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兵農分離以前のちょんまげ

髷の形(位置)などで武士、町民、農民の区別を始める前、特に兵農分離が行われる前の戦国時代前期までについて質問です。 1・下級武士(足軽クラス)で元々武士の髷と農民から徴兵された人の髷の形で区別はあったのでしょうか。 2・当時も町民と農民の髷の形は同じだったのでしょうか? 3・月代をしていない人も時代劇には登場しますが、戦国時代では普通のことだったのでしょうか?また剃らない場合、理由は何だったのでしょうか。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.1

男子の髪型のHPがありましたのでコピ-しました。 参考までに。

参考URL:
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html
hirarno36
質問者

お礼

3については銀杏頭とのことですね。浪人ですか。大河ドラマではかなり高い位の武士にも使われていましたが間違いなのでしょうか。 月代については何かで聞いた「合戦で頭に血がのぼるのを防ぐため」との説も載っていました。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • mouryou
  • ベストアンサー率27% (229/826)
回答No.2

 司馬遼太郎氏の花神には身分統制の厳しいところでは月代を剃ることを許されなかったみたいな記述がありました。月代はもともと兜をかぶったときにむれるため剃ったそうです。月代は戦場に出る準備でもあるわけです。そのため主持ちでない浪人は月代を剃る必要がありません。また、それ以外の人も本来は月代を剃る必要はなかったのですが、後にはみんな真似して月代をそることが流行したようです。

hirarno36
質問者

お礼

ある程度の身分でないと月代は剃れないとのことですね。やはり浪人は月代を剃らなくてもよいとのことも分かりました。 回答ありがとうございました。

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