卒族を「士族」と「平民」に分けた。
1872(明治5)年、新政府は、卒族の名称を廃止し、彼らを士族と平民に分けて編入する措置を進め、1875年までに完了したそうです。
分ける基準は、それまで身分を世襲していた者は「士族」に、一代限りの家臣は「平民」にしたそうです。
では、士族になった人が多かったのですか、それとも平民になった人が多かったのですか。
wiki「壬申戸籍」の「4.族籍別人口と割合の変遷」を見ると、卒族の大多数、9割以上が士族に編入されているようですが、よく分かりません。
よろしくお願いします。
「壬申戸籍」 4.族籍別人口と割合の変遷
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E6%88%B8%E7%B1%8D#.E6.97.8F.E7.B1.8D.E5.88.A5.E4.BA.BA.E5.8F.A3.E3.81.A8.E5.89.B2.E5.90.88.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7
お礼
回答ありがとうございます