ とにかく 現行憲法の象徴天皇制でかまわないし じゅうぶんではないか? こういう単純な問いですよ。 そこに枝葉が付けられるのは おかしい。それは まさに枝葉であり お飾りのようなものではないか。だからいちいち持ち出さなくてもよいのではないか? こういう問いです。どうでしょう?
- kappa1zoku
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ずいぶんと真面目な方ですね。 例えば、米軍の普天間基地の移転問題が議論されています。 大袈裟に言う人の中には、米軍が日本からいなくなると大変なことになると騒いでいる人もいます。 日本がアメリカに占領されてから、60年以上も経つと今そこにあることさえ誰も問わなくなります。 <天皇族>が朝鮮半島から日本に渡ってきてから、2千年近く経つのでしょうか? その中で培われたものは、<日本の文化>と呼んでいいものだと思います。 支配者の争いの中で、象徴的に生き残ったのも<天皇>と言えるでしょう。 ただ、僕は被支配者の末裔ですから、<天皇>=<日本の文化>とも言えないだろうと考えています。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ふうむ。 たぶん戦争によるのではなく外交と文化による征服 この異民族による征服説ですか。 わたしもその仮説については承知しております。おりますと言うだけではなく 投稿においてそういう仮説の紹介までおこなっております。ただし上にも書いたように武力による征服はなかった。そして 大勢が征服という意図ひとつのためにやって来たとも思っていません。せいぜいが 漢民族その他の異民族の侵入や政治的な失脚などなどから避けどころを求めて朝鮮半島からこの島国にやって来た。この程度に考えております。(その後 この地で婚姻をおこなったと見るわけです)。 さて その仮説は別にしても ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本がアメリカに占領されてから、60年以上も経つと今そこにあることさえ誰も問わなくなります。 <天皇族>が朝鮮半島から日本に渡ってきてから、2千年近く経つのでしょうか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ という論理でしたら 既成事実は もう問わないということのようですね。 時効のようなものとして時間が経ったら いちいち昔のことは問うなと。 ううーん。これは あまりいただけませんね。何万年前のことでも 禁断のリンゴを勧めたのは おまえだ いや あなたが欲しがったのよと言った言い訳論争もやっているというのですから。 まぁ デファクト・スタンダードというのもあるにはあるようですが。 ★ ただ、僕は被支配者の末裔ですから、<天皇>=<日本の文化>とも言えないだろうと考えています。 ☆ スサノヲ‐オホクニヌシの系譜だというわけですね。――えぇっ? そんなこと 分かるのですか? 主観の真実ということでしょうか。高千穂の峰にアマクダリした天つ神族ではなく 国つ神の側だということですね。 で 要するに 《象徴であり それ以上のものではない》という見方は 受け容れられると言えるのでしょうか? それがお聞きしたいところなのです。
- Ren-Fa
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天皇はそう深いものではない そもそも、世襲制は過去一度途絶えている。天皇の治めていた国と、今の国とはあまりに違いすぎる 天皇とは文化の一部であり、風習、国の特徴である。その程度 だけど、君が天皇に意味や存在意義を問うなら 天皇が引き継ぐ 精神 について学んでみるといい 逸話など色々でてくるはず
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ だけど、君が天皇に意味や存在意義を問うなら / 天皇が引き継ぐ 精神 について学んでみるといい ☆ 君 ですか。それはいいとして 質問はぎゃくです。 わたくしは 趣旨説明に書いた以上の意味や存在意義を問わないと言っているのです。 けれども なぜか そうでない場合があるのではないか? という推測のもとに問うています。 ですが 細かいところを見てみますと ★ 天皇とは文化の一部であり、風習、国の特徴である。その程度 ☆ というあなたの意義づけは やや憲法以上の内容をつけ加え過ぎなのではないでしょうか? ★ 天皇が引き継ぐ 精神 ☆ とは一体なんでしょう? むろん われわれの《文化》とかかわりがないと言おうとしてもいませんが わざわざ ★ 文化の一部であり 風習 国の特徴である。 ☆ と見るのも 行き過ぎなのではないでしょうか? つまりここは哲学カテゴリですから とうぜん哲学としてどういうご見解であるかを尋ねています。 もし《文化》を持ち出すのでしたら 現行憲法を離れて歴史的なことを言えばというように 事割り書きを添えていただくならよかったと思います。どうでしょう? ですが 基本的に言って・また煮詰めたかたちで言って 象徴であり実務として元首であるというものだと考えます。それ以上ではないと言って 哲学による回答になるのではないか? こういう問い求めです。よろしくどうぞ。
補足
Ren-Fa さん ご回答をありがとうございます。 なるほど。やはり 文化ないし歴史的な背景のもんだいでしたね。しかもそれらが いまも生きているという観点で。 たとえばアメリカの大統領は 元首を兼ねていると思います。そのバラック・オバマの家系について 歴史的・文化的な背景を取り上げて その特徴こそが 元首ないし象徴を成り立たせているとまでは言わないはずです。ただし オバマさんの人間をつくっている要素があると見るべきはずだとは 大方の人びとは考えるでしょうね。 イギリス国王なら どうでしょう? アメリカのように一代限りどころか任期限りではなく やはり世襲制ですから 文化の問題は色濃いでしょうね。次の文の中の《天皇》の代わりに イギリス王を入れても文は成り立つのではないでしょうか? ★ 天皇の意義は、文化・特徴としての存在。そして、存在を続けるのを支えるのは、歴史的背景とその精神性でしょう。 ☆ あるいは次の文章でも同じですね。 ★ 日本を語るうえで、天皇は語られるべき「特徴」でしょう / 世界的に見ても、しっかりとした「特徴」と認識されていると思います ☆ ここまでお応えを書いて来て わたしの側に趣旨説明として足りない点があったことに気がつきました。 それは こうです。推測が入りますが 意図していたと気づいた内容を出来るだけそのままのかたちで述べてみます。 ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 天皇にかんして歴史的・文化的な特徴を考慮に入れない人びとが出て来たのではないか。 ただしそのような人たちのあいだでは たとえば世襲制によってその人生のあり方が決まっているということに注目して 楽であるなぁとかこんな特別な人生を送る人がどうしているのかとか思う気持ちが起きているのかも知れない。 これに対して 天皇は何であるかを明らかにしておけばよいはずだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 哲学のカテゴリとして 天皇は何なのか?と問えば 現在の社会におけるその位置づけという主題になるのではないでしょうか? そういう趣旨で質問したものです。 で 全体として考えてみるなら ちょうど次のように言っていただきました。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、侍やちょんまげと同様に、仮になくなったとしても日本が成り立たなくなるようなことはない 首相がいなくなってもどうにかなりそうな国だし、微妙な表現ではありますけど ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このあたりの事柄も 問い求めの主題として回答を寄せていただくというかたちを採りましょうか。 【Q:長い歴史とその文化の中で 《天皇》をどのようにあなたは捉えますか?】 質問者の側に変な取り込みがありましたが あらためてご投稿をお寄せいただければさいわいです。いかがでしょうか? 日本の《精神》ないし日本人の心についての問い求めが得られるとも思います。