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ブッダの教え
ブッダの教えの中には、仏像を崇拝するという考え方はなかったと思いますが、いつごろからどのようなきっかけでそのようになったのでしょうか?
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ブッダの教えは、頭を空に、無我になる事で、救われる教えだから、何も無いのが基本です。だから修業も、滝に打たれたりする荒行や密教は、否定しています。瞑想だけを奨めています。今では、人の力による加持祈祷などの、霊的な宗教が混在しています。だから仏像があると、神仏に祈願する、宗教のイメージが強くなり、ブツダの教えが誤解されてるようです。ブツダの教えは、宇宙のしくみをといたもので、宇宙哲学です。この地球は、仮の世界です。不調和世界の脳の自我と、調和世界の大自然の心が、出会うためにつくられました。だから諸行無常、色即是空、虚像界とかいいます。仮の世界なので、始めと終わりがあります。マヤ暦では、2012年が終わりかと言われています。終わると、仮の世界が仕切り直しになり、人の心は、自我と無我に解体されて、それぞれ元の世界に帰ります。自我は脳の世界へ、人は仏の子だから仏の世界へ帰ります。
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- o-sai
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古代のインド地方の崇拝物は、性器のような象徴的な形のオブジェだったようですよ。 キリスト教が像で分かり易く勧誘する流行を生み、大乗仏教の各宗派がそれを模倣(参考に)したそうです。 なので、キリスト教が世界中に展開して行った後から仏像は出回り始めた、ということです。 ヒンドゥーの多神像については、土着宗教の合体なので西洋宗教の流れとは違うようです。
人が、仏像を礼拝、供養する気持ちになるのはなぜだろうかということを、ご考察されるとよいのではないかと思いました。 参考URLとして、法華経にある、ご質問箇所に関する記述のあるホームページを掲載しておきます。 ご参考にどうぞ。 (WEBサイト、左側にある縦に並んでいるボタンの内で、上から三つ目の、緑色の「素質」と書いてあるボタンを押してください。そのページの内容とともに、中ほどには法華経の記述が引用されています。仏像を制作したり、仏像を礼拝し、供養することが何であるかについてが、その引用中に記されております。)
- mmky
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釈迦仏陀が活躍しているときに、現在のバングラデッシュあたりから釈迦の説法を聞きに訪れた者が釈迦仏陀に帰依し、そのものが遠くてあまりこれないので小さな仏陀の姿をした像を作っても良いかと直接釈尊に御願いし、よろしいという許可を得て作ったのが仏像の初めといわれてますね。 つまり、遠い国の信者が修行や信仰の対象とするために仏像を作ったのが最初ということでしょうね。
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ありがとうございます。
- Hamida
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釈迦は、自明灯として、自分を導くのは自分の他は無いと教えています。その頃は、当然ながら釈迦如来などの仏像があるはずはありません。仏像崇拝は、釈迦没後100年ほどで、釈迦にすがることで一般民衆も救済しようとする大乗仏教からです。大乗仏教の教えは、悟りとは色即是空を知ることに過ぎないというものです。
お礼
ありがとうございます。
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