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土佐日記 女性仮託と亡児虚構論

紀貫之が土佐日記を書くとき、女性に仮託した理由はなんでしょうか? また、それは亡児虚構論と何か関係があるのですか?

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  • kadowaki
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回答No.3

>紀貫之が土佐日記を書くとき、女性に仮託した理由はなんでしょうか? 形式的な理由と、実質的な理由の二つの理由を考えることができると思います。 形式的な理由としては、当時は男性の表現文体は漢文であり、当時の常識からすれば、公人貫之の書く日記も漢文で書かれるのが当然だったからと考えられます。 一方、漢文体が当時の貫之をはじめとする知識人にとって、どれほど書き慣れた文体であろうと、所詮、外国語での表現文体であったことも否定できないはずです。 その意味で、漢文体はあくまでも当時の一種の《文語体》であったと考えられます。 しかし、こういう文語体では、やはり、嫉妬、怨念、不満、悲哀等々といった、人間の複雑なナマの感情、私情の微妙な襞を表現するのは到底不可能だ、と貫之は判断したのではないでしょうか。 要するに、貫之は『土佐日記』を公文書としてでなく、あくまでも個人的感情、和歌的抒情を主題材とする私文書として綴ることを目論んだとき、その表現に最も適した仮名文体の採用を決めたのではないでしょうか。 そして、仮名文は当時の女性の文体でしたから、仮名文の書き手についても、「女性に仮託」する必要があったわけです。 言わば、女性の書き手という《仮面》を被ることで、貫之は公人・男性としての見栄や外聞、建前やプライドから解放され、それまで秘めていた個人的感慨を思う存分に綴ろうとしたと考えられます。 また、貫之は彼の多くの歌が暗示するように、性格的にはかなり諧謔精神に富んでおりましたから、持ち前のユーモア精神もあずかって、こういう女性仮託が着想できたとも考えられます。 >また、それは亡児虚構論と何か関係があるのですか? 「亡児虚構論」説については、現在も定説めいたものが確立されていないと思いますが、こういう、わが子を喪った悲しみという生々しい感情を男性が直接表現することを憚り、これが女性仮託の一因となったという可能性も否定できないと思います。

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  • fumkum
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回答No.2

No.1です。追記をさせてください。 土佐日記については虚構説があります。これは地理的表現を中心に、記述に間違いがあることによります。そこから日記の形式をかりた物語であるとの説です。物語だから仮名を使ったとの考えられると言うことです。物語であるが故の女性仮託になったとするものです。

  • fumkum
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回答No.1

>紀貫之が土佐日記を書くとき、女性に仮託した理由はなんでしょうか? また、それは亡児虚構論と何か関係があるのですか? 一般的な説では、真名(漢字)は本来の字ということで、公式のもの、男性が用いるものとされています。これに対して仮名は非公式なもの、女性の用いるものとの考え方があり、男性である紀貫之は女性に仮託して仮名日記の土佐日記を書いたとされています。 冒頭の「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」に表されています。 この説に対して、古今和歌集の仮名序が書かれてから数十年が経過し、仮名使用の認知度は上がっているのだから、女性に仮託する必要性は低いのではないかとの考えも提起されていますが、なぜ仮託したのかのの明確な答えを出すに至っておらず、現在のところ仮名は女性が使用するものだったからとの考えが一般的です。 亡児虚構論との関連は分かりません。 以上、参考まで。