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上杉謙信の義とは?信長の兵農分離についても知りたい
- 上杉謙信が義を掲げた理由やその義を貫いたかについて、質問者は疑問を持っています。
- 甲州兵や三河武士が強い理由や、尾張兵や近畿兵が弱い理由についても疑問を抱いています。
- また、信長の兵農分離の制度や、三好長慶が天下人と言われる存在だったかについても知りたいとしています。
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>利の為に身内にすら裏切り裏切られる戦国の世で義を掲げる理由が分かりません 謙信公が戦さマニアの変態さんでしたからね。なんだろう、「三度の飯より野球が好き」みたいな感じで「三度の飯より戦さが好き」だったんですよ。でやっぱり「大義名分」というのが必要じゃないですか。もちろんそんな大義名分というか個人の趣味みたいなものに付き合わされる越後の皆さんはたまったものじゃないのでしばしば反乱を起こすのですが、なにしろ謙信公ときたら戦国無双もいいところで反乱を起こしても必ず負けちゃう・笑。だから越後の皆さんは泣く泣く謙信公に付き合わされるか、反乱を企てて鎮圧されるかのどちらかだったのです。 >上杉謙信は完全に義を貫きましたか? 謙信公にしか分からない義ですけれども。ま、なにしろ自称「毘沙門天の化身」ですから。 >甲州兵、三河武士は強く、尾張兵及び近畿兵は弱い、みたいな話を聞いたのですが、それは何故なのでしょうか? 甲州兵や三河兵はいってみれば正社員みたいなものでした。一方の織田軍の兵士はフリーター集団です。正社員とフリーターでは正社員のほうが能力が上でしょ、一般的に。 >信長は兵農分離を行い、いわゆる武装農民ではなく、戦争のスペシャリストのような、制度を、作ったと聞きます。それなら四六時中訓練してれば強くなるものではないでしょうか? 今の軍隊のような訓練をしたわけではありません。当時は足軽のような兵隊は日本でもヨーロッパでも「真面目に農民ができないゴクツブシがやること」だったんです。だから命をかけて戦う気持ちなんてさらさらありません。お金で雇われているだけだから、田舎の武士みたいに卑怯な負け方でもしたら地元でネチネチいわれることもない。 だからまず集団戦法にしました。「みんなと一緒なら怖くないよ」です。ついでにいうと、真ん中のやつを逃げられなくする効果もあります。そして殺される恐怖を緩和するために長い槍を持たせたり、銃を持たせたのです。敵が遠ければ遠いほどやられる心配は少ないじゃないですか。 彼らはお金で雇われているだけだから、こりゃ負けそうだとなると逃げちゃうし、苦戦しても頑張ろうって気持ちもありません。フリーターはフリーターなのです。 >三好長慶は天下人と言うに等しい存在だったのでしょうか? 一時は畿内を幅広く影響下に起きましたが、「持ち株会社三好ホールディングスの会長」くらいの立場です。しかもそれぞれの子会社は独立意識が強く、いうことを聞かないこともしばしばでした。 強制捜査を受ける直前のライブドアってグループ全体としてはかなり大きくなっていたけれど、急速に大きくなったせいで人材の育成が追い付かず、若い幹部社員がホリエモンのいうことを聞かなくなって好き勝手にやるようになっていましたよね。そのおかげである意味ホリエモンは社会的に助かったともいえますけれど、それに近いような感じですね。 だから天下人とはいえないでしょうね。
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- あずき なな(@azuki-7)
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謙信は元々寺に預けられた僧侶で家督を継ぐ身にはありませんでした しかし兄・晴景の無能さによって越後で内乱が頻発し 自分たちのために戦う連中を見て嫌気が差したようです だからこそ義のために戦おうと決めたようですね まぁ戦国の武将では最も義を貫いたかもしれませんね 私利私欲の為に戦った事はあません(越後統一の為の戦いは仕方ありませんが) 越後意外に領土を拡張する野心もなかったし 手に入れた北信も元の領主だった村上義清に返してます(そもそも川中島の戦いは村上のために戦ったわけですし) 上野を追われた関東管領 上杉憲政にも「必ず関東を平定し管領様にお戻し致す」と約束しています(結局その約束は果たせませんでしたが) 信長が兵農分離をおこなったのは その通り尾張の兵が弱かったからです 尾張の兵が弱いと言われたのは信長が兵農分離をする以前の事です
- 15261526
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>上杉謙信が義を掲げたのは、なぜだと思いますか? 独善的な価値観を行動原理にしている為政者は、大概、正義とか義などの抽象的かつ身勝手な理屈を大義名分にします。 彼はその典型例でしょう >利の為に身内にすら裏切り裏切られる戦国の世で義を掲げる理由が分かりません。何か裏があるのでしょうか…? 上記した通り 貴方が理解する「義」なんてのは、貴方の独善であって、他人の義と同じではありませんよ >あと、上杉謙信は完全に義を貫きましたか? 彼独自の義があって、失敗しても貫いたつもりなのでは? 当人しか知るよしもない話です >まだ気になるのがもう二点ありまして…。 甲州兵、三河武士は強く、尾張兵及び近畿兵は弱い、みたいな話を聞いたのですが、それは何故なのでしょうか? 司馬遼太郎あたりが民俗学的に考察した話で評価基準にしても意味不明 主観的な評価なので理由などは荒唐無稽だと思うが 兵士の強弱を評定するにしても、その環境に差異があるのだから、評価するのは困難 異種格闘技戦の方がまだ比較する手法がある >信長は兵農分離を行い、いわゆる武装農民ではなく、戦争のスペシャリストのような、制度を、作ったと聞きます。 デマです。伝統的に存在する戦時傭兵の領域を出ていません。 >それなら四六時中訓練してれば強くなるものではないでしょうか? わかりかねます >また、三好長慶は天下人と言うに等しい存在だったのでしょうか? 天下人なんて概念は当時ありませんので そう評価する人の世界観次第でしょう。機内三好家領域しか知りえない人間にとっては、三好家は天下人たりえるでしょうからね