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本当の宗教

本当の宗教ってありますか? 昨今ではさまざまな宗教が「自分の宗教こそが真理を語っている。」 「私たちの宗教だけが幸せになる道を知っている。」 などと言っていますね。 でも、真理を扱っている宗教ってありますかね?僕は宗教は多かれ少なかれ、証明不可能な、こう言っては大げさかもしれませんが荒唐無稽な事を言っているように思います。例えば霊の存在、地獄の責め苦、輪廻転生などです。これらは科学的には立証されていませんが、宗教は公然と教理として教えています。 到底信じ得ないことも、その宗教に入るなら信じなくてはいけない。だから信仰なんでしょうか?僕はサイエントロジストですから科学を信じています。しかし科学では心の平安は得られませんでした。そこで宗教に希望があるのではと思い調べましたが、どの宗教も不確かな事を信じることを要求してきます。 みなさんは、なんらかの宗教に入っていて幸せだと感じていますか?その宗教は荒唐無稽な事は教えていませんか?そもそも完全な宗教を求めようとすること自体が間違いなのでしょうか? 散文的になってしまいましたが、回答いただけるとありがたいです。

みんなの回答

  • katyan1234
  • ベストアンサー率18% (347/1849)
回答No.42

すべて本当です。ただ教典、自分に向き合うことのが本当の宗教で団体に加入するということはありません。

回答No.41

回答No.10のyy8yy8azです。  多くの方がこの問いに興味を持ったようで、すでに40もの回答が寄せられています。  私は回答No.40の方の意見が面白く、ポチしました。  これだけの回答に質問者さんが、総ての回答に返事を書くのは、もう無理ですね。    質問者さんは、宗教に心の平安を求めようとしました。心の拠りどころとなるようなものを、科学ではなく宗教に求めようとしたのです。  科学が取り扱うのは、物質の世界。大きさとか、重さとか、温度とかのない心の世界(精神界)は科学の不得意とするところ。  その精神の世界、を受け持つのが‘宗教’であると言っても、回答者の皆さんに異議は無いと思います。  そして質問者さんが、心の平安を、心の拠りどころを、宗教に求めるのも当然のことだと思えるでしょう。  人の心には、意志、理性、感情と言う働きがあります。(記憶という能力については宗教の取り上げる事柄というより、科学の分野でしょうか)  さらに感情には、喜怒哀楽があります。  今、ここまで書き込んで、思いました。  愛情、というのは、この喜怒哀楽のどれに当たるのでしょうか。  このあと、この疑問を‘質問’して皆様の解答を伺おうかと思いますが、この‘愛情’という心に平安が、心の拠りどころが、あるということに気づいている人がいますでしょうか。  書物にばかり頼らずに、自身の心を良く見つめることが重要、かつ効果のあることではないかと、考えます。    

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.40

宗教といえば、神の存在の有無、生き方や死後の世界、善悪の問題、歴史を左右する問題etc.etc.  全てに関わる広大なテーマになってしまい回答するのは至難の業ですね! ただ、これだけは間違いなくいえることだと思います。悪い面に目を向ければ、戦争や洗脳など、いろいろありますが、 そうしてまでも人間が根本的に求めてきたものだということです。 人間と動物の大きな違いの一つに先祖崇拝や宗教心の有無があると、少年時代に読んだ本に書いてあったのを思い出しましたが、 とすれば、それを求める人間はそれだけ高等な心を有しているのだと思います。 動物はただロボットの如く、神様にインプットされた本能以上のことはできませんが、 人間は、持てる創造性を自由に発揮し、人生の問題も深く掘り下げて考えようとします。 また、あくなき科学への追求心をもって、今日までの豊かな社会環境を築きあげてきました。 宗教も科学も人間にだけ与えられた自由意志の賜物だといえるのです。 しかし、最後はテポドンです。 テポドンは科学の所産ですが、それを持つ側、使う側の価値観、宗教観、倫理観が最後に問われるのです。 刃物は使う人間次第で、美味しい料理を提供するための調理道具にもなれば、憎しみで人を殺すための道具にもなるのです。 テポドンも刃物もモノという産物であって、モノに罪はありません。 それをどう使うか何に使うのかは宗教観で決まるのです。 たとえば、無神論という宗教観の場合、確かに心に神はいませんが、 神がいないために、かわりに人間が神になってしまったのです。 共産主義国家の根本思想は無神論ですから、それらの国では、人間が絶対的存在なのです。キリスト教で言う偶像崇拝ですね。 私流に換言すれば、絶対的でないものを絶対視し、崇めること! ほとんどの共産国に人間の銅像や巨大写真が立てられていたのをご存知だと思いますが・・・ もちろん、今でも最後の国が残っていますが・・・ ところで、宗教も科学も信じることが大前提で成り立っていますが、 同じ信じるのでも、科学のように頭だけを使って追求する分には さほど人の心にまで入り込んだりしませんし、 せいぜい生活環境の便利さや快適さに変わっていくだけなので、 日常生活上に問題有りとは感じないのです。 しかし、科学も核兵器の開発など、身近な生活圏を離れていき、 テポドンに変わった時、初めて脅威を感じるのです。 日常生活の便利さをもたらす科学は信じられるのですが、 テポドンが科学の集大成の上にあるものだとは信じられないのです。 同じ科学の所産に対して一方は幸せをもたらし、一方は不幸をもたらすからです。この幸不幸観こそりっぱな宗教といえるでしょう。 また、ついでに言いますが、科学も自分の手の平で観察できる範囲なら 客観的事実として認めるしかないのですが、ことが大きくなると 自分では確認しようがなくなってくるのです。 たとえば、地球が丸いなんてことを確認できるわけがないのです。 外部メディアを通じて間接確認させられているだけです。 今となっては、地球が丸いことをを疑いなく信じているのです。 自分の手で確かめたこともないのに!! このように科学といっても、信じることが大前提でしか受け入れられないことも多いわけでして、客観的事実という認識が名ばかりであることも多いのです。正確には信じなければ成り立たないのが科学なのです。であるとすれば、科学万能主義の現代は、世界65億総科学教の信者といってもいいかもしれません。宗教信者のお株を奪う信心ぶりといえましょう。 すみません、あなたの投げかけたテーマが深すぎて、外堀を埋める回答にすらなってなくて・・・

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.39

現代における科学も「信仰」している方々が多いように思いますw 本当に科学的物質検証をきちんとなされていて、「データの蓄積」と「暫定的結論」を理性的に構築し、反証を受け入れる姿勢でいる人は結構少ないと思いますが、それこそ「科学」だと思います。 多くの人の「信仰」している科学は… 「誰かが科学的といっていた・今までこのようなことが科学的だといわれていた」から「絶対正しい!!」というものをよく見ますw 物質の現象のことについてもたいして解っていることは多いわけではないことをあまり知らないみたいですね。皆、明確なデータによって出される見解だろう。と思って、無根拠な常識となっている(w)憶測を「科学的で実証されているんだ!!!」と調べる事無く信じていますね。根拠を求めず絶対視するのは「信仰」の他ならないと思います。 それに比べ、ちゃんとした科学者は謙虚で正直で、気持ちがいいものですよね。「科学なんて何とか使えている程度で、科学で何でも理解できるなんていうのは傲慢だし、そういう人は科学を理解しているとはいえないよ」という態度ですからね。 (科学信仰・単なる自称科学者をしている人は上記の文を読んで「怒」が出るでしょうw) 宗教も多くは根拠を求めず絶対視し「信仰」するものがほとんどと思います。正しいか間違っているかはサイコロを振るようなものだと。私達にはそれが正しいのか間違っているのかわかりませんw根拠を求めませんからね。(論理的矛盾点はいくらでもつけますが、根拠を求めないのではねぇ…信仰をなす方にとっては「何が何でも正しい」でしょうから…) あなたの言う「完全な宗教」がどのようなものかはわかりませんがw 科学的な探求者として、知ったことを語り、その方法論をもって自ら調べることを勧めているという態度の方なら知ってます。 僕は個人的には宗教と思ってないのですがw パーリ語に記されたお釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の教えです。 (私は大乗仏教・祖師宗教とはチョッと切り離してみてます) 宗教は「信仰しなさい」ですが、お釈迦様は「納得」を勧めます。 納得は検証・比較・疑問の解消を論理的に実証的になしていかなければなりませんね。本当か?ととことん調べてみたらどうでしょう。という立場ですw 「私の言葉からとて信じるもんじゃない」という風にも言ってますしw 私が知ったことを知れるように道標(論理・検証・実証方法)を用意したから、参考にしてとことん調べて実験してみて・・・・ 科学的でしょう。 輪廻に対しても「ある」とはいっていますが、「解らない」という人には「ある派」「ない派」という見解があって、…と細かく説明し、結局は今を善く生きるようにすれば今世で楽を得てもし、来世があったならそこでも楽を得るでしょう。と今を善く生きることを説きます。 「無い」という論の危険性(道徳が論理的に成り立たなくなる)も語っていると思いますし、他のところではその自己の前世を見る能力をつける方法も教えていると思います。 だからといって「信じなさい」とはならないのが仏教。 相手の自由は最後まで守るのが仏教。 そのように私は考えてます。 スマナサーラ長老の無料のポッドキャストはオススメです。 書籍も80冊以上ありますがどれもお勧めです。 荒唐無稽な事を教えているかいないか調べてみてください。 参考になれば幸いです 幸福であれノシ

noname#149752
noname#149752
回答No.38

こんにちは ラテン語を説明してるサイトを見ていました。 まだ、わかりません。 こんな言葉があったから代わりに。。。 Tu fui, ego eris. 「私はあなたであった。あなたは私になるだろう。」 また来ます。

  • pupurpu
  • ベストアンサー率15% (29/192)
回答No.37

No.31の方が言ってますね。 >>宗教は人の行動の規範であり森羅万象の道理であり科学を否定するものではありません。ですので今現実に結果の出ている宗教が本物と云う事です。  人の規範で道理も入ってる。科学も否定しない。間違ってるなら間違ってるという。   人の規範で道理が正しい宗教でしょうね。  日本人の多くは宗教を知らないと思います。また、幼稚な思い込みで正しい認識をもたれてる人は少ないでしょう。多くの人は邪教や犯罪集団や法律を破るとか、洗脳とか、拝む、とかそんな認識でしょうね。全部間違った認識ですね。幼稚な思い込みです。 人の規範で道理  というNo31さんは簡潔に言ってますね。これが正常な認識です。  ですから、無宗教だと、欲望に操られて規範がなく、権力の横暴、わがままの横行、自分勝手が浸透していくんでしょうね。 日本はそういうことが多いですね。 正しい道理も規範もないですから。  年金制度のお金で、いっぱい失敗した知識だけの頭のいい官僚なんか見ると無宗教で規範がないのは、我々の未来まで壊すんだと思いますよ。  アメリカの破綻も彼らの宗教からしたらとんでもない事をしてると思います。歯止めがかからず、金儲けに走って、世界的不況の起爆剤作ってるし、現実にはやはり、規範は必要ですね。結果経済的破綻するからという理由が最近の状況ならわかりやすいですね。  シッコというアメリカ映画のドキュメンタリーを見ましたが、アメリカの医療保険は、金のためなら支払いを拒み、癌でも手術受けられないとか、、、、患者は当然死んでしまうんですが。現実に起こってますね。  金のために命を殺す。 生生しく取材されてましたね。そこには人としての正義も規範もありません。犯罪です。こういう権力は怖いですね。  正しい認識は必要だと思います。金は権力を作りますから、規範がないと暴走して、アメリカのように人が死にますね。

noname#84966
noname#84966
回答No.36

NO32ですが、補足追記しておきます。 要は、様々な説がある中で、その時点その時点で、自分はこれが最もいい、と思える選択をして行けばいいと思います。

回答No.35

 回答番号:No.16  どんな思想、宗教も、そして社会的主張もその思想、宗教も、そして社会的主張を正しく理解し、その通りになった人ばかりの集団でもないし、個人としてもその受け取り方は千差万別ですから、当然、一方から見てそこには違う、というような人や解釈、受け取り、或いはやり方が出てくることは何を見ても、どこの何の歴史でも起きていることです。  それは避けられないことです。  質問はそういう意味での、真実真理なる云々でもない。  宗教の世界とそのいうところが存立し難いのだということに通じるとも解釈できる。  そうだとすれば、それはもう人間としての意識の成長の問題でしかない。  でありますので、回答番号:No.16の回答となっています。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.34

実朝が出て来たので、西行も出して、宗教のバランスを取って置きます。 なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

  • vincero
  • ベストアンサー率35% (28/80)
回答No.33

 宗教とは人間の究極的な欲望なんです。人間は死んでも死後の世界で生きたいという欲望があり、それが宗教を生み出したのです。  宗教によっては人間が死んだら天国へ行けるというものがあります。またはこの世のどこかに生まれ変わるという輪廻転生もあります。  死後どこにいきたいのかという欲望によって宗教を選択するのが人間です。自分の想像と一致するならその宗教を選べばよいだろうと思います。  ですがどの宗教が本当かと言われれば、信じてみてから死んでみなくては、本当の宗教かどうかはわからないでしょう。既成の宗教はこの世ではどれも本物かどうかはわからないものです。  では本来の人間の宗教心ですがこれはもともと誰にでもあります。もの心がつけば宗教などに入っていなくても、亡くなった方がいれば手を合わせますしお墓も建てます。  亡くなった方にお墓をたてるのは動物同士ではしないのです。人間だからするのです。このことから人間には自然に宗教心があったことがおわかりになると思います。  本当の宗教とは人間同士を大切するものであり、戦争をしないものです。戦争は人間の行いではなく動物である獣の行いであります。 

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1523795.html

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