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加藤楸邨 俳句鑑賞
鰯雲人に告ぐべきことならず この俳句の意味など 鑑賞を教えてください。
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- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
詠み手の視線を見てみましょう。 彼は上を向いて広い空を仰ぎます。 すると鰯雲が見えるのですね。 しかし、空を仰ぐまで彼の視線は、うつむくように自分の心の内を向いていました。 悲しいことか、切ないことか、悔しいことか、守るべき秘密か、たわいもないことか、心の内はいずれにしても彼だけが知っているのです。 人に告ぐべきことにあらず。 言葉に出し誰かに聞かせてどうなるものでもなく、自分一人でこの気持ちを抱えてこらえるのだ、という心の殻を堅くしたような決意です。 空に茫洋と広がるのびやかな、よわよわしいという字を持つ鰯雲と、殻のように閉ざされた彼の堅固な意思の対比が、あざやかなのです。
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
万葉集巻13の長歌「なみくもの うつくしづまと かたらわず わかれしくれば(浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者)…」(3276)が連想されます。 秋の夕べの空一面に被い渡されたうろこ状の雲、いかにも清(さや)ぐ波のように愛(うつく)しいという形容がそれであり、それにつけても千々に乱れたこの心そのため息を、どうしたのだと道来る人に問われたとても、「こたえやる たづきをしらで(答遣 田付乎不知)」、ただ夕日色に馴染みかかる空を仰いでいるばかり、かと。 戦争に騒然とした当時の世相、そして「都塵」での孤立と苦渋の日々は、その「ひとりごころ」のほどはつのるばかり。 「蟇誰かものいへ声限り」(「颱風眼 寒雷以後」)
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#1さんおっしゃるように、雲ならなんでもいいというわけでもなく、やはり鰯雲でなくてはこの句は成立しないように思います。 鰯雲のもたらす心象風景とでも言いますか、鰯雲の形状によって喚起される無意識の感情が作用してくるからでしょう。 鰯雲は ほつほつ と青空に浮かんでいます。 入道雲のように雄大でもなければ大らかでもない。 間隙に覗く青い空間に、ともすると果敢ささえ漂わせているようでもある。 しかし、小さくまとまったそれぞれの雲の塊からは、小なりと言えども自己の最低線だけはきっちり維持しようという確固たる信念のようなものさえ感じられる。 お互いにくっついてしまえばすっきりするだろうに、自らを ほつほつ と青空に点在させつつも、きちんと一定の節度を保って浮かんでいる。 わたしにしても、[この事]に関しては、全部ぶちまけてすっきりしたい感情に流されそうになることもあるが、やはりそうすべきではないことなのだろうなあ・・・。 理屈っぽくなりましたが、また、独断的・独善的ですが、所詮鑑賞とはそういったものだろうということでご容赦願います。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
おお、この句は! 高校生のころ好きだった(今もですが)一句ではないですか。 いやあ、あの頃はあの頃なりに、いろいろと人に言えない事も抱えてたもんですよ。まあ若かったから、孤独を気取ったりもしてね。 そんな、高校からの帰り道、空を見上げると---そう、悩める若者は空を見上げるものです---空一面のいわし雲。ああ、あの句はこれかと、すとんと腑に落ちましたね。 思い出話は休題、 俳句って、このパターンが多いです。言いたいことと、それに全然関係ないけどなんか象徴してるような、お似合いの別の物を並べて置く、というのが。二物配置、とか言うんだっけ? だから、句の意味としては、鰯雲はたまたま出ていただけで、必然性はないんでしょう。ただ、たまたま入道雲だったりしてもダメだったでしょうね。憂える季節は秋でないと。 意味や鑑賞はともかく、私にとってのこの句のように、ずっと好きでいられる作品に出会えるといいよ。ちょっとだけ寄りかかれる場所みたいなのができるから。 ついでにもう一つ「陽炎や 目につきまとふ笑ひ顔」ってのもあったなあ。こちらは楸邨じゃないけど。 答えになってないね、ごめんよ。
お礼
回答ありがとうございます!! 私が全く感じることができなかった 事を教えていただくことができ 嬉しいです(^O^)/ ありがとうございます!!
お礼
とても詳しく回答してくださり ありがとうございます!! 鰯雲がこの句で表していることが 理解できました!!