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本当の宗教
本当の宗教ってありますか? 昨今ではさまざまな宗教が「自分の宗教こそが真理を語っている。」 「私たちの宗教だけが幸せになる道を知っている。」 などと言っていますね。 でも、真理を扱っている宗教ってありますかね?僕は宗教は多かれ少なかれ、証明不可能な、こう言っては大げさかもしれませんが荒唐無稽な事を言っているように思います。例えば霊の存在、地獄の責め苦、輪廻転生などです。これらは科学的には立証されていませんが、宗教は公然と教理として教えています。 到底信じ得ないことも、その宗教に入るなら信じなくてはいけない。だから信仰なんでしょうか?僕はサイエントロジストですから科学を信じています。しかし科学では心の平安は得られませんでした。そこで宗教に希望があるのではと思い調べましたが、どの宗教も不確かな事を信じることを要求してきます。 みなさんは、なんらかの宗教に入っていて幸せだと感じていますか?その宗教は荒唐無稽な事は教えていませんか?そもそも完全な宗教を求めようとすること自体が間違いなのでしょうか? 散文的になってしまいましたが、回答いただけるとありがたいです。
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>本当の宗教ってありますか? ↑たくさんあると思います。 例えば中学1年の国語も小学5年の数学も本当であるように、 キリスト教の隣人愛の教えや仏教の精進・慈悲の教え(等々)自体は正しいと思います。 その宗教が全てを語っているわけではなくても、上記のように真理の一面を語っていることはあると思いますし、 そうした宗教が数々あることもおかしくないと思います。 例えば小学3年時に全ての教科を学習し尽くせないから、4年以降も学習は続くように、 また、社会や理科等は内容も変化して行くように、 宗教だって次々と色々な教えが出てくること自体はおかしくないと思います。 また、例えば社会の教師が多数いて切磋琢磨していることもいいことだと思います。 >昨今ではさまざまな宗教が「自分の宗教こそが真理を語っている。」 「私たちの宗教だけが幸せになる道を知っている。」 などと言っていますね。 ↑そう言っている宗教もあれば、上述したような宗教観・社会観を提示している宗教は現実にあります。 例えば、他の大学ではこのような学科を教えているが、自分の所ではこのような学科を教えている、という感じに、客観視もできている宗教だってありますよ。 >でも、真理を扱っている宗教ってありますかね?僕は宗教は多かれ少なかれ、証明不可能な、こう言っては大げさかもしれませんが荒唐無稽な事を言っているように思います。例えば霊の存在、地獄の責め苦、輪廻転生などです。これらは科学的には立証されていませんが、宗教は公然と教理として教えています。 ↑クルックスという実績のある有名な科学者は霊魂の実在証明実験を成功させています。 エジソンは晩年は霊界通信機の開発に没頭しておられ、その研究は次世代者も続けています。 スウェーデンボルグという有名な科学者は、数々の実績を挙げて社会的信用を確固たるものとした後に、幽体離脱して見聞した霊界の様子を著述しています。 主として催眠下で語られる前世の記憶は、今世では本人が知り得ない昔の外国での出来事であったりし、それは少なくとも客観的事実です。 >到底信じ得ないことも、その宗教に入るなら信じなくてはいけない。 ↑そうでもないですよ。 そういう面もあることもあるかもしれませんが、そうでない面もあります。 この部分は消化できるが、他の部分は消化できない、ということはあります。 また、宗教に限らず、組織に入れば、自身の見解と異なる、上位者や多数者の意見にその時点では従う、ということはありうると思います。 トータル的に個人でいるより組織でいる方がよい、という事柄はありますから、そういうこともあるでしょう。 >だから信仰なんでしょうか?僕はサイエントロジストですから科学を信じています。しかし科学では心の平安は得られませんでした。そこで宗教に希望があるのではと思い調べましたが、どの宗教も不確かな事を信じることを要求してきます。 ↑不確かな事を信じることを要求してくることが仮に一部あるとしても、大きくは信頼できるから入信する、ということはあると思います。 冒頭のキリスト教の隣人愛や、仏教の精進・慈悲の教えだって、よいことだと思われます。 >みなさんは、なんらかの宗教に入っていて幸せだと感じていますか?その宗教は荒唐無稽な事は教えていませんか?そもそも完全な宗教を求めようとすること自体が間違いなのでしょうか? ↑自分や社会を害するものであると思われれば、私は入信するつもりはありません。 逆に、自分や社会をよくすると思われるものは、入信してよいと思います。 例えば大学だって、全ての学科を完璧に全部教えている所しか大学ではない、というわけでもありませんよね。 もちろん総合大学的な所もあるでしょうし、専門的な所もあるでしょうし、レベルだって色々あるでしょう。 色々あってもいいではないでしょうか。 進学・留年・退学・休学・転出転入、併学等、選ぶ自由もあるのですから、それもいいことではないでしょうか。
- arg46496
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本当の宗教は、真に力のある結果が出ている出せるものでなくてはありません。ですが実際には不幸になっている宗教ばかり。真の宗教は科学を否定しませんましてや不確かなものを信じさせると云う事自体宗教を否定しています。 正しい学問が科学が人を幸せにするように、間違った学問や化学科学は人を不幸にします。宗教は人の行動の規範であり森羅万象の道理であり科学を否定するものではありません。ですので今現実に結果の出ている宗教が本物と云う事です。本当は公開の場で各宗教間で対決すれば良いのですが自分の嘘を証明する対決はしません。必ず逃げ回ります。逆に真の宗教は対決を望み間違った宗教を排斥しようとします。不幸な人間を作らない為に、誤った思想宗教が不幸の根本原因なんです。貴方も真実を宗教を見つけてください。
こんばんは。 神といひ佛といふも世の中の人のこころのほかのものかは ━源実朝『金槐和歌集』 当時の歌としては何ら流麗ではなく、華美でもありません。 まったくもって地味で目立ちません。 ですが、数百年もの時を超えて、 孤独な武家歌人ならではの素朴さが、逆に、不思議と心を打つようにわたくしは感じるのです。 個人的には、特定の神を崇めているわけではありませんし、このような実朝の心情に共感を覚え、かつ、一般人として科学の恩恵と未来を信じております。 心の拠り所を求めての模索や回り道というものは、人間ならではの崇高な営みです。 質問者様におかれましては、一番ご自身に相応しいと思うに値する信仰と心の平安を是非とも得られますように。
結局、私は無理だってことですね。 それになんで動詞が最初なのかわからないし。 ラテン語の文法なんてわかりません。 Vir est qui adest これも違うだろうし。 もういいです。
やっぱり、わかりませんけど。。。 virは男 quiは関係代名詞 adestは其処にいる Est vir qui adest これを並び替えようにも。。。 Est qui vir adest
連投すいません。 単語の意味もわからなくて。。。 est は動詞で「ある」 quid は「何を」 veritas「真実」 違ったらまた投稿します。 Est quid veritas
自分があまりに馬鹿でどうしようと思ったけど こうでしょうか。 「私の前にある」
Est vir qui adest あなたの前にある
- kigurumi
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どの宗教が真実を述べているのか。 例えばキリスト教の本の中でピラトは真理・真理というイエスに「Quid est veritas」と聞いた。 それに対してイエスは何も答えなかったと書かれている。 「Est vir qui adest」と答えればよかったのに。 これを読んで「なるほど」と思う人は、稀だと思います。 だってラテン語だから。 最初の言葉の意味は「真理とはなんですか?」で、次の言葉の意味は「あなたの前にある」です。 しかも答えの方は、質問の単語を並べ替えただけ。 さらにしかも、キリスト教はイエスを神だとしているので、神が真理であれば、ピラトに「あなたの目の前に存在している」と言っていることになる。 <神(真理)の御前に立っているピラト>となり、物語の面白さを味わえたのに、、、、 初期の頃はイエスは神だって思われていなかったので、作者はそうは想定していなかったので、そう答えさせなかったのか? さて、民俗学とか文化人類学とかいう学問がある。 集団を調査してまとめる学問で、批判を伴わず、客観的に集団を外から見て特徴を捉える・傾向を捉える という学問。 本来は集団の中に現地調査で入って特徴を調べるのが基本だが、フレイザーは本を読み分析したので、正統なやり方ではないと批判されたが、同時に本当に損得伴わず客観的に見ることとなり、結構な業績を残せた。 ちなみにプレイザーに研究成果は<金枝篇>という書物で紹介されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9E%9D%E7%AF%87 で、このやり方でもアプローチは良いと思えるのでやってみると、キリスト教の言い分。 ・イエスの聖誕祭は12月25日。 ・12の使徒とともに旅をした。 ・十字架にかけられ死に3日後に蘇った。 ・また来ると言った。 ・初期キリスト教徒は魚をシンボルとしていた。 さてこれと同じ行動をするものがいる。 このサイトで、真理についての質問があり、良回答をもらっている人の答えは「真理とは太陽である。直接見るには耐え難い、近づくほどに熱くなる。」 まるでイカロスの悲劇のようですが、的を得ている。 そう、上記の<これと同じ行動をするも>とは太陽のこと。 紀元前何前年も前から、語られていた神話の内容のコピーが新約聖書だった。 何故 コピーだと人々は何千年も気づかなかったのか? 教会が隠蔽したからだと思える。 3世紀か4世紀頃だったか忘れましたが焚書命令が出て、自称正統派は自分たちにとって都合の悪い書物は燃やさせたんです。 かつ 図書館を閉鎖して、一般人が真実を知らないようにして、自分たちだけ真実を知っているようにした。 シビリアンコントロールに成功した。 神などいないって知っているのは、教会の幹部。 いないと知っているからこそ あれだけ悪事を限りを尽くせたわけです。 日本は太陽信仰ですが、もう一つの信仰に蛇信仰があります。神道では習合しているけど。 蛇、ウロボロス。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9E%9D%E7%AF%87http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%82%B9 これで輪廻思想ができることとなったようです。 曼荼羅もグルグル回るということを絵にしているわけですが、よく見ると12が基本。 太陽信仰。 太陽がぐるぐる12星座をめぐっていることを意味していると思います。 が、違うんだな。 <地球>が太陽のまわりを公転している。 地球から見て太陽がその軌道を運行しているように見えるだけ。 どうしてそう見えるのか。 地球が傾いているから。 地球が動いていると知らない時代は、太陽が12の星座とともに動いていると思われていた。 イエス物語の場合もその考えが継承されており、イエスは12の使徒とともに旅をしたとなっている。 これにもう一つ加わった「へびつかい座」 13星座。 この太陽に意志があると信者が言うから面白いです。 一般の日本人は「おてんとうさま ありがたやー」程度ですので健全ですが、祈ればお天道様の意志に影響を与え、地球の軌道が変るって考える人もいるってことになる。 現代では地球の方が動いているとわかっているんので、じゃあ じゃあ 祈って地球を軌道を変えられるのか? 無理だって誰でもわかること。 神様ならできる? 太陽ならできる? そうですねぇ 爆風で地球がぶっとばされたら、軌道を逸れるかもしれないですねぇ。 ただし 地球をぶっ飛ばそうとして太陽はやるわけじゃあない。 太陽に意志は無いのだから。 それをどう捉えるのかは人間。 火山の噴火を神に怒りだと捉えた古代の人と同じ考えをする人ってまだいますが。。 「世に光を!」 という信者。 はいはい 念力で太陽の爆発をもっと過激にしたいんですよね。 手っ取り早く スペースシャトル乗っ取って、あなただけ太陽につっこんじゃってください!って思います。 笑 「そうじゃなくて 世の中を幸福にするって意味です」と信者に言われたら、「だったら建物にこもって自慰してないで、建物から出ろ。 いつまで牢獄に立てこもって怖い怖いと泣き叫んでいるんだ」って思います。 ったくニート信者め って。 ところで、英語で宗教はリリジョンっていうのですが、再統合とか帰還とかそういう意味だったと思います。 プラトンだったと思いますが、もともと人間の魂は善で不滅の世界にいたが、有限の肉体を持つったことで悪が入ったが、魂は不滅なので善に帰還しようみたいな考えに発展したんだったような。 で、生きたままそれが可能にならないかって宗教がやりだして、幽体離脱とか、いろいろ空想の世界を作ったわけです。 不死が善で、有限が悪って考え。 古代のエジプトではオシリスの治める国に死後いけたらいいなぁ って考えだったようで、死は受け入れていたように思える。 宗教って生死観の問題な気がします。 例えば、生命のあるものはいつか死ぬということを絶対に認めないと、ものすごく苦しむ。 確かに別れというものは辛いが、自分も誰かを置いて去るものであると認めることができないものは、他者が去ることも認めない。 キリスト教の場合、いつかイエスがまたやってきて死者も復活させると信じているわけですが、実際どれほどの信者がそれを本気にしているか。 推測で感でしかないが、0.000000000001%くらい? それは科学では0として扱う。 実は信者は誰も信じてなどいないと思える。 「天国で再会しましょうね」と死ぬゆく人に言いながら、盛大な祝賀パーティしていないから。 「熱心な信者がついに神に召されて天国に行くことになったぞー」ってお祝いしないじゃないですか。 信じてもいないのに信じているって嘘つきですよね。 「そのそも嘘つきは神様嫌いなんじゃねーのぉ 偽証するなって聖書に書いてあるじゃん。ああ そうだったキリスト教は律法否定なので、神様に逆らうことを信条とするんだった・・・」とはっと気づいたりする。 神を敬うな 殺せ 偽証しろ 奪え・・・・ 10戒律の逆をやってきたというキリスト教の歴史。 よく2000年ももったなぁって不思議でしょうがないです。 が、結局 みんなで一緒になって殺しちゃえば 非難されないってことですね。 イラクの乗っ取り作戦も、信者の後押して殺人・強奪作戦が成功しているし。 アメリカは90%以上は信者なわけですから、みんなで殺して奪えば残りのアメリカ人がとやかく言おうとへっちゃらってことで、強奪殺人がまかりとおったってわけです。 きついですね、 倫理が一切通用しない獣集団を敵にまわすともう暴力には暴力を持って押し返すしか無い。 だって倫理を含めた言葉が一切無効で心など無いのだから、 機械集団からの乗っ取りを回避するには、どうしたらいいかって今後の課題でしょう。 一度は鎖国して日本を守れましたが。 流れでいけば、エジプト、インド方面、パレスチナ地方と太陽信仰が伝わっていったと思えます。 伝承が伝わるうち、地域固有の地元の宗教と習合していったが、基本は太陽信仰ですから、古代より言われていたものは、太陽のことであると理論をもって証明しちゃえばいいわけです。 例えば、、、イエスは水の上を歩いたは、聖書の創世記の冒頭。コロナかな? 目が見えない人を癒したは、分別がつく人にしたってことで、ギリシャ語に無いヘブライ語の慣用句。 十字架にかかったは、その頃、ある地域では12月21日から24日までは太陽は地上すれすれになり、25日に一度登り、十字星とクロスする。つまり太陽が十字架にかかったような状態に地球のある地点からみると観察できたから。 復活祭が春に行われ違う理由は、春分点が違うから。 春分点以降、太陽の日の出の時間がその日以降長くなるから、夜に太陽が勝った日ってことで、復活際がその頃行われる。 このやり方でいけば、恐らく太陽信仰がベースと思える宗教全部の荒唐無稽な話の解読ができるんじゃないかと。 宗教をやっている人は話を聞くと、すごい不幸感を抱えていることがわかる。 人間不信で自分不信。 確かに子供を無くした、失業した、家族が大嫌い、友達がいない、などなど、根本原因は不幸感にさいなまれていること。 現実を受容できない。割り切れないでいるわけです。 その割り切れなさ 受容できない ってのを、宗教で補おうとしていると思える。 だけど、他に原因を探しているので、どうして割り切れない自分なのか考えない。。 宗教にすがったために、自分を見つめることを逸しているわけです。 自分をいつまでも見つめることを避けるので、不幸の源を知ることは無い。 不幸感は他からやってくるのではなく、自分が生み出していると気づけない。 運良く 心の持ちよう次第だとしても自分がマイナス思考が本質であれば、何を考えてもマイナス思考になってしまうから、自分を見つめても意味が無いと考え、見つめることを諦めてしまう。 開き直って「いっつも暗い話しかしない俺」とか「ワザと暗い身の上話をして他人に注目されたがる自己顕示欲の強い俺。」「情けないのが俺の本質であるから情けない人生になるしかないんだ。他の俺は俺じゃない 情けない俺が俺らしい俺なんだ」って認めるだけでも、ちっとは違うと思うんですよね。 自分が嫌いだから、宗教をしているとも思える。 宗教に美化した自分を写そうとしていると思える。 醜い自分の姿を鏡に映せないから宗教に走り、自分を美化して虚像を自分だと思いたいのではないか と。 私が好感持てたカトリック信者。 「男とはいろんな体位で毎日セックス三昧の日々と送っています。 老化予防のクリーム大量消費し、外見と寝技で楽しく人生を謳歌しています、聖書は自慰の道具です」って感じの人。 他の人に言わせるとその人シスターらしい。 シスターと言われる人はローマ・カトリックだけじゃないかな? シスターって他のカトリック以外でも呼ばれることあるのかな? まあ とにかく初めて女性の一般信者以外の人と会話することができてうきうきしました。笑 しかも 超エロくて なにもそこまで赤裸々にって性生活を語ってくれなくてもってこっちが赤面。 とても性生活に満足していた。 まあ、尼僧院ってもともと教皇が建てた聖職者の性処理の建物で、つまり聖職者専用のソープランドですか、そこでいろんな聖職者の性の相手をしてきたという実績が彼女に自信をつけさせているのだと思います。 慰安婦ってことですね。 でも彼女の場合 ただの慰安婦じゃなくて高級慰安婦だったようです。 何故なら聖職者のベッドの相手するだけなら、聖書に詳しくなくてもいいわけですが、彼女の場合聖書に精通していた。 恐らく上位クラスの聖職者のベッドのお供をしていたのでしょう。 ああ、カトリックではセックスの体位が限定されおり、膣以外はダメってなっていますが、彼女はそれ以外の部分もやらせていたって語っていたので、カトリックじゃないですね。 そんなエロシスターと聖書バトルしたが、いやいや 本職相手に苦戦しました。笑 でも、すごく人間的で好きなタイプですね。 宗教と性って同じだと確認できたな あの時。 従って宗教にはまっている人ほどエロ度がすごいって私は認識しています。 性による快楽って結局 脳が生み出す妄想じゃないですか。 だから聖職者が性に貪欲になるのも必然。 この方程式でいけば、宗教信者は一般の人よりエロ度がすごいってことになる。 実際、カトリックの聖職者の男児に対する性的虐待ってものすごい数。 何故男児の体に性欲を感じるのかはわかりませんが、聖職者の脳内妄想では、とんでもない世界が繰り広げられているんでしょうね。 脳内妄想を実体化するわけですが、宗教信者ってそういうところがあり、言葉を超越した何かを表現しているんでしょうね。 脳の中の幽霊って本を読んだことあるでしょうか。 信じていない信者かどうかわかる測定器のくだり、おもしろかったです。 この機械を宗教信者の頭に設置して儀式に参加してもらうと、セックスの絶頂と同じ数値が出たら、「これだ」ってわかりやすいと思います。 私の感では恐らく、信者が儀式をやっている最中の脳ははセックスをやっているときと同じものになると思います。 これが信者が宗教を好む理由ではないか と。 名づけてエロ度測定器。笑 ちなみに脳の中の幽霊で、神降臨体験をした人はてんかんを持っていて、てんかんにより過度の電流が脳に流れててんかんが起り、それを神降臨だと認識したわけですが、そのときの体験はエクスタシーが100回分が一度に来たような体験だと述べていた。 ということからも、やっぱり脳内麻薬によるものですね、信仰心って。 それが脳が作り出した妄想だと本人は認識しておらず現実に起ったと認識している。 現実ありえないことをあるって言うのは、妄想を現実だと思ったからだと思う。 その体験をしてしまえば、2匹の魚で沢山の人を養えるっ言われても「んな馬鹿な」って疑わない。 「あのぉ 魚座のマークご存知でしょうか~ 2匹の魚ですぅ、 キリスト教徒は最初魚をシンボルとしていましたが、あれは地球の地軸が魚座の方角を向いたからです。それが2千年。牡羊座にかわって新しい魚座の時代が沢山をこれから養うってことなわけで、、、実際2匹の魚で沢山の人のおなかがたまったってわけじゃあありませーーーん。物語は比喩が多用されています。 比喩だと理解せずに読むと超常現象物語になっちゃいますぅ」っていつか言う機会があったらと思っていました。 荒唐無稽な物語として語る人もいますが、分析するとなんてこたーない 古代の人の観察結果が物語になっただけのことなんですね。
宗教:入っている 荒唐無稽な事:たぶん教えている。 例:先祖が苦しんでいるから今の自分も苦しい。 そんなこと知ったこっちゃない。。。 だからやってない。 本当の宗教は自分の中にしか存在しない。 自分が宗教を意識しだしたら、なにに入っていようと、 自分独自の宗教観が生まれている。 正しいのは自分自身。 書き換えてみるとよくわかる。 「自分の宗教こそが真理を語っている。」→「自分こそが自分の真理を語っている。」 「私たちの宗教だけが幸せになる道を知っている。」→「私だけが私が幸せになる道を知っている。」 自分しか自分が幸せになる方法を知らない。 だから人間にとっては自分が神様。 >例えば霊の存在、地獄の責め苦、輪廻転生などです。 :霊の存在:過去にその人がいたという存在の認識 地獄の責め苦:存在しないがこれが存在した方がより、良心の呵責が存在しやすい。 輪廻転生:人は骨になり、土になり別の物質に生まれ変わるではありませんか。 もしかしたら、あなたが今日口にした食べ物はアインシュタインの中に存在した原子かもしれません。