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輪廻転生 魂と精神

私は昔死後のイメージについて考えたことがあります。 そこでたどりついた答えが輪廻転生です。 そのときは人間は死んだら魂のみが肉体から離れこの輪廻転生をするのだと・・・。 でもある日、魂と精神は一つではないという事にもたどりつきました。 輪廻転生は魂においての意味をします。 なら精神はどうなるんでしょうか。 そもそも、魂の情報と、精神の情報は何が違うのでしょうか? たとえば命といわれてるものが魂だとします。なら精神は人格? 俗に言われてる幽体離脱は魂が肉体を離れた状態ですよね? でも世間的に?幽体離脱した際に人格を持ち合わせてますよね。 そうすると、その魂は人格を持ち合わせてることになります。 なら、精神はなんの情報を持ってますか? 世間的に認知されてるのは、幽体離脱した霊魂は糸みたいな霊糸?で肉体と繋がってますよね? なら肉体と霊魂は霊糸で繋がっているから、肉体にある精神から人格が送り込まれるから? そもそも魂と精神は一つ? 考えれば考えるほどわけわからなくなってきました。 正解を求めてるわけではありません。 こんなのに正解なんてないのだから。 ただ、あなたの持つ輪廻転生について教えていただきたい。 そこにもしかしたら私の求める真理にたどりつけるかなと思い質問させていただきます。 あっ、一回死んでみれば?・・とかそんな意見はいりませんので。

みんなの回答

回答No.11

秘密は脳の機能にあります、人間の脳には”意識”が二つ在るからです。 脳の機能分化に関する化学的なデータです。ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。 もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画で語られている内容が『見性』と言う体験です。自分自身を知れとソクラテスが言っていた内容です。永遠に憧れを持っていたと言う意味は。『憧れをを持たせていた者の存在』があったからです。 右脳の機能は『永遠を理解出来るソフトが入っています。』何故なら『永遠からやって来たからです。』ところが左脳の機能は『言葉を持つようになってから、物事を割り算や、論理や期待する事がその機能になっています。』 詰まり言葉が捉える事は『割り算ができる内容』と言う意味ですので『割り切れる事しか理解出来なくなってしまった。』と言う意味になります。 割り切れる世界は、有限と言う意味になるからです。自我意識は『永遠を理解する機能が備わっていない事を意味します。』 後は動画の中の世界を良くご覧下さい。

回答No.10

肉体は精神≒意=マナスがアートマン上に映し出した三次元ホログラムという意味で、貴方をつつみ込む「幻影」たる三次元世界の一部を構成するものに過ぎません。 また、魂と精神というシニフィアンが何を指しているのかについては、時代・地域・シチュエーションにより異なるので、厳密な定義を行うことなく抽象的にその差を論じても意味はありません。 ただ言えることは、精神≒意=マナスであるならば、精神に実体はないということであり、さらに魂≒精神≒意=マナスという構図で語られているとすれば、ここでいう魂もやはり、実体のないひとつの「現象」でしかありません。 輪廻転生とは、解脱に達していない魂≒精神が、その「業」に囚われ、苦痛に満ち溢れた生死を果てしなく繰り返す「幻影」のことです。

回答No.9

No.3です。 お礼欄 >ならその魂は現世を彷徨っているのでしょうか? 魂は、現在の個有の肉体に宿り、離脱してはまた同一の個体に宿りなおす。 また、その同一の魂が、別の個体に宿りなおしている。物理時間に拘束されずに。 つまり、一つでありながら、同時にまた多時間的に、多数の個体に宿る。 こういうことが可能である。 現在の世界に限らず、過去・未来の個体に、ただ一つの魂が宿ると言えるんです。 見方をかえて言えば、「私の魂とあなたの魂に異なるものはない」 そして、この考えは、次のような考えに整合的である。 「精神は各個人のものとして区別できる。魂は区別できない」 またこの考えは、真理かどうかは別として、 相互尊重社会をきずく上での倫理的要請に答えているように思えます。 >そうなると地球の質量法則において魂とはなんぞや?って思っちゃいました。 現在の段階で、魂を物理的に記述することはできないと思います。 物質と生命の境界をとりはらって、物質にも魂があるという思想を打ち立て、それと並行してなされなければならないでしょう。 ライプニッツのモナド論において、物質も微小表象をもつものとして、すなわち魂をもつものとし、物理学上の統一理論、超弦理論でしたか、を融合するような形になると思います。とてもぼくの力では及びません。 質問欄 >そもそも、魂の情報と、精神の情報は何が違うのでしょうか? 魂には情報はありません。情報を否定する能力など基礎的な論理的能力のみがあるだけだと考えています。 魂は意志、精神は意思・認識・意識の内容といった情報であると区別しています。 そして人格は、魂と精神の相互作用の、それぞれの個体に特有な形式だと思えます。 魂は同一ですから、人格の特徴はほとんど精神の特徴に依存すると思われます。 では、このへんで。お礼ありがとうございました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.8

お礼、ありがとうございました。 >今ふと思ったのですが、科学的に立証された根拠は本当にただしいのかなって・・・。 >まぁ、そんな事をいったらこの世のすべてが間違いになってしまいますよね・・。 私の若い頃は、運動中には水は飲んで行けないのが常識でした。 今は、必ず摂取することが常識となってます。 他にも色々ありますが、科学も進むと立証も覆されるものなど出てきます。 勇気をもって覆して行くことが、科学的だと言えると思う次第です。 >すっごいい感銘を受けました。 >参考にさせていただきますね。 じゃんじゃんどうぞ(^ ^)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

>そもそも、魂の情報と、精神の情報は何が違うのでしょうか? ○同じものですが、外から見たものか、内側のものかの視点の違いで表現が違うだけですね。 精神の境界を外から見ると魂と言っているだけですね。まあ、精神の塊(かたまり)が名のとおり、たましい(魂)といっているのですね。肉体にはこの魂が肉体との不具合いをなくす服を着て入っているのですね。この状態が幽体ですね。幽体離脱とは服を着た魂が肉体から離れる状態ですね。肉体との間は霊糸線でつながっていますね。例えれば、生命ロボットの中に宇宙服をきた人霊(人の精神の塊)が入っているという風景をイメージするといいですね。寝ている間、つまり、生命ロボットが休んでいる間、宇宙服を着て生命ロボットからそとにでられるというのが「ゆめ」と呼ばれる現象なのです。この時も幽体離脱しているのですね。 生きているということは、生命ロボットとしての肉体が必要ですので、肉体と調和する服は脱ぐことはできません。これを脱ぐことは肉体生命の死を意味しますね。宗教的な三途の川を渡るという事象は、実はこの服を脱ぐということを表現しているのですね。科学技術が進歩した現代ではこの方がわかりやすいですね。 幽体を脱ぎ去り霊体となるという意味ですね。霊体は霊魂とも呼ばれますので、体=魂 ですね。霊のほうが「精神」に当たるわけでが、精神のまえにもう一つ入れ物があり、それを取り除くと本当に精神だけになりますね。精神とは思考エネルギーのことですね。 実は、仏教的悟りとは、精神の入れ物を取り外して行く段階のことなんですね。全てを取り除いて存在している精神があなたであり,同時に、みんなであり、仏の一部であるということがわかるんですね。 まあ、いろんな服を着るというのが個性化ということなんですよ。 最後に、転生輪廻とは、服を着て(幽体状態)生命ロボットとしての肉体に入ってこの世で生活するということですね。その意味は、不自由ではあるがいろんな人格に会えるし、いろんな経験が出来、精神が鍛えられるからですね。いろんな時代を経験できて楽しいから本人が望んで生まれてきているのですね。 でも、そんなことみんな忘れて勝手なこといってますけどね。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.6

人は死ぬ時に、わずかに軽くなると言う記録がある。 それがもし、魂と言うエネルギーであるとすれば そのエネルギーに、何らかの情報が乗っかっている可能性はある。 否定から始めるのは科学的ではない。 検証し解明するのが科学だ。 時間とともに分かるでしょう。 科学はまだまだ未熟なのですから。 世に存在する、物質の97%ぐらいは不明でしたっけね。 まだまだパラダイムシフトは、沢山来ますよ。 地動説だけがパラダイムシフトじゃないでしょ。 想像は捏造にも繋がる可能性ありなので、そこはご注意を。 真理は想像からで無く、現象の認識からデータ蓄積の割り出しだと私は思います。

pekahi123
質問者

お礼

今ふと思ったのですが、科学的に立証された根拠は本当にただしいのかなって・・・。 まぁ、そんな事をいったらこの世のすべてが間違いになってしまいますよね・・。 真理は想像からで無く、現象の認識からデータ蓄積の割りだし すっごいい感銘を受けました。 参考にさせていただきますね。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.5

「でもある日、魂と精神は一つではないという事にもたどりつきました」 と書かれていますね。 なぜ、そのような考えにたどり着いたのか、理由が書いてないので理解できません。 同じではないでしょうか?

pekahi123
質問者

お礼

なんだったかな・・・・ だいぶ前のことなんでちょっと忘れちゃいました。 ごめんなさい。

noname#194536
noname#194536
回答No.4

輪廻転生に関して言えば、俺は祖母から次のように聞いた。10歳の頃かなw 「朝起きて夜寝るように、命にも同じ事が言える。次の日の朝にいい状態で目を覚ましたかったら、前の日の晩にしっかり準備しておけばいい。だけど人間だから万事うまくいくとは限らない。それぞれに差がある。それは宿題をしないで朝を迎えるオマエのようにwww 原因があって結果がある。輪廻なんて所詮は原因と結果の延長でしかない。別に生き死にだけではなく、将来よくなりたければ今努力すればいい。死から逆算して考えるのも一つの考え方かもな」 間違っているかどうかというよりも、すごく納得させられた。造語ばかりで持論を展開する愚か者(病人)には無縁な「シンプルイズベスト」である。たぶん、自分の子供にも同じ事を言うだろうなw

pekahi123
質問者

お礼

10歳の子供にすごいことを言う祖母ですね! でもシンプルでわかりやすい。 面白い回答ですね!! ただ、私が求める真理とは違うかな?

回答No.3

こんばんは。pekahi123さん。  輪廻転生って過去から未来に生まれ変わるのが定番でしょ。十数年前、ぼくは輪廻転生における時間の不合理性に疑問を持ちました。    物理的時空に拘束されていれば、過去から未来への時間の矢の向きで構わないが、何故、そこから自由になったはずの魂が、なおその向きを保存しなければならないのか。そこは、延長空間もなければ時間もないはずなんです。時間のない空間で時間の向きが(ご丁寧にその時間間隔まで)決まっているなんて、おかしな話だと思いませんか。過去に肉体を離れた魂が、未来に出現するというのは合理的根拠はなにもないんです。にもかかわらず、未来から過去に転生する場合とか、同時的な転生を、人は考えていない。

pekahi123
質問者

お礼

ならその魂は現世を彷徨っているのでしょうか? そうなると地球の質量法則において魂とはなんぞや?って思っちゃいました。 atomonadosさんの考えを否定してるわけではありません。 私の知識なんて所詮は幼稚なもの、ただ疑問に思ったので書かせていただきました。

回答No.2

物理学において、「時間独立」であると言われ、時間的 連続性は認識体の任意のものに過ぎない。 さらに自我仮説(時間的流れ=記憶=過去=超光速)と 時空仮説(空間的広がり=予測=未来=光速下)の相補 分化として、あらゆる一瞬から過去と未来に対発生して いると言え、その時系列化(プランク定数hの収束=物体 の収縮=宇宙の膨張)における積層のホログラム(量子 =無の射影=相殺)として、存在的宇宙は認識されている のだ。 一瞬毎に生まれ変わっているのに、その上転生などされ たら、ややこしくてかなわない。 歯車として他律的に生かされいる者が、物理(自己存在 の原理)を学びたくない怠惰は認めるが、方便に留めて おいた方が良い(ここで賛同を得ようなどと考えない事だ)。

pekahi123
質問者

お礼

幼稚でごめんなさい。 私は科学の観点においての考え方も好きです。 ただ、私は科学的根拠を元に正解を得ようとしてるわけではないです。 私の輪廻転生に対する考えと、これを読んで書いてくださる方々の考えにたいして、あらゆる方面から私が共感、賛同、感動、納得、等でき私の考える真理に近づけられたらなと思い書いただけです。 だって悪い言い方になりますが、これは結局思想論でしかないじゃないですか? 自分がとりあえず納得できたらそれでいいと思ってます。 科学的理解、分解、推理、実証に入るのは、その思想を確証に近づけるときに学んでみたいと思ってます。