1812さんの尋ねておられることは、大体理解できるように思います。
結論としての回答を述べると、貴方が感じておられるような釈迦牟尼の「教え」に対する理解の変質は、おそらく、紀元前後の「大乗仏教」の成立が、その分水嶺となるでしょう。大乗仏教でも、中観派の祖のナーガールジュナとか、唯識派のヴァスバンドなどは、十分に哲学的というか合理的な思索を行っており、特に唯識派は、人間の深層心理の構造について深い洞察をしました。
色々な誤解があるように思えます。まず、「宗教」という元は中国の概念であった言葉が、西洋の religion の訳語として選ばれた結果、宗教の概念が、キリスト教やイスラム教の宗教の概念に寄った捉え方をされたという問題があるでしょう。また、哲学という言葉・概念についての誤解もあるようです。貴方が誤解しているのではなく、世のなかで一般に誤解されているようです。
哲学とは、元々、「智慧を愛する」ということで、智慧(個人の最善の生き方・良き生き方の智慧)を求め、思索し、了解する個人の人生的な営みであったのです。その前提に、個人=わたしが生きる、この世界とは、どういう世界なのか、いかに成り立っているのか、自然世界の生物や、天体や、川や海や雨や虹は、どういう訳で、ああいう風になっているのか、という自然学的問いなども含まれ、また人がいかにすればよりよく生きられるのか、という問いのなかには、他者との関係や、社会との関係、「倫理」とは何かという問いも含まれてくるのです。
哲学とは、このように、個人における、自己の生き方の問いであり、世界や社会のありようや規範についての問いで、思索の営みだったのです。その意味で、釈迦牟尼は、西洋的には、哲学者であったと言えるでしょう。人生や人の生き方、社会のありよう、世界の意味について尋ね、それなりの答えを人々の前に提示した「思索者」だったのですし、思想家であったのです。また、思索者・思想家・哲学者は、生き方の実践者でもあり、単なる観照者ではなかったっということも重要です。
哲学というと、解釈哲学というか、昔の人の考えた思想を解釈したり、それを教えたり、研究したりすることを念頭してしまうというようでは、そもそも、哲学とは何かが分かっていないということになるでしょう。そういう風に哲学を教えたり、先人の思想を研究している人は、哲学研究者とか、哲学の先生というのであって、哲学者とは言わないのです。あまりに歴史的に偉大な哲学の先達が多いので、なみの思索や人生への問いかけでは、「哲学者」の名前は畏れ多いというので、哲学の研究者たちは、自分で哲学者とは名乗りませんが、生き方や、人生や世界や社会や倫理について思索する者は、やはり、哲学者というのが妥当でしょう。
釈迦牟尼は、そういう意味では、哲学者であり思想家であったのです。釈迦牟尼は、ソークラテースがそうであるように、「合理的な実践的思索者」で、呪術の類は斥けました。人を神聖化し、神のように扱ったり敬ったりするのは、呪術的な態度で、釈迦牟尼は、そういうことは否定したはずです。サンガ(仏教教団=修行者集団)と釈迦牟尼の関係は、偉大なサンガの指導者が釈迦牟尼で、サンガは釈迦牟尼を神と捉えていたのではありません。釈迦はサンガの絶対支配者というものでもなく、サンガは合議制で、釈迦は、アドヴァイスという形で、サンガに自分の考えを述べ、サンガは会衆が集まって、釈迦の提案を吟味しました。例えば、釈迦は晩年に、戒律を無くしてもよい、とサンガに提案しましたが、サンガは、戒律の存続を決定したはずです。
釈迦は、晩年に至り、わたしはもはや長くはない、この身体は年老いぼろぼろで、壊れかけた車のようである、と弟子に述べたとされます。そもそも、生病老死の四苦を釈迦は事実として認め、この四苦を克服するにはどうするか、ということで、人生の苦悩の解決を求め苦行し、瞑想し、生き方を探求したのです。釈迦は、生病老死は、人間の定めであり、世界の定めであり、不死不老とかを夢見るのは、人間の「無明=無知」による迷い、誤りであり、人は年老い死ぬのであるという事実を認め、よりよくいまを生きることが、価値あることであると教えたはずです。
死者の崇拝など釈迦は認めていなかったはずで、釈迦自身の葬儀も、修行者つまり、戒律を受けてサンガの一員となった者は一切関係せず、世俗の人々が行ったのであり、釈迦の遺骨も、世俗の人々が分け合いました。サンガは取り分など主張していません。
釈迦の教えでは、そもそも、六道輪廻とか、そのようなものはないはずなのです。死者の供養とかも意味がありません。「死後の生」は、あるのかないのかについて、釈迦の答えは、「無記」とされます。釈迦は、そういう問いには一切答えなかったということです。死後の生があるかないかより、いま、悟りへと修行の道を歩むことの方が重要であると釈迦は教えました。人生は長くないので、生きているあいだにこそ、修行に励め、ということです。
小乗仏教では、輪廻転生などの考えも入ってはいますが、基本的には、釈迦の元の教えに近いことを教えているはずです。大乗仏教はインドで起こったもので、一種の社会改革運動でもあり、個人の修行や悟りも重要であるが、多くの苦しんでいる人々をいかに救えばよいのかという問題を課題にしました。この結果「衆生の救済」ということが重要になり、高度な修行や思索の果てに得られる、悟りの成果ではなく、もっと大勢の人が受け入れることのできる、分かり易い教えを考えました。「方便」という形で、釈迦の本来の教えからすればおかしいが、とりあえず人々を救うため、段階的に教化するため、最初の入門過程では、「嘘」を教えても、人々を、教えの道に進ませ、段々と修行のレヴェルが上がって来ると、本来の「真理」を教えればよいという考え方や方法を考え実践しました。
大乗仏教、特に、ナーガールジュナが、「中論」で唱えた、「二諦」論が、そのあたりの消息を明らかにします。「二諦」とは、「勝義諦」と「世俗諦」で、「諦」とは、真理という意味で、仏教の説く真理は二つあるというのです。世俗の人が納得し、そう思いこんでいる真理と、仏教の精髄を知る者が悟っている「真の真理」の二つであると言います。世俗の真理すなわち、「世俗諦」では、例えば六道輪廻はあり、人は死後、地獄に堕ちたり、畜生道に落ちて動物に生まれ変わったりするのですが、真の真理、つまり「勝義諦」では、そんなものはないのです。六道輪廻は、世俗の人々を教化するための「方便」で、釈迦牟尼が教えた通り、人は死ねば、空となり、いなくなります。それが無常という釈迦が悟った、この宇宙の真理です。
わたしは智慧がない者なので理解できないのかも知れませんが、本来「方便」であった、世俗への教えが、何時の間にか、体系的になって行き、例えば、「法身仏」の概念などになると、宇宙には、永遠不滅の根元的原理である「法身仏」が存在し、歴史的人間の釈迦牟尼などは、法身仏が、時間のなかで人間の姿を取って現れ、教えを説いたものであるという考えが出てきます。元々、覚者(仏陀)とは、個人の名前ではなく、悟りを開いた聖者の尊号であり称号であったのですが、釈迦の時代あるいはそれ以前から、悟りを開いた者は、古来より大勢いたという思想がインドにはあり、釈迦牟尼は、「我々の時代に出現した覚者=仏陀」であるという認識があったのです。釈迦の存命中に、インドには、当時すでに輪廻思想がありましたから、釈迦は、偉大な過去の誰か修行者の生まれ変わりだというような、考えの人もいたのです。釈迦は、そもそもそういうことは否定したというか、「無記」で、答えなかったのですが、教えから言えば、そんなはずはないのは明らかです。
とまれ、法身仏というような概念が出てきて、宇宙の法身仏のこの世の現れである「諸仏陀」は、本来、不死不滅の存在であるが、人間を教化し励ますため、周期的に死んでみせ、また出現するのであるというような考えも出てきます。また、大乗仏教では、自己の解脱よりも、まず他者の救済が重要だというテーゼがあるので、本来、釈迦の時代や原始仏教の時代なら、アルハト(聖者=覚者)となった人も、世の人が救済されていないのに、覚者になるのはおかしいというので、大乗仏教では、この世の実在の人間は誰も覚者=仏陀にはならなくなります(なれなくなります)。そこで、本来、覚者に相当する人を、元々は、「修行者」という意味であった、「ボーディサットヴァ」の尊号で呼ぶようになり、これの漢訳(音訳)を「菩薩」と言います。ナーガールジュナなどは、「龍樹菩薩」とも尊称されます。歴史的実在の人間は誰も仏陀になってはおかしい他方、仏陀はたくさんいないと困るので、色々な仏陀が考えられます。また、すべての人が救われないと、自分個人の悟りはいらないという大乗仏教のテーゼから、歴史的に次に出現するのは、遙かな未来、その頃には、すべての人が救われている時代だろう何十億年未来に出現する仏陀、すなわち弥勒だということになり、弥勒は、現在は修行中で、従って菩薩であり、遙かな未来に、弥勒菩薩が仏陀となる時、この世は救済された世界になっているという思想が起こるのです。
小乗仏教では、現在も、アルハト(悟った人)というのは、実在します。何年か前、NHK特集で、アジアの仏教というものを紹介していて、そこで、ミャンマーだったかのアラハンが出てきましたが、アラハンとは、アルハトのことです。(また、哲学者と宗教者の二者択一ではなく、この二つは、「いかに人生を生きるか」の探求者として、重なりあっている部分があるのだということも認識する必要があるでしょう。宗教家でも、呪術を廃し、合理的な教えを説く者と、呪術を認める者がいますが、合理的な思索者としての宗教家は、或る意味、哲学者でもあるのです)。
お礼
starfloraさん。ご回答有り難うございます。とてもわかりやすい回答です。、「二諦」論の真理が二つある。としたあたりから、片方の真理が大衆化し、一人歩きをし出した。ということになるのでしょうか。 教えがひろがり、ある意味でつじつま合わせの結果、このような様々な仏が多種でてくることになったと、言えるわけですね。実に参考になりました。文字足らずの質問をご理解いただいて有り難うございました。