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squeak in の解釈について
T.S.エリオットの『詩の効用と批評の効用』を読んでいます。 The main tradition of English poetry begins with Chaucer and reaches its final culmination in Shakespeare. It is contradicted by most French poetry before Baudelaire, ........... とつづく H・リードの言説に対してエリオットがいくつかの反駁を加えている箇所に、 As for French poetry, Mr.Read saves the situation with the qualification "most," so that I suppose Baudelaire's master Racine just squeaks in. というのがあります。「squeaks in」の意の取り方に迷いがあり、3種の邦訳にあたってみました。そのうちの2種が「~ボードレールの師のラシーヌがかろうじてそこに割り込んでいる」というもので、1種が「ボードレールの師のラシーヌが音をあげている」と訳しています。文脈を考えると、どれも釈然としないもののように思えます。僕の感じ方で意訳すると「ボードレールの師のラシーヌはそこで不平の声をあげている」ないし「ボードレールの師のラシーヌはそのような文脈になじまない」というふうになるのですが、いまひとつ自信が持てません。チョーサーに始まり、シェークスピアをその頂点とする英詩の伝統に対立するものとしての、ボードレール以前のフランスの詩の「大部分」のなかに入れられて、ラシーヌはキーキー声を出している=不平の声をあげてそこに異和を訴えているという意味に squeak を解釈しましたけれど、前後の just や in との整合性は保たれているのか疑問の余地があるように思えます。 just や in との関係をふまえて、どなたかご教示ください。よろしくお願いします。
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- googoo1956
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シェイクスピアとラシーヌは、それぞれ英仏を代表する偉大な詩人ですが、一般的な評価に関しては大きな差がついています。しかし、一方でラシーヌを擁護しようとする人もいるようです。 >As for French poetry, Mr.Read saves the situation with the qualification "most," so that I suppose Baudelaire's master Racine just squeaks in. お尋ねの英文の前半部分の大まかな趣旨は、「フランスの詩に関しては、リード氏は「大部分」というあいまいな表現を用いて、(隆盛を極めたイギリスの文学界と相反するフランスの文学界、またはその代表的な存在であるラシーヌに対する批判的な)状況を丸く収めようと(いう配慮を)している。」という内容だと推測できます。 それを受けた後半部分の趣旨は、「、その(配慮の)結果、(逆に)ボードレールの師匠ともいえるラシーヌが(その大部分の中に)ぎりぎりで入っていると思われる。」と続くのではないでしょうか。 大げさに言えば、「リード氏がラシーヌ擁護派で、エリオットがラシーヌ批判派」であるという全体の構図が見えてくるようです。 なお、「squeak」」には「out」などが続くと「きりきりと言う金切り声を上げる。」という意味になりますが、「in」を伴うと「ぎりぎりで中に入る。」という意味になるようです。お尋ねの英文で用いられている「just」が、その「ぎりぎり」という感じをさらに強く印象づけているような気がします。 詩の世界に関して特に深い造詣を持っているわけではありませんので的外れな推測になっているかもしれませんが、ご参考になれば・・・。
- SPS700
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squeak in というのは、例えば場所が無いのに無理して割り込む、といった時に使います。 「ここでは。。。の定義に辛うじて/やっと/当てはまる」と言うのが正解だと思います。 squeak は人間の声を指すより、狭いところに何かを無理にねじ込むためにでるきしみ音、という物の音を指すことが多いことも考慮に入れるべきかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご教示のとおりだと思うのですが、これを日本語に移して理解する場合に、「~の定義にかろうじて当てはまる」ということですと、「フランス詩については、リード氏は「大部分」という形容詞を用いることで、その立場を糊塗しているけれど」という前文と意味の上でうまく接続しないように感じるのですがいかがでしょうか。"most" なかへ無理にねじ込まれて軋みを生じているというイメージで解釈しますと、結局、「ボードレール以前のフランス詩の大部分」というくくりにないじまない、といいますか、「ボードレール以前のフランス詩の大部分」といったってラシーヌは異質じゃないかということを指示しているというふうには考えられないでしょうか。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
squeaks については、ご指摘のように金切り声を上げている(感情的に反論しようとする様)を表していると考えたのですが、参考のように米国英語では難関をくぐり抜けるという意味もあり、ラシーヌも"most"の仲間に割り込まされた(分類された)とも解釈できます。 これは、in ~ の ~ にあたるものが何か、という点に影響されます。たとえば、in "most" であれば、割り込まれたという用法で考えたほうが通じます。 この in が何に対するものかは、ご質問で略されている ... の部分に記されている(提示された文章内にはない)ように思われます。つまり、ご質問の文章だけでは何に呼応しているかが断定しきれないのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご指摘の通り、「in ~」の「~」にあたる部分が不明だと意味が確定しないと思いますが、引用のあとに in に呼応するようなものは明示されていません。英詩の正統に対立するものとしてボードレール以前のフランス詩の大部分が挙げられ、そのあとにポープやロバート・ブリッジスやが枚挙されいるだけで、フランス詩に関する記述はもとより、ラシーヌが squeaks in する場所なり方向なり傾向なりは、"most" でないとすると、そのほかの対応関係は見つけられないと思います。ですから、in に呼応するのはやっぱり most ないし most という語をともなうリードの言説ということになろうかと思います。 そこで、そのなかに「割り込まされた(分類された)」と考えますと、英詩の正統に対立するものとしての「ボードレール以前のフランス詩の大部分」に無理に割り込まされて軋みを生じているイメージだと思うのですが、それは結局のところ「大部分」のくくりに対してラシーヌが異和を訴えていると取るべきか、どうにかこうにか「大部分」なかに割り込んでそこに辛うじて場所を得ていると取るべきか、文脈の問題になるわけでしょうか。僕としては前者の解釈でないと、「フランス詩について、リード氏は「大部分」という形容詞を用いてその立場を糊塗しているけれど」という前文にうまく接続しないように思うのですが、いかがでしょうか。
補足
ご回答ありがとうございます。 なるほどと承りました。ただ僕の考えはこうなんです。ここのところで論点となるのは、シェークスピアを頂点とするイギリス詩の正統に「対立」するものとしてラシーヌをとらえるかどうか、ということですね。その点では、リードもエリオットも、ラシーヌほどの詩人をシェークスピアの単なる対立項としては見ていなくて、そのことをふまえると「大部分」といってお茶を濁していますが、やっぱりそこにラシーヌが入っちゃいますよ、それは違うんじゃないんですか、とエリオットがリードの言説の不徹底を揶揄している形ではないでしょうか。ですから、「大部分」という範疇のなかにラシーヌがぎりぎり入っちゃってる、とことさらにいうことは、当時の文学的評価の通念といいますか教養といいますか、そういう背景をあたりまえには共有しない現代の日本語でそのニュアンスをいえば、「ボードレールの先生のラシーヌも矢張そこに入ってしまうと私には思われます(がね)」というような感じになりましょうか。