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加藤楸邨 俳句鑑賞
加藤楸邨のうたである 隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな 大まかな解釈の仕方つまり、鑑賞を教えていただければ幸いです。
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>加藤楸邨のうたである 隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな 大まかな解釈の仕方つまり、鑑賞を教えていただければ幸いです。 俳句ですからまずは季節感から。 季題(季語)=木の芽 季節=春 次に大切と思われるのが切れ字です。句切れの場所ですし、感動の中心点です。 切れ字=(1)「や」 (2)「かな」 区切れ=説が二つあります。一つ目は「いま」で切れ、初句切れとするものです。もう一つは「かな」で切れ、実質的には「句切れなし」とするものです。どちらにしても切れ字の「や」はここでは軽く切れているだけで、句切れではないとされています。 感動点は二つ=(1)隠岐 (2)木の芽をかこむ怒涛 感動の内容(対比)= (1)隠岐=日本海の孤島で四方を荒波に囲まれた厳しい風土。後鳥羽上皇等流罪の地としての厳しいイメ-ジも。 (2)木の芽をかこむ怒涛=厳しい冬も過ぎ、全島一斉に芽吹きだした木の芽に襲い掛かるように四方から打ち寄せ、今にも島を飲み込もうかという日本海の荒々しい怒涛の競い合いの中にみる生の躍動感。 鑑賞=俳句には珍しく対比構造を持った作品です。隠岐の厳しい風土と、木の芽をかこむ怒涛の生の躍動感の対比。一斉に芽吹く木の芽と、四方から襲い掛かる怒涛の競い合い。そしてそれらの生の躍動している季節にめぐり合わせたことに対する作者の感動。(「いま」として、今その季節にいるのだという気持ちを表していることによります。) 長くなってしまいましたが、参考まで。
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- tk1113
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ご存じかもしれませんが加藤楸邨は「人間探求派」の俳句作家です。 他の作品でも自然や素材を通して人間の生き方、生き様を見つめている目をもっています。 本来、俳句も短歌も詠まれている素材のみを考え、味わえば間違いではありませんが、彼の場合素材の向こう側、作品の奥に命や生き様を見据えていると考えて鑑賞すると、作品がより深く意味をもってきます。 この作品の場合、怒涛という荒々しい、厳しいものと芽吹きという新しい命を対比させています。 つらくきびしい大自然の中でも、木々は新たな命の準備をしているという深い意味を奥に秘めています。
お礼
簡潔にまとめてくださり分かりやすかったです! ありがとうございました!!
隠岐の島には、島全体を呑み込もうとするような大波が打ち寄せています。そんな中にも、木の芽が元気に出てきました。 大自然の圧倒的な荒々しさと萌え出た新芽の対照の妙。
お礼
ありがとうございました!
お礼
本当に細かく説明していただきありがとうございました!!