- ベストアンサー
日本史
映画「七人の侍」の舞台として、戦国時代の村が登場する。当初、野武士の襲撃に対して無抵抗なその村の姿は、歴史研究の視点からすると、不自然だと言うののです。なぜ不自然なのか、説明してください。その際、兵農分離という語を使用してください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
村は惣という自衛組織で運営されています 村を守るための自衛等の 武器類は各種備えているものだからです また,搾取される側は搾取する側の保護が約束されているものですから 訴え出て善処してもらえるものです 百姓達がこれといった武器もなく 行きずりの武士達に頼むなんてこと どこの馬の骨かわからない者に かえって危なくて この時代の常識として考えません もっと逞しいものだからです 落ち武者狩りに村村示しあわせて遠くまで出かけますし 自国が他国に侵犯されるときは 一緒に城に篭って戦うときも多々あります 兵農分離は各地の大名が常々考えていたことです {信長の直属小姓馬廻り衆の親衛隊(最盛期2000騎 それを世話する徒歩の者を含めると8000人)なんかは武家や百姓の2,3男から相撲取り博打打までを鍛えあげた者達です それに拠点をつぎつぎ移して土地(故郷から)引き離しています} 秀吉の刀狩りまでは 兵農分離の比重は 戦力の補充と軍編成上という意味合いが強いものです ですから 秀吉による検地刀狩りがイコール兵農分離なんです 搾取されるものと搾取するものとの間の中間搾取(国人地侍等) を無くすことついでに百姓達から武器類をとりあげる その目的なんで (七人の侍)は 無政府状態の小さな村を舞台として 社会の底辺でまじめに働く者たちのその無抵抗を際立たせ 命も惜しまぬ 人の持つ無償の行為発揚を描いています 弱きを助け悪しきを倒す みんなわかっていますから 歴史引っ張り出して おかしいとはおもはないでしょう
その他の回答 (3)
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
簡単に言えば 野武士=村民 戦国時代の見直しとして、大名権力は国人層のお互いの戦いを仲裁するために(=なので、分国法ってのは、ケンカの仲裁方法の話ばかり)作られて、んで、国人層ってのは、村同志のけんかを仲裁するために成長した。ってなコトを言われております。
- don9don9
- ベストアンサー率47% (299/624)
何かの課題ですか? ここは課題の丸投げは禁止なので、ヒントだけ。 兵農分離とは、平たく言えば 武士以外は武器を持つな、武装するな、ということです。 で、これが完全に行われたのは戦国時代よりも後です。 (安土桃山時代~江戸時代) ということは、戦国時代の村人達は…?
- cobamax
- ベストアンサー率41% (157/381)
どうして「映画」と「歴史上の史実」を一緒にするのですか? 映画という芸術は脚本家 橋本忍が「本朝武芸小伝」に「ヒント」をえてだれにでも「面白く」わかりやすく作った「脚本」であり さらに映画監督が「歴史とは関係なく」この「脚本」をさらに 「盛り上げ」大衆がだれでも映画館にお金を払って足を運んでくれるよう「飛躍的に脚色」した「映画興行」なのです、黒澤は「脚本」「監督脚色」「興行」に優れた天才で「歴史の史実」や「歴史研究」とは別の世界の「映像芸術」の天才です (参考サイト) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BE%8D