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慣用句をよく間違えます
例えば、先ほどもLINEで「なんだかんだいってたくさんお世話になった」という文章を相手に送った後で、なんとなく違和感を覚え検索したところ、なんだかんだいって=つまり、結局という意味らしく、「なんだかんだお世話になった」が正しい表現のようでした。 相手にこちらのだいたいの言いたいことは通じると思うのですが、日本語の使い方が間違っている自分が許せません。 使い慣れていない言葉を無理に使おうとして、このような間違いを犯してしまうのだとおもうのですが、どうしたらいいでしょうか?
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11203/34801)
「なんだかんだお世話になった」というのも、なんだか違和感を感じますけどね。少なくとも美しい日本語ではないですね。 「なんだかんだ」というのは、ニュアンスとしては「ごちゃごちゃした」というものです。「なんだかんだあったけれど、なんとかなった」というのが「なんだかんだ」の使い方だと思います。 「あなたには様々な出来事でお世話になりました。感謝しています」という意味を伝えたいなら、「いろいろとお世話になりました」というのが正しいと思います。「なんだかんだ」だと、表現がくだけすぎていて「ありがとうございました」ではなく「どもっす」くらいの感覚ですね。 言葉の使い方がどうにも綺麗にならないというのであれば、文学、特に純文学と呼ばれるものを読んで彼らの言葉の表現を学ぶのが一番いいと思いますね。 芥川龍之介とか太宰治とか三島由紀夫とか、そういう人たちの文章を読めばいいのではないでしょうか。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
検索で見つけた内容にも、正確に言えば誤りが有ります。 検索結果が全て正しいとするかのような認識こそ大きな誤りであり、 そのような思い込みこそ、「許せない」誤りを生み出す根源となりやすいものです。 本当に「許せない」のなら、正しい日本語を勉強して自身の誤った姿勢を正すべきです。 「なんだかんだ」は俗語の類です。 「世話になった」のを『「お」世話になった』と丁寧に表現しておきながら、 その前が「なんだかんだ」と俗な表現では、世話になった相手に対して礼を失した言い回しとなります。 それを正しいとする検索結果そのものが誤りであると指摘しておきます。 「どうしたら」 …無知のせいで誤ってしまった自分を「許せない」などとほざくよりも、 正しい日本語を勉強してない自分自身を許すべきではないでしょう。 正しい日本語を使えるようになった時に、初めて自分を許せば良いのではないですか? 「お世話になった」は敬意を示す表現です。 敬意を示すつもりなら「なんだかんだいって」などという俗な表現ではなく、 例えば「何かとありながらも色々と」として、 続けて「お世話くださった」というように、 全体を丁寧な言葉でまとめるのが本来の姿です。 「許せない」と言うのなら、 あまりに礼儀に無知な自分を恥じて、 自分自身を一から叩き直すのが良いのではないでしょうか。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
(い)なんだかんだいってたくさんお世話になった (ろ)なんだかんだお世話になった 文法的には両方とも正しい、と思います。ただ率直にお礼を言うだけなら「いろいろお世話になりました」で十分です。 「なんだかんだ」自体ちょっと俗っボイ感じなので、目上の人に真摯なお礼を言う時には、(い)も(ろ)も、ちょっとハズレです。 むしろ一部が(い)の終わりのように感謝の場合には「なんだかんだ」は反対の意味を含んで、「いろいろ文句も言ったけど結局(=+ーを総計すると)おまえには感謝してるよ」みたいに聞こえます。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
「過ぎた事」なのに許せない。 …では、どうしたいというのか? 許せるとか許せないとかは重要な事なんでしょうか? それより重要な事は 「同じ誤りを犯さないようにする。」 …質問の主旨もそこに有るのでしょう? それなら過ぎた事を許せるのですか? 「許す」となれば、同じ誤りの繰り返しを許すことになりませんか? …考えてる事が矛盾してませんか? 過ぎた誤りは「許さない」のではなく、 「改善」によって「繰り返さない」ことを旨とする。 …それで良いのではないでしょうか。 「なんだかんだ」…色々。 「いって」……………言葉にしたけれど。 「お世話になる」以前に何も無かったのでしょうか? 何も無くて唐突に「お世話になった」のでしょうか? …それではまるで世にも不思議な話でしょう。 普通は「なにがしか」の「いきさつ」が有って、それで「お世話になる」ものです。 「なんだかんだ」が有って、 「いって」と表現できる何かが有ったから、 …「なんだかんだ」となったのではないですか? その「なんだかんだ」が有って、 「お世話になった」のではないでしょうか。 「なんだかんだ」を否定して、「お世話」が成立するとは到底思えないのですが…? 「省略」することは自由なのかもしれませんが、 有った筈と思われる事まで「否定」するのは、さすがに誤りであると言わざるをえません。 貴方の思考回路の中に何か誤った判断を下す認識が有り、 「誤り」ではない事まで「誤り」だと決め付けてしまうような、思い込みと言える何かが有りそうです。 それが、この質問に内在する矛盾を生み出してるのだと思います。 …間違いではない事まで自己否定する理由は無いとだけ答えておきます。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
「なんだかんだで」というのは、「一々書かないけども、いろいろなことで」という意味で、「結局」という意味そのものではないと思いますよ。 むしろ「言って」なら、例えば「なんだかんだ文句ばかりつけてしまって」というようなのが用例です。 なんだかんだ言えば、相手はその都度それに対応せざるを得ないわけで、この対応=世話と考えれば、今回の「なんだかんだ言った」その結果何度も(たくさん)「お世話になった」と考えることもでき、 結局、問題はないと考えられます。 外国語の勉強でもそうですが、間違いを恐れていると正しい使い方は覚えられません。人間は忘れる動物である、んだとか。忘れる以上に覚えることが大切のようです。 本を読んだり、話したりして知識量を増やしましょう。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
うーん それはそれでいいと私は思うんですが。 確かにその言葉が相手に不快感を与えるような誤用はどうかと思いますが,良く偉そうな先生が,最近の若者の言葉はみだれとる!というのも私は違うと思ってしまいますが。もちろんあなたが正しい言葉を使いたいという気持ちは尊重しますしステキなことだと本当に思います。 でもLINEなどはニュアンスが勝負です。 例えばあなたの書いた言葉 「なんだかんだいってたくさんお世話になった」 と 「なんだかんだお世話になった」 は意味が違いますよね。 例えば,ある人に質問をたくさんしたり,いろいろ欲しいとお願いしたり,困ったと助けを求めたり,言葉を使って相手にお願いをした場合, 上の方が状況が伝わります。あなたが相手にいろいろ頼み込んでいる様子が伝わるわけです。またはあなたが世話になんか絶対にならないと言っていたにもかかわらず,結局世話になってるじゃん。という意味も含まれます。 「いって」を活かすのであれば,上の方が映像が浮かびます。 一方下は,あれこれお世話になりました。のすこし劣化盤のようななんだかんだで,どちらかというと一人で世話になったことを回想しているイメージで, 逆に捉えるとかなり謙遜して言っているようにも想えます。 相手は業務などで当然のことをしたまで。例えば授業を普通にしただけの先生,勉強を教えて貰っただけではなく,採点もしてくれたし担任もしてくれた。 そんな時に使えますが,上の表現だとあなたが,相談があるから聞いてくれとお願いしていたり,昼飯代がなくお弁当を忘れたからお金貸してもらったり,そんな人情味さえ感じる表現です。 あなたが意図してないでそう伝わってしまうなら,確かにその言葉を吟味して使うべきでしょう。余裕があるのであれば今のようにちょっと検索すれば自分の使い方が誤用なのかどうか簡単にわかりますから。 一方,言葉は生きていますから,その言葉が発せられたタイミングや前後のちょっとした関係性で,そのほうが正しい慣用句よりもずっとリアルに伝わる場合もあります。 それでも治したいというのであれば,多くのただしい日本語を読むこと。おそらくは新聞や耳で聞くならNHKのニュースなどでしょうけど,今のあなたのように意識する,違和感を感じることが大事であり,それが全てだとも私は思います。 酷い日本語ですみませんがご参考までに。