>>たとえば宇宙の起源については、さまざまな観測や実験により研究されていますが、矛盾点も多く、分からないのが今の科学です。
そのとおりです。現代科学の多くは、「とりあえず、こういう推定・仮説で納得しましょうよ。これが正しいとは私も思わないけど・・・・」という状態です。
>>また、なぜ自分だけ病気になるのかとか、科学では説明できない事を見たとか、今の幸せを失いたくないとか、そのあたりが宗教にはまる原因なのかな?
本来の科学は、実際に起こったこと、不思議な現象・事件などを真摯な心、素直な態度で受け止めて、「これはどういう現象なんだろう?どんな因果関係で発生するのだろう?」と調査・研究をするものです。
でも、最近の学者は、「それは気の迷いです」「そんなの信じる人はおかしい」と「科学的態度」をとらないことが多いですね。「知的誠実さ」が無いといえるでしょう。
なお、宗教にはまるというか、信じる人は、宗教が(とりあえず)その人たちが求めていることを与えてくれるからだと思います。
たとえば、
「3.11で、結婚して新居を構えて、幸せなスタートをしたばかりの息子・娘が死んだ。」
「優しくてボランティアに熱心で、美しく、学生時代は常にトップで、頭が良かった最愛の娘。結婚した夫もすばらしい人で幸福だった。でも、先日、薬をやっているドライバの暴走した車に轢かれて死んでしまった。」
こんなとき、亡くなった人の関係者の心を、科学で救うことができるでしょうか?
「人間はなぜ生まれてきて、なぜ死んでゆくのか?」という疑問に答え、人々の迷える心を救うのが宗教なんです。
>>でも、神なんか居たらこの宇宙や人間が居る意味がないように思うよオレは
すでに回答がありますけど、そのように、いくつもの理由が考えられます。
ちなみに、ニュートンは多くの分野で研究成果を発表しています。その業績を見たとき「昔の科学者はいろんな分野で活躍したんだなあ、凄い!」と思ってしまいます。でも、彼の研究は「神が創造されたこの世がどうなっているか、それを私の得意な数学や科学を使って解明し、神の業績を称えたい」というのが研究の動機だったといいます。だから、さまざなま分野の研究をするのは、当然なんですね。
ニュートン以前であれば、科学者は「引力がなぜ発生するか?」という議論をするところですが、近代科学の礎であるニュートンは、「われ仮説を立てず」と宣言しました。これは、ニュートンが
「神の行いについて、人間の持つ理性では理解不能である」
と考え、「引力がなぜ存在するのかということではなく、引力がどのような法則によって機能するのかという説明のみに終始し、それをもたらす原因については仮説を立てる必要はない」
という方法論をとったからです。
ちなみに、ニュートンは、フリーメーソンのグランドマスターでした。また、膨大な錬金術関係の研究資料も残していますけど、「ニュートンの功績を汚すもの」として、後世の人たちは、あまり世間に知られたくないみたいです。
でも、ニュートンの基本的な研究姿勢からすれば、錬金術に没頭することは、神の業績を知る上で重要なテーマであったのは当然だといえるでしょうね。
お礼
なんか、一番的を得た答えですね ありがとうございました。