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キリスト教の慣用句
外国語の本を読んでいたら「すべての者は自分が作ったものによって与えられる」というような意味の文がありました。おそらくキリストの言葉と思われます。日本語では通常どのような文章で表現されますか?
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★ (No.1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「その人がどう見られているかを知るには、福音書のキリストの 言葉通りだ。<それぞれの人は自分が作ったものによって与えられる>。善人は来世でも幸福であり、悪人は来世でそのつぐないを せねばならない」という話です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これでしたら 次の聖書の文句も 考慮に入れるとよいでしょう。 ▲ (コリント前書4:7) ~~~~~~~~~~~~~ あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。 もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 解釈の幅は 少々はあるかと思いますが それほど 問題にならないはづです。 《もらっていない者のように誇る》かのごとく 何ごとも《自分が作る》という考えで行動することを戒めているのではないでしょうか。 《善人・悪人・現世・来世》は 表現のあやです。取り立てて こだわることもないと考えます でも 実際には――それは 自然界と人間の能力のことだと思われますが―― もらったものばかりだと言っても 誰からもらったのか分からないわけですから 世の中のことは おのおの《自分が作ったものごと》であるとも言えます。善因善果・悪因悪果というような因果応報の考えは 煮詰めた議論としては 気休めであり したがって それをも超えて 世界を認識するよう 促しているのではないでしょうか。
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No.3です。 残念ながら 次のようなくだりを見出すのみです。 ▲ (マタイ福音7:1~2) ~~~~~~~~~~~~ 7:1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。 7:2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お礼
お手数をおかけしました。 詳しいお話も参考になりました。 ありがとうございます。
- kigurumi
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No.1です。 >その人がどう見られているかを知るには、福音書のキリストの 言葉通りだ。<それぞれの人は自分が作ったものによって与えられる >。善人は来世でも幸福であり、悪人は来世でそのつぐないを せねばならない」という話です。 ああ、多分それは、、 イエス作家はいろいろたとえ話をして、プラトンやアリストテレスの思想である義人の推奨を促していると思えるんですね。 良いことをしたら死んだあと、良い報いを受け、悪いことをしたら、死んだ後、悪い報いを受けるという内容で思い出すのが、<金持ちとラザロ>の例え話。 http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/m524.html 天の国が地上の降りてくるってのは、祈っていれば下りてくるとイエス作家は言っているのではなくて、他者の困窮をみて助け合いをすれば、地上が楽園になるってこと。 死後、地獄か天国に行くってイエス作家は言っているのではなく、神の国を地上の実現しましょうって言っているわけです。 ですので、<善人は来世でも幸福であり、悪人は来世でそのつぐないをせねばならない>は正しくない理解ですね。 金持ちとラザロの話の部分を、カトリックは<煉獄>だと考えたわけですが、あくまで例え話。 例えば、現在他者を助け、共に生きる世界を構築しようとしたら、来世 つまり 未来は、障害はあっても、他人が助けてくれ共に生きれる世界になるわけです。 現在 他者の困窮を省みないで、自分の利益だけを希求した場合、来世 つまり未来の私たちの世界は地獄になるわけです。 だから 私 じゃなくて 我々 が主人公。 我々の社会を来世 つまり 未来を天国にしたいのか、地獄にしたいのか どっちなのか ってことです。 他者を省みたグループは、たとえ不幸にも障害を持ってしまっても、他の人がその人を背負って歩くので、かつては障害で不自由な生活だったが、他者が助けてくれるようになれば、不自由は軽減されるわけです。 この助け合いの世界が天国で、天の国が地上の降りてくるようにと聖書で表現されている。 死後行く世界じゃあないんですね。 で、プラトンだったと思いますが、義人ってどうやってわかるのかと考えた。 例えばいいことをしたら「あの人はいい人だから」と利益をもたらしてくれたりする。 でも、その人が本当にいい人なのか、利益目的で親切にしているだけで、本当は自分の利益にために、演技しているだけの自己中なのか、わからないですよね。 どうやったら 演技じゃなくて、本当にその人はただ、本性通りにことをやっていて、その本性がいい人だから人に親切なのか わからない。 じゃあ その人から全ての徳を取ってみる。 その人から評判を全て取り去り、やってもいないことをやったとして、鞭打ち、十字架に貼り付けにして、槍で刺しても、それでも最後まで、他者に寛容であれば、その人は本質からそうしていたんだとわかる って考えたんです。 その思想が何百年か後に、イエス作家に影響を与え、新約聖書ができたってわけですね。
お礼
たいへん詳しくありがとうございました。 今、読んでいる本を理解するにも参考になります。
- kigurumi
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>すべての者は自分が作ったものによって与えられる 恐らく<すべてのものは、あなたを創った神によって、与えられる>ではないかと。 聖書からみの小説を読むと、繰り返し出てくる言葉。 <あなたが必要なものすべて、神があなたに備えてくださいます> <だから、明日どうなるだろう 将来どうなるだろうと 今から将来のことの思い煩うな> <その時が来れば、神はあなたが試練を乗り越えるべく、必要なものを備えてくださいます。> こんな感じの話を、小説でよく語っているのを見かけました。 で、実際聖書のどこに出てくるか。 いくつかあると思うのですが、今回見つけたのはマタイの6章。 http://church.ne.jp/nsbc/html/bible.mat.htm 6章33節かな? パウロは第二コリントで似たようなことを言っているようです。 だたし、パウロは聖職者として説教する立場から、他の教会のリーダーに諭していますね。
お礼
たいへん詳しく、ありがとうございました。 ですが、<あなたを創った神によって与えられる>とすると文脈に合わないのです。 もう少し詳しく前後の文脈を言いますと、 「その人がどう見られているかを知るには、福音書のキリストの 言葉通りだ。<それぞれの人は自分が作ったものによって与えられる>。善人は来世でも幸福であり、悪人は来世でそのつぐないを せねばならない」という話です。 いかがでしょうか…。
お礼
ありがとうございます。 実は、翻訳をしている文章の 中に「すべての者は自分が作ったものに よって与えられる」に相当した文が出てきたのです。 この文言がよく知られたものなのか 知りたいのですが、ご存知でしょうか。