- ベストアンサー
仏教の教えに気付いた!手を合わせることが許されるとは?
- 仏教の教えは「何事も盗む前には手を合わせなさい。手を合わせれば何事も全ては許される」というものではない。
- 手を合わせることが許されることとしてブッダが説いた。
- 御飯を盗む前には手を合わせて食べると許される。命を殺す前に手を合わせれば許される。食べる前に手を合わせれば許される。この考え方は他の行為にも適用される。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Japanwayさん こんばんは。 数年前、NHKの番組で、茶道の裏千家の前の家元の千玄室大宗匠の茶道の番組がありました。 千玄室さんは戦時中、特攻隊に配属されたそうです。 しかし、名門、裏千家の家の出ということで、出撃命令は出されず、特攻隊として飛び立っていく隊員の最後の別れとして、お茶を点てることが命じられたそうです。 どんな、思いで、お茶を点てたのだろうと番組を聴きながら思いました。 そして、終戦を迎え、水戸黄門の役をつとめた、西村晃と共に生き残ったそうです。 しかし、終戦後、なぜ、自分だけが生き残ったのかという思いが消えず、悶々とした日々だったそうです。 そして、京都の大徳寺で修行して、作務として、草抜きをしていたところ、下記のように言われたそうです。 「ただ、漫然と、草を抜いているのではないのですか?草にも命があるのですよ。抜かせていただきますという気持ちで作務をしなさい。」 仏教の人間にも動物にも植物にも仏が宿るという、一切衆生悉有仏性です。 この言葉に、千玄室さんは、はっとなり、死ではなく、生きるということを考えなくてはならないと気付いたそうです。 そして、このようにおっしゃっていました。 「茶道にはカタというものがあるが、カタを学ぶだけで、終わってしまう人が多い、大事なのはチ(こころ・精神)である。これがそろって「カ・タ・チ」というものが出来て、やっと茶道の奥義を極めることが出来る。」 手を合わせるという行為は「カタ」です。 そこに「チ」という「感謝のこころ」がなければ、意味がありません。 私たちは「生かされている」という事実に、もっと感謝しなければならないと思っております。
その他の回答 (1)
- nattsbb
- ベストアンサー率14% (2/14)
教を悟ってる人は こんな事を考えない・・ それだけの事・・
お礼
みなさん回答ありがとうございます 感謝の心はない まだ悟ってないってことか