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アマテラス政治家の無謬性の神話がくづれたか?
- アマテラス公民ないし国家公務員については無謬性というしるしが神話としてのごとく添えられて来た。
- 社会保険庁のあやまちが引き金を引いたのか、この無謬性の神話はくづれて来ている。
- 民主党政権もしくは菅政権について、アマテラス政権とは異なる性格や事情があるのではないか?鳩山前政権にはアマテラス公民の無謬性を保っていた感じがある。
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こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 > 過去のわたくしの回答投稿で次のようなのを見つけました。覚え書きさせてください。 「人格者とは あやまちを すっかり認めて その一から始めることができる人です。」 ただし根拠なしにではなく 一定の地位についていると その地位に対する一般的な信頼を裏切らないために ただちにあやまちを認めるということが出来ない場合があるようです。権限の関係や組織全体のことをも踏まえて まづはその身内のことをも 損ねない・維持するということが優先する場合があるようです。 確かに、”維持するということが優先する”ようなケースもあろうかと存じます。 「愚者はまぐれ当たりを自慢し、賢者はミスショットから多くのことを学ぶ。」 スコットランド格言 今回の震災の件もそうなのですが、いろんな責任問題が既に出てきております。東電、原発の設計者、建設に携わったGE、東芝、一方では、政府等でございます。この震災につきましては、我が国は原発なくしては産業が成り立たない以上は、うまく原発と付き合っていかなくてはなりません。そこで、この失敗から多くのことを学び、以降の糧にしていければと思っております。責任問題は(例えば、損害賠償等です)とりあえず棚上げし(賠償金額を考えますと、政府が立て直すしか他に方法はないように思われますが)、問題点を隠蔽させずに、詳細を検討していくのが最善かと考えております。 > あやまちは 人のつねとも言いますから しょっちゅう 詫びていなければならなくなり 一見すると ふざけているのか?という非難を浴びます。 これを まじめな試行錯誤なのですという内容として 納得させ得るか。どのように納得させるか。 つまり そういうふうなところまで 互いの信頼関係を築いていくことが出来るか。これが 人格もしくはけっきょく 互いの人格関係の問題であり 課題であると考えます。 つまり 共同の仕事だという意味になります。こう考えますが いかがでしょうか。 確かに、その根本的なところには、互いの人格関係、そしてお互いが理解し合おうとする姿勢が要求されるかと推察されます。 > ☆ まだあたかも斬り捨て御免の雰囲気があったのでしょうね。お上意識を上回るようなエリート意識でしょうか。ほんとうのエリートなら いいんですけれど。立派な公務員もいたことでしょう。 戦後、 ソ連第一集団軍司令官ジューコフは、米国ミシガン大学のハケット教授や新聞記者らと会談した際、「どの戦いが一番苦しかったか」と質問された際、「ハルハ河の戦い(ノモンハンの戦いのソ連側呼称)」と即答し、モスクワ攻防戦やスターリングランド攻防戦を予想した者を驚愕させた と言われています。 ですが、司令官ジューコフがそのノモンハンの戦いの際、スターリンに報告したときには、以下のように述べたとされています。 「なお日本軍を圧倒したソ連第一集団軍司令官ジューコフはスターリンの問いに対して、日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である、と評価していた。」 戸部良一ら著「失敗の本質」 p.68 あくまで愚見ではございますが、我が国では、自然と「アマ上がり」していく特質のようなものが元来備わってしまっているのかと思わず疑ってしまいたくなります。さらに申しますと、 下っ端の間は、立派な公務員だったものが、上になると、どうしても、そうでなくなってしまうのではないかと勘ぐってしまいます。 > さぁ どうしましょう? いましばらく開いていましょうか。 愚生と致しましては、申し上げることはなくなりましたので、この問題につきましては、そろそろ筆を置きたいかと思ってございます。補足要求された場合には、もちろん、対応させていただきたいかと思っております。 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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- JidousyaGaisya
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10番の内容は入門前の常識です。
お礼
さよか。 そりゃぁお役に立てませんで。
- JidousyaGaisya
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自己主張の為に御互いに相手を称え合う野蛮な”respect”と違い、 「尊敬」は「無心」で提供されてきた筈です。
お礼
そんなもの(こと)は 人によってちがうわい。 東と西とで二分するほどでもないわい。 大ナタを振るい過ぎぢゃ。
- JidousyaGaisya
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「尊敬」と"respect"とは違うのですから、 西洋文化圏の思想の適用は難しいのではないですか?
お礼
一人ひとりを互いに《うやまふ》心は どこでも同じだよおおおおーーーーん。 リスペクトがどんな思想であるかを分かっているのなら――なぜなら 尊敬とは違うと判断をくだしている―― たとえ実際には適用しないという結論であったとしても それなりに思想を《適用している》はず。その比較・対照をしたということが おおきな意味での《適用》となっている。 彼れと我れとの違いだけに――というよりも そこに深い溝を見るのだというような断絶の世界観だけに―― 片寄るのはどうだろう?
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 > ☆ ということでもありますか。どうも昔のことばかりを出すといけませんが 昔は無償であった場合もあるのではないですか? 発明者がです。それではまた いけないでしょうが でもよくやっていたものですね。わたしは その発明の中身を知らずに そういう話を噂のごとく聞いたのみですが。 愚生の経験から申しますと、一つの発明(特許出願)に対しまして、関わった関係者全員で一律計2、3万円ぐらいだっかと記憶してございます。一人当たりでは、5千円から1万円程度だったはずでした。そしてその場で、権利を会社に譲渡する契約書も書かされたと記憶しております(特許権の譲渡に対する対価の意味合いがあったかと推察しております)。 > わたしは 話し合って取り決めておくといったやり方を考えていたのでした。社会力学として一人ひとりの分担や貢献の度合いをどう捉えるか。 あるいは グループを単位体とする考えもありましょうか? 原子としての個人であるよりは 分子ごとのハタラキをとらえる。いやぁ 分かりません。 一般に日本人はグループとして、その力を発揮すると言われています。ですが、そのグループを支えているのは個々の各個人(の能力)とも考えております。つまり、画期的な発明とされていますものも、烏合の衆では達成できないものかと察せられます。そう考えますと、個々人の能力+組織化による相乗作用 が日本では功を奏したきたかと推察されます。従いまして、個々人の貢献度を具体的に把握することは、日本人では困難なのかもしれません(あくまで愚見でございます)。 > オーケストラのような集合体である場合もありましょうし。・・・ その組織が何かしらの目的を持った集まりですと、かようなオーケストラシステムが功を奏すと考えております。各自が各々の役割分担を全うし、また組織全体の調和にもある程度神経を使うといった具合にでございます。 > 悪魔度のもんだいでしたね。これを減らして行くにはでした。 今でもそうしているかも分かりませんが けっきょくアマテラス公民側とスサノヲ市民側との連携のようなことになるでしょうか? 違反をしたり事故を起こしたりした場合の 資料や情報の開示などについての A-S 連携などなど。・・・こんなところでしょうか。 はい、A-S 連携におきまして、プラスの部分があったとも思われます。ですが、A側が威張り散らした結果(権力を強引に強行した結果)、連携がうまく作用せず、失敗したこともあろうかと考えております(一例と致しまして、先の大戦におけます油の運送時に、よく揉めたと聞いております。因に、油の輸送に就いた民間人の約4割が、潜水艦の攻撃に合い、戦死したとも言われています)。 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
お礼
そうでしたか。全体として 《個人としての能力とその発揮》から《グループ単位での協力・協働》そして《組織単位での目的遂行》 さらには《 A-S 連携の問題》――あっ ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。――これらの仕事とチームワークに関して 実地に経験もされているのでしょうし 考えをも煮詰めて来ておられるようです。 ★ ですが、A側が威張り散らした結果(権力を強引に強行した結果)、連携がうまく作用せず、失敗したこともあろうかと考えております(一例と致しまして、先の大戦におけます油の運送時に、よく揉めたと聞いております。因に、油の輸送に就いた民間人の約4割が、潜水艦の攻撃に合い、戦死したとも言われています)。 ☆ まだあたかも斬り捨て御免の雰囲気があったのでしょうね。お上意識を上回るようなエリート意識でしょうか。ほんとうのエリートなら いいんですけれど。立派な公務員もいたことでしょう。 ★ 一般に日本人はグループとして、その力を発揮すると言われています。ですが、そのグループを支えているのは個々の各個人(の能力)とも考えております。つまり、画期的な発明とされていますものも、烏合の衆では達成できないものかと察せられます。 ☆ えぇ これは重要ですね。わたくしも《ひとり》という言葉で個人を個人として位置づける思想はあったのではないかと考えており 日本人のあいだでも個人は重要だと思っています。 その個人をつよく意識していて しかも周りとの協力をもしっかりとして行こうと思っている人たちは ついにその心づもりを実践しつづけることを得ず 漂白の旅に出たとも考えたことがあります。西行や芭蕉ですとか。 こうなりゃぁ あれですね。アマテラス‐スサノヲ連関ということを いやと言うほど言って 人びと共通の了解事項にさせずにおけようか と思われて来ます。 ★ そしてその場で、権利を会社に譲渡する契約書も書かされたと記憶しております(特許権の譲渡に対する対価の意味合いがあったかと推察しております)。 ☆ これは これからは改善の一途だと思いますし 願いますが? さぁ どうしましょう? いましばらく開いていましょうか。
- SakuraiTomoka
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三権分立では分立が足らないのではないでしょうか?
お礼
マスメディアであるとかの第四権力が存在するのではないかという意味ですか? このマスコミの場合は 或る場合には行政のための広報であったり 或る時には立法のための提案をしたりしましょうし 或いは一般市民の声にしろ専門家の意見にしろ裁くような見解を述べたりして司法の役割の一端を――では正式にはないでしょうが――担ったりするでしょうか? どうでしょう? 報道がおもな仕事でしょうが 三権それぞれと市民とのメディア(仲介)役を果たしているかも分かりません。
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 > 以前は早起きを慣わしとしていました。(6時起床ほどですが)。 たしかにほんとは 規則正しい生活をしたいとは思っております。 愚生への返答は遅れましても、全くかまいませんので、決してご無理をなさらぬよう、くれぐれもご自愛くださいませ。 > ひとつに なるほど おそわったこととして《責任問題》をどうするか なのですね。 内部告発を妥当なものは促す方向で その告発者のその後の地位身分を保障したり カルテルをめぐって業界内部からもその違反行為についてその咎をゆるめての自白を容易にするようにしたり これらも責任問題の取り扱いに属するのでしょうね。 たしかにそのような対策をしっかりとしておくことが肝心であるようです。《人間》とその為すことを扱っているからには。 元来ならば、内部告発等せず、 “同じ過ちの再発を防ぐべく”、自ら進んで告白していくのがベストかと考えております。ですが、最近の“コンプライアンス”の影響も含めまして、「誤ちは絶対にあってはならない」という風潮が出てきております。ですが、残念ながら、ひとはミスを犯してしまいます。このため、ミス(間違い)はあってはならないものと理解されてしまい、結局は、隠蔽工作に走ってしまうという実情がございます。 従いまして、将来の再発を防ぐための教訓としまして、白日のもとにさらす必要性があろうかと考えております。このためにも、責任問題は棚上げした上で、問題点を精査し、将来の事故防止等に役立てればよろしいかと思われます。 一例と致しまして、失われた20年と言われていますが、何がその原因(失策)であったのかにつきましては、総括がなされていないかと記憶してございます。”責任”を問わず、新たな時代に向けて、改善策の考察・考案を、その反省から進めていってもらいたいと願っております。 > 隠し預金というものについて――つまり いわゆる脱税して貯めたお金ですが―― これも過去の違反行為をいっさい不問に付すから きちんとオモテに出すようにという案がつねに考えられているとも聞いています。そのときにオモテに出さないものは あとで見つけたら法律にのっとって処理するのだと。 はい、これも仰る通りかと存じます。過去のいきさつは不問とする。しかし、故意に隠蔽したものには相当の罰則が適応される といったように考え方をかえていくべきかと考えております。 > たとえばかの中村修二氏は 青色発光ダイオードの特許料への自身の貢献を主張していましたね。ですから 問題は 抽象的に縁起と言いますか 間接的な社会や会社からのもろもろの力の集合をどのように見積もるかになりましょうか? 中村修二氏は 逆に その従来の体制とその考えに異を唱えたことにもなると考えられます。しかも 自分自身のひとりを問題にしているかたちであるかとも思われます。 以下に、まず判決結果の概略を示してございます。 (1)裁判 一審(東京地裁) 人や装置のリソースが豊富な大企業の研究環境とは異なり,小企業の貧弱な研究環境で生まれた発明であると位置付ける。これを理由に裁判所は「貢献度は少なくとも50%を下回らない」として,対価の算定に発明者の貢献度50%を適用した。そして200億円の支払いを日亜化学工業に対し、求めた。 二審(東京高裁) 同社が中村教授に8億4391万円を支払い、中村教授はその他の請求を放棄(中村氏一個人による業績ではなく、元から、それなりのノウハウが日亜にあったこと。さらには他の研究員によるサポートが相当あったことが判明したようでございます)。 参考:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/HONSHI_LEAF/20050126/101066/ (2)その後の影響 平成16年度特許法35条の改正 目的 ・発明者と使用者のバランスに配慮 ・対価への納得感を高め更なる発明に向けたインセンティブを付与 ・企業の提訴リスクを軽減し研究開発投資を増大させるインセンティブを付与 http://www.saga-itc.go.jp/ipc/raterevise/16revise.html#shokumu 中村氏につきましては、実際は、氏一人だけの成果ではなかったようでございます。ただ、実際の職務発明の事例につきましは(アスパルテーム訴訟等も含めまして)、裁判で争うのが一般的のようでございます。 > 全体として社会力学のあり方をどう捉えるか? この問題につきましては、明日にでもご返答できればと思ってございます。 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
お礼
ていねいなご回答をいただきました。ありがとうございます。お手数をおかけしたかと思います。 ☆☆ 〔一人ひとりの貢献の度合いをめぐって〕全体として社会力学のあり方をどう捉えるか? ☆ ええ たしかに示していただいた資料のことでした。細部の割り合いなどをいま別として 次のような事態の中身をしっかりとつかみ 共通の了解事項とすること これでした。 ▲ (中村氏の陰で見えなかった貢献者たち) ~~~~~~ ――10年を経て東京高裁が成果を認める中村氏の貢献度は5%,404特許は1010万円─青色LED訴訟―― 金銭の多寡を除き,この訴訟が多くの技術者に与える意味は「スターの陰に隠れていた無名の技術者の成果や貢献が認められたこと」だろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ こういった事柄をめぐって全体にもわたる捉え方が 社会のいろんな分野で出来ればよいと思ったのでした。 ★ 平成16年度特許法35条の改正 ▼ (特許法の一部を改正する法律(特許審査迅速化法)) ~~~ §7.職務発明制度の見直し ○ 改正の基本的な考え方 1.「相当の対価」請求権 従業者等には、従来どおり、「相当の対価」請求権が保障される。 2.「相当の対価」の決定方法 「相当の対価」の決定方法は、当事者間の取決めによる場合と、新特許法第35条5項に定める要素を考慮して訴訟において算定される場合がある。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ やはり《請求権》として権利の問題になるのですね。《当事者間の取り決めによる場合》があってもよいように思っていました。 ★ ただ、実際の職務発明の事例につきましは(アスパルテーム訴訟等も含めまして)、裁判で争うのが一般的のようでございます。 ☆ ということでもありますか。どうも昔のことばかりを出すといけませんが 昔は無償であった場合もあるのではないですか? 発明者がです。それではまた いけないでしょうが でもよくやっていたものですね。わたしは その発明の中身を知らずに そういう話を噂のごとく聞いたのみですが。 そして まちがいを間違いとしてきちんと認めるの問題についてです。 ★ 過去のいきさつは不問とする。しかし、故意に隠蔽したものには相当の罰則が適応される といったように考え方をかえていくべきかと考えております。 ★ 元来ならば、内部告発等せず、 “同じ過ちの再発を防ぐべく”、自ら進んで告白していくのがベストかと考えております。 ★ 一例と致しまして、失われた20年と言われていますが、何がその原因(失策)であったのかにつきましては、総括がなされていないかと記憶してございます。”責任”を問わず、新たな時代に向けて、改善策の考察・考案を、その反省から進めていってもらいたいと願っております。 ☆ 明確かつ的確な内容であるかと考えます。 ★ ~~~~~~~~~ ですが、最近の“コンプライアンス”の影響も含めまして、「誤ちは絶対にあってはならない」という風潮が出てきております。ですが、残念ながら、ひとはミスを犯してしまいます。このため、ミス(間違い)はあってはならないものと理解されてしまい、結局は、隠蔽工作に走ってしまうという実情がございます。 従いまして、将来の再発を防ぐための教訓としまして、白日のもとにさらす必要性があろうかと考えております。 ~~~~~~~~~~~~ すみません。丸投げのようになってしまって。でもありがとうございます。そして さらにお考えがおありなようですから お待ちします。 わたしは 話し合って取り決めておくといったやり方を考えていたのでした。社会力学として一人ひとりの分担や貢献の度合いをどう捉えるか。 あるいは グループを単位体とする考えもありましょうか? 原子としての個人であるよりは 分子ごとのハタラキをとらえる。いやぁ 分かりません。オーケストラのような集合体である場合もありましょうし。・・・ 悪魔度のもんだいでしたね。これを減らして行くにはでした。 今でもそうしているかも分かりませんが けっきょくアマテラス公民側とスサノヲ市民側との連携のようなことになるでしょうか? 違反をしたり事故を起こしたりした場合の 資料や情報の開示などについての A-S 連携などなど。・・・こんなところでしょうか。
補足
過去のわたくしの回答投稿で次のようなのを見つけました。覚え書きさせてください。 人格者とは あやまちを すっかり認めて その一から始めることができる人です。 ただし根拠なしにではなく 一定の地位についていると その地位に対する一般的な信頼を裏切らないために ただちにあやまちを認めるということが出来ない場合があるようです。権限の関係や組織全体のことをも踏まえて まづはその身内のことをも 損ねない・維持するということが優先する場合があるようです。 あやまちは 人のつねとも言いますから しょっちゅう 詫びていなければならなくなり 一見すると ふざけているのか?という非難を浴びます。 これを まじめな試行錯誤なのですという内容として 納得させ得るか。どのように納得させるか。 つまり そういうふうなところまで 互いの信頼関係を築いていくことが出来るか。これが 人格もしくはけっきょく 互いの人格関係の問題であり 課題であると考えます。 つまり 共同の仕事だという意味になります。こう考えますが いかがでしょうか。 ☆ ううーん。ほかの人びとに甘える要素が出て来ましょうか? だからまだ見方が甘いでしょうか?
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。 > MM 氏も 生活の立ち場に立って話をすることもあるようには思いますが ただ、愚生といたしましては、所得が2億以上の人に“庶民”の代弁をしてもらいたくはないと…… > 政策でまちがいをおかしたならはっきりと まちがいましたと言う。ということで その悪魔度が次第になくなっていくかも知れないと。 仰る通りかと存じます。この場合、問題となりますのは、“責任問題”でございます。これを問うてしまいますと、確実に隠蔽工作が取られてしまいます。そこでとりあえず、この“責任問題”を棚上げにした上で、間違いを認め、そして反省、さらに対策を考えていくのが筋かと考えております。 > たとえアマテラス公務員の経験があるからと言って そのままウラ情報を握っているとも限らないでしょうし たとえ握っていてもそれをいかに――石井議員の例もありますし――うまく成功裡に人びとの生活のためになるかたちで明らかにするか。これも困難をきわめるのかも知れません。 われわれは いまは 事態を見守るということでしょうか。 残念ながら現時点では、それしかないと考えております。将来、現在の20、30台の有能な人たちが出てくることを説に願っております。 > その話におつき合いさせたかたちにもなってしまいました。 もし、何らかのお役に立つことができましたならば、幸甚に存じます。 > そうですね。もう一回お応えをいただいて 話題を変えましょうか? 了解致しました。 どうもお疲れ様でございました。
お礼
そうですね。早とちりをしてしまったかも知れません。 ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 以前は早起きを慣わしとしていました。(6時起床ほどですが)。このところ ときどき11時の声を聞いたら寝ようかというくせが 再びのように つきつつあります。(もっとも 明くる朝までものを書いていた時期も――十数年――ありましたが)。――たしかにほんとは 規則正しい生活をしたいとは思っております。 その睡眠中に あぁ 主題をめぐってほかの切り口など何か方法があるかも知れない ないかなぁという想いが頭をよぎって行きました。あぁ ひどっちさんに聞いてみればよいではないかと考えが落ち着きました。 どうでしょう? それでも今回も大漁です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ > 政策でまちがいをおかしたならはっきりと まちがいましたと言う。ということで その悪魔度が次第になくなっていくかも知れないと。 仰る通りかと存じます。この場合、問題となりますのは、“責任問題”でございます。これを問うてしまいますと、確実に隠蔽工作が取られてしまいます。そこでとりあえず、この“責任問題”を棚上げにした上で、間違いを認め、そして反省、さらに対策を考えていくのが筋かと考えております。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ひとつに 無謬性の神話から自由になって間違いを間違いと認めることをつうじて 政治行為としての悪魔度がゆるめられていくであろうこと。これについて確認いただいたこと。 ひとつに なるほど おそわったこととして《責任問題》をどうするか なのですね。 内部告発を妥当なものは促す方向で その告発者のその後の地位身分を保障したり カルテルをめぐって業界内部からもその違反行為についてその咎をゆるめての自白を容易にするようにしたり これらも責任問題の取り扱いに属するのでしょうね。 たしかにそのような対策をしっかりとしておくことが肝心であるようです。《人間》とその為すことを扱っているからには。 隠し預金というものについて――つまり いわゆる脱税して貯めたお金ですが―― これも過去の違反行為をいっさい不問に付すから きちんとオモテに出すようにという案がつねに考えられているとも聞いています。そのときにオモテに出さないものは あとで見つけたら法律にのっとって処理するのだと。 そう言えば 国民についての共通番号制というのも 難航しているようですね。それこそ かの MM 氏がどういう態度を取るかの問題にもなるようです。 ★ ただ、愚生といたしましては、所得が2億以上の人に“庶民”の代弁をしてもらいたくはないと…… ☆ 分かりました。そう言えば 今度の災害に際しての寄付の問題にもなるようですね。有名人のあいだで どうもそういう寄付やヲ゛ロンティアの動きの問題になっているかのように感じます。 そう言えば――さらにさらにそう言えば―― ちょうどよい機会ですから ひどっちさんにお聞きしたいと思うのですが たとえばかの中村修二氏は 青色発光ダイオードの特許料への自身の貢献を主張していましたね。ですから 問題は 抽象的に縁起と言いますか 間接的な社会や会社からのもろもろの力の集合をどのように見積もるかになりましょうか? つまりは 有名人もその所得が 間接的に社会全般から・人びと一般からどのようにどれほど言わば協力を得ているか。その見積もりの問題でしょうか? どうもせこい話になりましたが 全体として社会力学のあり方をどう捉えるか? 昔は あくまで優秀なアマテラス公民なる人びとの指導のもとに何事も発案され(あるいは スサノヲ市民の発案が正式に取り上げられ) その政策やひいては社会のいとなみが進められるという体制だったと思われます。 中村修二氏は 逆に その従来の体制とその考えに異を唱えたことにもなると考えられます。しかも 自分自身のひとりを問題にしているかたちであるかとも思われます。 そういった社会力学――人びとのそれぞれの努力とそれらの合わさったかたちの社会力 これをどのように妥当なかたちで分析し捉えるか―― ううーん これも 気の遠く成るようなお話になってしまいますかねぇ。 いづれにしましても これをもってお応えとします。ご返答をお待ちします。
続きからでございます。 > 軽くいなすには ひどっちさんなら どうお答えになるか。・・・ メディアにて、「国民にどう説明するんですか!」、「庶民感覚を全く無視した意見ですね」とか言ってますニュースキャスター・司会者(例、M.M氏、タ○シ氏)等には、ぜひとも、立候補していただき、模範を示していただきたいと思っております。大橋巨泉氏も、あのような投票を獲得したのですから、確実に当選するかと思われます。もちろん、議員になりますと、給料は3から5分の1程度には下がりますし、責任も大きくなろうかと思われます。ですが、そこまで批判を発するならば、ぜひとも政治家になって、範を示していただきたいと思っております。そして、当選後の彼らの政治・行政手腕を国民がつぶさに観察していけば、おそらく同様に失望すると思っております。 結局は、国民主権とは言いますが、国民自身が自らの意思でもって、議員を選出していくしか、他に方法はないと思うのですが..... 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
お礼
つづきです。 ★ メディアにて、「国民にどう説明するんですか!」、「庶民感覚を全く無視した意見ですね」とか言ってますニュースキャスター・司会者(例、M.M氏、タ○シ氏)等には、ぜひとも、立候補していただき、模範を示していただきたいと思っております。 ☆ もろにそのままを引用しました。 かつて《中二階》という言葉をいただきましたが これらはへんな中二階ですね。そういう立ち場に立つことでも稼げるのだというかのように映ります。( MM 氏も 生活の立ち場に立って話をすることもあるようには思いますが)。 国家を生活集団の単位体として据えているとすれば その――特にやはり上下の二階建て構造によって――共同自治の指導者は 社会の中でこちら立てればあちらが立たずといった利害関係の調整もあるでしょうから その良心をおそらくまっとうすることが困難であるかと考えます。その限りで その政治行為には悪魔性がつきまとう。 ただしその悪魔度も――今回考えようとしたことは―― お上神話もしくは無謬性の神話の度合いの推移に比例して減るのかなと思ったのでした。 人びとの意識においても そのお上病が癒やされて行き 政府は――市民政府ですよね―― 政策でまちがいをおかしたならはっきりと まちがいましたと言う。ということで その悪魔度が次第になくなっていくかも知れないと。 けれども この主題は何ともうまくは進め得ないようですね。情報のとぼしさでしょうか。また たとえアマテラス公務員の経験があるからと言って そのままウラ情報を握っているとも限らないでしょうし たとえ握っていてもそれをいかに――石井議員の例もありますし――うまく成功裡に人びとの生活のためになるかたちで明らかにするか。これも困難をきわめるのかも知れません。 われわれは いまは 事態を見守るということでしょうか。 その話におつき合いさせたかたちにもなってしまいました。 そうですね。もう一回お応えをいただいて 話題を変えましょうか?
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでござます。 > ☆ すなわちもはや《理論》は あったもんではないというように感じてしまいます。 あるいは 細かいところでは 民主党政権は 右翼ないし暴力団とどのように話し合いをして何らかの合意に達しているのか。こんな妄想のような憶測をはたらかせています。 確かに、自民党政権のとき(岸信介内閣当時)、60年闘争の際の学生運動を鎮圧すべく、右翼ないし暴力団に頼ったといわれています。現在も、まだ続いている可能性は否定できないものと推察しております。 > でもこうなると 自民党やそれこそオザワのほうが 悪魔度において政治行為においては一枚上だということになりましょうか? 何だか切なくむなしいようでもあります。 オザワ氏は豪腕として知られていますが、あまりにも強引過ぎたため共に歩んでいけた人は少なかったように考えております。ただ、自民党でございますが、まだ悪魔度は健在かと推察しております。ただ、オザワ氏が自民党幹事長時代に、「なぜ他の議員が、この若い幹事長に付き従ったのか?」という理由に、二世議員等のおぼちゃま議員が増えてしまった結果、批判する気力がなくなってしまっていた。という説もございます。 > 随想のごとくになりますが 菅直人は ともかく野党として自民党に質問をしていたときの勢いやら活発さがないように見られます。 はい、仰る通りかと存じます。国会答弁等におきまして、もちろん野党側からの全ての質問に対しまして、一人だけでは対処することは実質上できかねます。このため、質問責めにあった際、官僚の誰もが管氏を援護しなかったといわれています。“政治主導”を掲げすぎた結果、一人のみ(+若干の議員)となってしまい、結局は官僚にも気配りをせずにいられない状況に置かれてしまったようでございます。 > 新しい世代は スサノヲ市民の自然本性がそなわって生まれて来るのでしょうから 初めよりアマテラス公民志向なのでもないであろうと思われます。 おそらく、初心はそうだったかと思われます。 > 次の政権が――それがどんな連立政権であろうとどうであろうと――人びとからその《お上》としての性質にかんしてどのように受けとめられるか? どのように評価されるか? つまりあるいは単にマスメディアの意向を受けて人びとはそれに流されるか? ・・・いろんな現われ方が可能性としてあるかも知れません。 はい。社保庁問題の折、社保庁が批判の的になりかけたことがございました。しかし、テレビ・ニュースを見ますと、“年金未納議員”の話ばかりでした。もう、お分かりかと存じますが、社保庁が矢面に立たされるのをかわすべく、マスコミに議員の未納状況をリークしたいた訳でございます。元来ならば、国民の将来の受給問題等含めまして、“年金問題”のあり方、さらには、社保庁の組織としての問題点を国民に知らせた方が、(愚生と致しましては)将来不安に対し僅かながらでも疑問点が解決できる可能性があったことを鑑みますと、国民の利益・国益にもつながったと考えております(未納議員の追及はその後でもよかったと解してございます)。 > ☆☆ アマテラス政治家の無謬性の神話がくづれたか? 確かに、崩れてきているかと推察しております。政治家に限って申しますと、実際、世論調査等におきましては、支持率が不支持率を上回り続けた内閣(首相)は、それ以外の首相数よりも多かったかと思われます。 > 民衆は 自由をふつうに享受するか。それともまだなお なおまだ 自由が怖いか。その自由から逃走して行きたいのか。責任をかぶりたくないと思っているのか。 おそらく、国民自身も責任をかぶりたくないと思っていると推察されます。かりにも自分たちが選んだ政治家でございます。ですが、自分の判断ミスを反省するよりも、(政治家の)欠点を(その場の空気に従い)論った方が楽でしょうから。実際は、自分たちが選んだ議員なのですから、自分の写真(自画像)に責任をなすりつけているというのが事実かと考えております。 > ☆ それには これこれ・あれそれの言うに言えない秘密の事柄がからんでいるのだよと 一ぺんに暴露してしまう。・・・ “埋蔵金”の件をはじめ、公開してもいいと思うのですが….. ただ、あまりやりすぎてしまいますと、石井議員のようになりかねないかもしれませんが……. 参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6 続きを述べさせていただきます。
お礼
ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ただ、あまりやりすぎてしまいますと、石井議員のようになりかねないかもしれませんが……. ☆ そうなんですね。この事件を聞いたとき それほど重大な事実が隠されていてこれを把握したというのであれば もっとていねいに――党を挙げての取り組みとしてのように――扱ってもよかったのにと思ったことを覚えています。うまく行かないもんですね。 ぜんぶ 今回は全部 引用して復唱するそのままになるかと思います。 ★ マスコミに議員の未納状況をリークしていた ☆ とは知らなかったです。役人さんもやるもんですね。 ★ 質問責めにあった際、官僚の誰もが管氏を援護しなかったといわれています。 ☆ 嫌われていると聞いていましたが このように行動にまで出ていたとは記事を読み過ごしていました。 この大災害に遭って 自民党とほかの野党は もう少しは協力的になるかと思っていました。あさはかでした。 あっ ひょっとして 菅直人は 《無謬性の神話》病に罹っていましょうか? 次の一歩というときに二の足を踏むのでしょうか。まぁ でも限界だと一般に言われていますね。(どうなるのでしょうか)。 ★ 確かに、自民党政権のとき(岸信介内閣当時)、60年闘争の際の学生運動を鎮圧すべく、右翼ないし暴力団に頼ったといわれています。現在も、まだ続いている可能性は否定できないものと推察しております。 ☆ 外からの麻薬業者やスパイの侵入に対して 暴力団の力を政府は借りているのだとか。ただし 麻薬は外からの勢力と手を結ぶ者も中にはいるのだとか。こういう話をどこかで読んだ覚えがあります。 ★ “埋蔵金”の件をはじめ、公開してもいいと思うのですが….. ☆ そう言えば 官房長官の自由に使える機密費については公開しないと決めましたね。相手先の問題だとかあるにはあるのでしょうが。 このまま次に移ります。
こんばんは、Hidocciでございます。 > ところが いまの民主党政権もしくは菅政権については どうもその性格や事情がいちじるしくそれまでのアマテラス政権とは異なって来ているのではないか? 以下のデータから見ますと、世襲議員は圧倒的に自民党が多く、元官僚では著しい違いは見られないというのが率直な感想でございます。従いまして、現在の民主党は、“アマテラス政権とは異なって来ている”ことと言えるかもしれません。ですが、元官僚数から判断しますと、一変したという程のものでもないかとも思われます。 [二世・三世議員等、身内に(元)議員である議員の数] ・民主党は65議席 ・自民党は214議席 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E6%97%8F%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7 からです [元官僚議員数] ・民主党は42議席 ・自民党は40議席 http://www.publistella.net/list/?st=1&atps=1&hs=3 からです > 鳩山由紀夫は出自がアマテラス圏であり 菅直人はそうではなくスサノヲ圏からであるという違いが出ているのかどうか? 以下に大まかな政策の違いを列記してございます。 ・鳩山由紀夫氏 理念:東南アジア共同体と友愛の精神。東南アジアに注意をはらう。 財政政策:4年後まで、増税は見送り ・菅直人氏 理念:?。TPPにおいては、東南アジアよりも米国寄り(下記参考をご参照くださいませ)。 財政政策:消費税導入には前向き 参考:http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/542.html > ☆ 政治家としてアマテラス公民たる者はすべからく悪魔に身をゆだねるデーモン(悪鬼)にならざるべからず。――こうでしょうか? ある意味、悪魔に身を委ねることは避けられないと考えております。特に外交問題につきましては、騙し合いの世界でございます。国益にかなうならば、致し方のないものと察せられます。 また国内の問題におきましても、様々な利害関係が絡んでおります。その中で、強引なまでの折衷案を出し、その案を情け容赦なく押し進めていくには、かようなことも必要かとも考えております。 > 極論して言うのですが この方策を忠実に取ったアマテラス政権は 安泰であって そうでない政権――たとえば民主党政権――は もはやスサノヲ市民らの信頼も支えも失くした。――こうでしょうか? まず、沖縄基地の問題で批判が集中し、さらに小沢問題でバッシングが拡大されたものと推察しております。また、そもそもメディア報道にも問題はあったとも考えております。一度なにかしらの問題点が浮き彫りにされますと、全メディアが一斉にバッシングをしかける ということでございます(これは、自民党のときもそうでしたが)。おそらく、小沢氏(はっきり申しまして、愚生にとりましては、どうだっていい議員なのですが、恐らく実際の判決では”白”になると予想しております)の問題につきましては、既にメディアにより、”黒”扱いされているのも事実かと思われます。 総じて、上記両問題とも、民主党の決断力・実行力のなさ、さらには優柔不断さが露呈してしまい、これが国民に受け入れられなくなってしまったものかと考えております。 最後まで、お読みいただきましてどうもありがとうございました。
お礼
こんばんは ひどっちさん。ご回答をありがとうございます。 どうもこの種の質問は 的を射ることが――質問者がたたき台をつくるときをも含めて――むつかしい。こう思えています。つまり回答者の立ち場からは 回答しづらいものであろうと いまさらですが 思えます。 次のご指摘をうかがっても それは 内外にわたって《国家》という主体(?)を前提とすれば もうにっちもさっちも行かないというように思ってしまいます。 ★ 【基本】 〔政治家としてアマテラス公民たる者は〕 ある意味、悪魔に身を委ねることは避けられないと考えております。 ★ 【国際関係】 特に外交問題につきましては、騙し合いの世界でございます。国益にかなうならば、致し方のないものと察せられます。 ★ 【国内問題】 また国内の問題におきましても、様々な利害関係が絡んでおります。その中で、強引なまでの折衷案を出し、その案を情け容赦なく押し進めていくには、かようなことも必要かとも考えております。 ☆ すなわちもはや《理論》は あったもんではないというように感じてしまいます。 あるいは 細かいところでは 民主党政権は 右翼ないし暴力団とどのように話し合いをして何らかの合意に達しているのか。こんな妄想のような憶測をはたらかせています。 でもこうなると 自民党やそれこそオザワのほうが 悪魔度において政治行為においては一枚上だということになりましょうか? 何だか切なくむなしいようでもあります。 随想のごとくになりますが 菅直人は ともかく野党として自民党に質問をしていたときの勢いやら活発さがないように見られます。 ★ [二世・三世議員等、身内に(元)議員である議員の数] ・民主党は65議席 ・自民党は214議席 ★ データから見ますと、世襲議員は圧倒的に自民党が多く、元官僚では著しい違いは見られないというのが率直な感想でございます。従いまして、現在の民主党は、“アマテラス政権とは異なって来ている”ことと言えるかもしれません。ですが、元官僚数(* そのデータは省略しました)から判断しますと、一変したという程のものでもないかとも思われます。 ☆ となると 官僚の出身身分についても知りたくなりますが それはもうよいでしょう。新しい世代は スサノヲ市民の自然本性がそなわって生まれて来るのでしょうから 初めよりアマテラス公民志向なのでもないであろうと思われます。 次の政権が――それがどんな連立政権であろうとどうであろうと――人びとからその《お上》としての性質にかんしてどのように受けとめられるか? どのように評価されるか? つまりあるいは単にマスメディアの意向を受けて人びとはそれに流されるか? ・・・いろんな現われ方が可能性としてあるかも知れません。 ☆☆ アマテラス政治家の無謬性の神話がくづれたか? ☆ に関しましては まづ基本的にくづれて来ていると理解します。ただし 上の《お上》をお上として頂くその頭の上への載せ具合いとしては ひょっとするとまだ――オザワなる剛腕政治家を待望する声が消えていないとすれば まだまだ――変わっていないのかも分かりません。コイズミなる《分かりやすい政治家》に人気があったというのも そのへんの人びとのさまよいを示しているのかも分かりません。 つまり要するに 民衆は 自由をふつうに享受するか。それともまだなお なおまだ 自由が怖いか。その自由から逃走して行きたいのか。責任をかぶりたくないと思っているのか。 国家の枠組みないし二階建て構造を まだまだはづすわけには行かないとすれば たとえば何にしろ国家の機密を無くすという手に出るなら 人びとはそれにどう対応するか? これまで暗黙のうちに秘密にされていたこと これらを包み隠さず明るみに出してしまったら いったいどうなるか? 人びとはどう思うか? ★ 民主党の決断力・実行力のなさ、さらには優柔不断さ ☆ それには これこれ・あれそれの言うに言えない秘密の事柄がからんでいるのだよと 一ぺんに暴露してしまう。・・・ 軽くいなすには ひどっちさんなら どうお答えになるか。・・・
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お礼
お早うございます。ひどっちさん ご回答をありがとうございます。 ★ 「なお日本軍を圧倒したソ連第一集団軍司令官ジューコフはスターリンの問いに対して、日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である、と評価していた。」 戸部良一ら著「失敗の本質」 p.68 ☆ 同じ趣旨のことをいちどおしえていただいた記憶がありますが ロシア人司令官の評言でしたか。(いえそれも おそわっていたかも知れませんが)。 明治政府を中心として 政治家あるいは国家公務員になるという場合には 悪さをテキトウにやりつつ いいこともやった人間もいたでしょうね。どこかで達成感があったりすると また或る程度にせよ安定して来ると さらにつねに初志を見直しつつつらぬくおのれを保つということは むつかしくなるでしょうか。 ★ あくまで愚見ではございますが、我が国では、自然と「アマ上がり」していく特質のようなものが元来備わってしまっているのかと思わず疑ってしまいたくなります。さらに申しますと、 下っ端の間は、立派な公務員だったものが、上になると、どうしても、そうでなくなってしまうのではないかと勘ぐってしまいます。 ☆ 溜飲の下がる思いになります。おそらくスサノヲ市民からの初めのアマアガリは 必ずしも・あるいは決して捨てたものではないと思われる。にもかかわらず あとは 竜頭蛇尾になるのでしょうか。 ★ ・・・この失敗から多くのことを学び、以降の糧にしていければと思っております。責任問題は(例えば、損害賠償等です)とりあえず棚上げし(賠償金額を考えますと、政府が立て直すしか他に方法はないように思われますが)、問題点を隠蔽させずに、詳細を検討していくのが最善かと考えております。 ☆ そう言えば 自民党・谷垣氏が いくらか協力姿勢に傾いて来たようですが。 ★ ~~~~~~~~~~~~ ☆☆ つまり 共同の仕事だという意味になります。こう考えますが いかがでしょうか。 確かに、その根本的なところには、互いの人格関係、そしてお互いが理解し合おうとする姿勢が要求されるかと推察されます。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ というオーケストラ方式――コンダクターが誰かは にわかには分かりませんが(誰もが そうであるかも分かりません)――にも 方向として賛成していただいたところで お開きとしましょうか。 いつもながら ありがとうございました。検索をきちんとおこなっていただいていると思うと あたまが下がります。 みなさんもありがとうございました。 * 美術談義がまた始まりました。