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霊や宗教に対する信仰が消えていくのは良いこと?
まず質問をする前に、科学的概念が第一のものであると前提します。つまり、幽霊や気功、超能力などといったものがあるにせよないにせよそれは科学的なものとして認めるということです。 要するに、この世のすべてのものごとは科学的なものと前提するということです。 (この前提に対する意見は望みません) さて質問です。 科学の進歩によって、人々は霊や宗教といったものを信じなくなりつつあります。霊があるにしろないにしろ、また死後の世界があるにしろないにせよ、人々の間からそういったものに対する信仰がなくなっていくということはどういうメリットやデメリットがあるのでしょうか? そして結果として、霊や宗教、死後の世界といった信仰が人々の間から完全に消えてしまうのと消えてしまわないのではどちらのほうが人類にとって有益なのでしょうか? こうではないかという意見もぜひ聞かせて下さい。
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#15です。あくまで個人的観測を書きますね。 >日本が50年後経験する本当のデメリットとは何なのでしょうか・・・? 少子化に直面しているであろう約50年後は必ずやってきます。 おおよその予測では今より人口で約3,000万人減少。 しかし老人は今より約1,000万人増加しているので、 それ以外(0才~64才)の人口はおよそ4000万人減少しています。 その結果どのようなことになるか想像できないほうがおかしい(笑) 日本は資源も皆無で主食以外の食糧自給率もゼロに近い。 そのうえに労働人口が減少し国力が下がると国際競争力も失われ、 移民を受け入れるしかなくなると思われる。それもかなりの人数を。 しかしそれさえなかなか決断できないでしょうけどね。 結局、外部から移民による宗教、内部には全体主義という状況になる。 宗教は死を恐れる人間が生きるための叡智です。 人間がどう生きるか、集団でどう生きるかの。 否定するまえにどうして現代でも信じられてるか考えないと。 形而上学で神を語るのも日本人じゃ無理です。 食料も資源もない日本です。 そこから意欲が無くなってきてます。 来年には団塊の世代の一斉退職で技術が失われそうな状況です。 少子化で人材も無くなるでしょう。 となると金も無くなるし神頼みする以外無い(笑) アメリカ人もヨーロッパ人も平等は神の名においてって答えます。 日本人は何て答えます?日本国憲法においてですよね。 その日本国憲法はキリスト教を基に草案されてるんですよ。 地球規模で見れば日本って国も日本人も消えたってどうってことはないけど、 日本人はどう?自分が楽しく生きりゃOK?後のことは関係無い? 後50年頑張って生きたとき後悔はしたくない。 だって悔やんでも85才ですから何もできません。 せめて死んで年金の負担を減らす程度かな(笑) 思ってる事を書きましたが話しが繋がってなくてスイマセン f^_^;
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- urutorapeace
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科学は単に世界共通言語ってだけでしょう。 それとも世界統一規格って言った方がいいかな・・・。 >信仰が無くなるメリットとデメリット 宗教と戦争を結び付ける考え方は小泉首相の靖国参拝を軍国主義と結び付ける中国や韓国と同じです。 今の日本人は宗教に対して意識が低すぎる。 日本の外交が下手くそなのも、相手国の政治、経済、文化を考える上でその相手国の宗教を念頭に置いてないからです。つまり物事に対する宗教的背景を含めて考える訓練が為されていないことによるデメリットと言っていい。 世界の国は科学と宗教のダブルスタンダードが当たり前なんですけど日本人はそれに気付かない(笑)。 西洋文化も背景のキリスト教のことを全く考えずに取り込んできましたしね。 おそらく信仰が無くなる本当のデメリットは50年後の日本が経験することになるでしょうが、それに対してわかってるにもかかわらず何の手も打たない今の日本人って一体何なんでしょうね?
お礼
回答ありがとうございます。 1つの大きなデメリットとしてたいへん参考になりました。 ところで日本が50年後経験する本当のデメリットとは何なのでしょうか・・・? 気になるところです。
大変バランス感覚のあるご質問です。仮にそのような物が全く無くなった場合の デメリットとして 1、国民(集団)の連帯感を作りにくい、連帯感の無い集団は無秩序状態に成りがちで、ほっておけば無政府、内乱の危機さえある。対策としての戦争が起こりやすくなる。 2、個人の心に中心となるものを醸成しにくい、個々の人間に言いようの無い不安感が芽生える。 3、先祖を敬う気持ち、家系の中に占める自分と言うものを見出せない、自分が今存在する理由を理解しにくい。結果神仏を恐れぬ悪行が平然と起こせる。 4、死に対する恐怖、人生の最期までもを自分で受け止めなければならず、これは結構キツイ。 メリットとして 1、現実を直視する事で現実逃避をしなくなり、真剣に人生を考えるようになる。 2、悪意を持った『霊能者、占い師、宗教家など』に騙される事が無くなる。実際神秘体験を看板にした宗教団体は後を絶たず。 3、思考停止が起こりにくい(かな?)。上記の物を信じていると何か分からない事が有ったとき単純に霊、神などに原因を求める。それはそれで心の安らぎをもたらすが、しかし覚醒剤でハッピーになったような物で現実逃避でしかない。 4、進歩しなければ衰退する。人間の本質は昔から少しも変わっていないと言う人が多い。ここら辺で上記の物を完全否定することで次なるステップへ飛躍できる(かも知れない)。新しい道徳、倫理観が必要な時代が来た。 自ら作り上げた科学文明にふさわしい精神構造になる時がいよいよ来たのかも知れない。
お礼
丁寧かつ見事にまとめられたご回答を頂戴しました。ありがとうございます。たいへん勉強になりました。
- siinechan
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メリットもあれば、デメリットもあると思います。私は、人間の作った宗教には神様は宿らないと思います。宇宙の根源の神(偉大なるパワーとして)は信じます。しかし、人間の狭い了見で創る宗教はトラブルの元です。それに宗教をしている人は偏狭な人がとても多く、好意をもてません。「天地自然」や「祖先」を神として崇めることは、自然環境に対しての配慮、心を養うためによいと思います。日本の神道や中国の道教などです。神々しい朝日を見て、思わず手を合わせる素朴な信仰心は大いに結構ですが、宗教はよくないです。宗教は戦争やトラブルのもとなのです。 今の時代に、何千年も前の教義をそのまま信じるなんてナンセンスです。
お礼
回答ありがとうございます。 宗教のデメリットとして参考にさせていただきます。
- de-niro
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宗教感そのものについては否定しませんが、もう少し形を変えて行くべきものではないでしょうか?何千年も前の宗教の開祖に導かれ、お題目を唱える一般大衆と同等に現代人が信仰していいものなのか?と思います。 全くの稚拙で短絡的な個人的な想像ですが、その昔は、宗教=科学であったり、医学であったと思うのです。飢饉、疫病、地震、雷といった事柄を説明できる概念であり、また大衆がそれを受け入れ、自然発生的に広まったと思うのです。ただその概念が未開発だっただけで・・・。 とすれば質問者様の >科学の進歩によって、幽霊や気功、超能力などといったものがあるにせよないにせよそれは科学的なものとして認めるということです。 に結びつかなくもないような気がします。 上記の事柄も現段階の科学では解明できないだけであっていずれ科学もしくは、まったく違った概念で説明出来るのかも知れません。いわば現代科学はその分野が未開発ってことですね。 >科学の進歩によって、・・・・・人々の間からそういったものに対する信仰がなくなっていくということはどういうメリットやデメリットがあるのでしょうか? 信仰がなくなるというのはどうかと思いますが、少なくとも、科学の進歩を無視し盲目的に信仰を続けることをやめ時代背景等を熟慮するような姿勢には大いにメリットを感じます。 人間の生と死、倫理、道徳などの普遍の真理はあるはずですので信仰が人々の間から完全に消えてしまうのは問題でしょう。特定の宗教を妄信的に何の内証もなく信仰するのではなく、死ぬまで真理を探し求めるその個人自身の姿勢は必要だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >特定の宗教を妄信的に何の内証もなく信仰するのではなく、死ぬまで真理を探し求めるその個人自身の姿勢は必要だと思います。 やっぱり適度に信じるのが一番良いということでしょうか・・・。
あなたは「霊や宗教に対する信仰が消えていくのは良いこと?」とたずねます。では、質問します。「良い」とは何でしょうか?あるいは、「メリットやデメリット」といいますが、では、人間にとって、どうなることが「メリット」であり、どうなることが「デメリット」なのでしょうか? 「良い」という、元素はありません。「良い」という、物理現象もありません。「良い」について論じた科学者もいません。 にもかかわらず、人は毎日「良い」ということについて考えます。それこそが「信仰」なのではないでしょか?インターネットまで駆使して「良い」というものについて考えているあなたも、無意識の「信仰者」なのだと思います。 逆に言えば、宗教とか、神概念というのは、決して日常を超えたものではなく、つねに、生活ととともにあるものだと思います。
お礼
そうですね。何が本当に「良い」かという定義は存在すらしないのかもしれません。 一応この質問での私なりの「良い」の定義は、世界中のできる限り多くの人間が幸せを感じられる状態になることとします。 もちろんこれが正しいとか正しくないとかじゃなく、ただ私個人の行動や思考の基準作りの為にはこういった質問は私にとって必要なので。
- Trick--o--
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> 科学の進歩によって、人々は霊や宗教といったものを信じなくなりつつあります。 この前提が違うと思います。 いえ、言葉としては正しいのでしょう。しかしそれは「“宗教”への信仰」が「“科学”への信仰」に変わっただけで、中身は一緒なのです。 ムツカシイ科学の話を「一般人」が理解できる/していると思いますか? 結局は「よくわからないけどすごいもの を 崇め奉っている」に過ぎないんです。 よって、害益は一概には言えないと思います。 「宗教」の持つ害益は「科学」も持ち得るのですから。
お礼
なるほど、新しい見方を得ました。 ありがとうございます。
- north073
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我々の生活は、一神教であれ多神教であれ、いまだにどこかで超越者を意識したものなのではないかと思います。昔の日本の映画では、「神」などという大層な言葉は使わなくとも、「お天道様は見ている」といって、人の目を超える自分の行動全般を見守る超越者を引き合いに出していたものです。 人間は弱いものですから、自分だけで自分を律することはできないので、自分を律するものを超越者として仮想的に自分の外に意識するのだと思います。悪いことをしたら地獄に落ちるとか、うそをついたら閻魔様に舌を抜かれるとか。 最近では、お天道様もご先祖様も見てくれなくなったようで、代わりに監視カメラが物理的に見てくれるようになってしまいました。人間様が一番偉いこともはっきりしてきたので、今までは「神の領域」といわれてきたことにも手を出すようになり、いろいろと右往左往しています。 超越者が信じられていれば、もっと道徳的な社会になっていたかもしれない。 と思いつつも、超越者というのは、実はその社会、あるいは共同体が共通に持っている規範を現す機能も持っています。そこに違う共同体から、違う神様を持っている人がぞろぞろとやってきたときに、どのようなことが起こるのか。お互いに規範を堅持したままなら、やがて何らかの摩擦が起きてしまうでしょう。穏やかな方向では、規範はだんだん緩やかなものになり、徐々に実生活とはかけ離れていくことになるでしょう。様々な背景を持った人々が広範に行きかう世の中では、超越者は必然的に後景に退かざるを得ないのです。(原理主義というのは、自らの規範を堅持したまま摩擦も辞さないという考え方ですね) そんな世の中で、超越者の不在に不安を覚える人々が新しい超越者を欲している、それが今の状態だと思うのです。超越者が存在するためには共同体が存在しなければならない。様々な新興宗教団体が無理な勧誘をするのはとにかく共同体を作り、拡大していくためです。 共通の超越者を持つ共同体の再興を訴えるのか、広範な交流の時代の新しい道徳律を模索するのか、超越者の消滅がよいことかどうかは、この岐路にかかわる選択だと思います。
お礼
ずいぶん専門的な回答をいただきました、ありがとうございます。 >超越者の不在に不安を覚える人々が新しい超越者を欲している、それが今の状態だと思うのです。 もしかしたら私も求めているのかもしれないと思ったりしました。
- kind_joke
- ベストアンサー率21% (63/292)
考え方というのは、一つの事象に対して表からも裏からも言えますよね。 例えば、お年寄りに優しくすることも人によって「良いことだ」「偽善行為だ」「意味がない」など価値観が異なれば何とでもいえます。 このようなことを「個人を尊重する」意味ではその方が良いとも思えますし、人によってはただの不親切・自分勝手とも受けとるでしょう。 しかし国や社会としてみた場合、これでは統率がとれませんし、外交はもとより内政もままならなくなるのは当然ですから(これが現在の日本だと思います。)、"人に親しまれる"宗教やしきたり、風習は大切にするべきだと思います。(これは有益) 宗教は統一された価値観や倫理観を共有するには非常に有用ですが、それが浸透すればするほどそれを利用する輩が現れるため、諸刃の剣なんだという事も大切に教えるものでなくてはならないと考えます。 「お前は何故この教えを信じないのか!」なんて脅しが始まるようなものについては、「人を利用するための宗教」だと考えて間違いないでしょう。(こちらは害悪) 結論としては、法律では「してはいけないこと」しか学べませんが、宗教やそれに変わる考え方というのは「した方が良いこと」も学べ、多くの問題を「当たり前」としてとらえることができます。それによってさらに高度な思考をうながすことができる点で「あったほうが良いもの」だと思います。
お礼
>諸刃の剣なんだという事も大切に教えるものでなくてはならないと考えます。 それはいいアイデアですね。宗教が宗教自体の危険性を説けば行過ぎを回避できそうな気がします。 参考になりました。ありがとうございます。
- mamoru853
- ベストアンサー率14% (1/7)
昔、ドイツでニーチェが、やはり「神」を抹殺しようとしました。 神様を信仰することは、人間にとっては有意義ではない。それは 神様の奴隷になるからです。神様の顔色を見て生きる事は、人間の 本当の自由にはならいという事でした。 ところが、やっと神様から人間の意志が離れ始めたかなと思ったら、 それに変わる心のより所「資本主義」と「共産主義」が大きくなって いきました。ニーチェは落胆しました。神様から離れても、それに変わる ものに人間がしがみついたからです。 神を超越した存在を「超人」とニーチェは呼んでいました。超人は なかなか出てきません。現在、資本主義と共産主義に陰りが見えると、 やはり宗教が人々の心の支えになります。 文化人類学で言うと、宗教的儀礼は文化の構造の中に組み込まれている ので、宗教を取り外す事は出来ないと思います。 なので、宗教や信仰を取り外してしまうと、人間は支えがなくて、まいって しまうと思います。仮に取り外せれば、これに似た「支え」が生まれると 考えるしかないと思います。(ありえないでしょうけど。) ネアンデールタール人も、死んだら埋葬してますから、この文化の取り外し は難しいと思います。
お礼
>仮に取り外せれば、これに似た「支え」が生まれる たしかに! よく考えたらこれは私自身にも言えることではありませんか! おっしゃるとおり、私は神を失って資本主義的な思想が強くなってきていました。
- aburakuni
- ベストアンサー率30% (470/1562)
人間は判らない事があると不安になり、何か説明が着けば安心すると言う様にできています。それが宗教や科学が発展してきた大きな要因となっています。 しかしながら現在最も支持が多い仮説である科学は、何もかも説明できるものではありません。(アインシュタインの様に「大統一理論」を追求する人はいますが・・・) また個別の人にとっての価値観・美意識については、科学はノーコメントです。 過去の日本でも、戦国時代や太平洋戦争の様な死に甲斐が求められる時には、強烈に宗教が求められました。 今のイランやパレスチナでも、同様に宗教が求められています。 宗教のメリットは安心であり、デメリットは不安ですので、メリットが求められない日本は良い国と言う事でしょう。
お礼
なるほど、安心の有無ということですか・・・ 良いヒントになりました。 ありがとうございます。
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お礼
度々ありがとうございます。 質問の主題とは多少ずれますが、これを読んで日本の危機というものを改めて感じました。そして前回の回答にもあったように、日本人はその危機を知りつつも何もしない、あるいはできないんだなと思いました。 ともあれ、デメリットとして参考になりました。